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Channel: 死ぬまで生きよう!
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「鍋敷き」は使うより見るもの

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手芸とは、個人的に行う裁縫、刺繍、編み物などの創作活動をいい、基本的には経済活動を伴わない家庭内における余暇、趣味の領域活動とされる。 手芸店は女性で賑わうお店で男にはまるで縁のないところだが、近年の手芸市場は趣味の多様化や主要顧客の高齢化もあってか、右肩下がりだという。2016年10月~2017年3月に放送されたNHKの朝ドラは『べっぴんさん』。

昭和初期、神戸の洋館で育った手芸好きなお嬢さんが戦後、子供服メーカーを作って成功するというストーリーで視聴率も高かったらしい。1934年(昭和9年)、服飾商社を営む五十八を父に持つ9歳のすみれは、神戸の山の手の屋敷で裕福な生活を送っていた。ある日、入院中の母・はなのためにハンカチに刺繍を縫うが、上手く出来ず周囲に微妙な反応をされ屈辱を味わう。

上達しないすみれは、靴が針と糸を使って作られていることを知り、靴屋を覗きに行く。そこで職人・麻田から、使う人への想いを込めて作ることが大事と助言を受ける。後日改めて母のために作った刺繍のハンカチを喜ばれる。余命僅かとなった母とのひと時過ごしたすみれは、もらった人が嬉しいと思える、「べっぴん(別品)さん」を作る人になると誓うのだった。

「べっぴん」という言葉は子どもの頃によく聞いたし、言われていたし、女性の美人を意味する、「ぺっぴん」という言葉は漢字で、「別嬪」と表記したが、元の意味は、「別品」と表記するように、「普通のものとは違う」、「特別に良い品物」であるからして、品物だけを指す言葉であった。それが優れた人物を意味するようになり、男にも持ちられていた。

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やがて、「ぺっぴん」は女性の容姿だけを意味するようになり、それに伴って高貴な女性にいう「嬪」の文字が使われ、「別嬪」と書かれるようになった。広島の本通り商店街には創業明治26年の老舗、「別嬪店」は、ハンドバッグが主体の女性ファンション専門店。「別嬪店」⇒「べっぴん店」⇒「BEPPIN-TEN」という店名ロゴの変革は、さすがに時代を表している。

「芸は身を助く」という諺がある。どの世代の女性がこの言葉を親から伝授されたろうか。かつては「手習い」といい、江戸時代の寺子屋および手習所で行われていた教育がはじまりだった。「仮名・漢字」、「和歌」や「書道」などの基礎教育は、近世の町人の子弟を教育する寺子屋における中心的な教育内容となり、「読み書き算盤」なる言葉も残っている。

昔のことをあれこれと思い出すのは、懐かしいという以前に文化的な気持ちにかられる。文化的とは当時の文化に関するさまをいうが、言葉が話せるようになると、意味の理解がままならず、また文字が読めるようになればなったで、周囲には不思議な言葉が充満していた。近所に、「桐谷ドレメ」という大きな看板があった。ドレミは分かるが、「ドレメ」とは何だ?

知らないことばかりの子どもにとって世の中は不思議でしかなかった。子どもの好奇心は社会に生息しようという努力の現れである。「子どもは人の父である」という言葉がある。これは、「どんな子どもに育てられるかで、その子がどんな大人になるかが決まる」ということだが、完全に真実とは言わないにしても、子ども時代が大事なという一般認識において真実である。

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もっとも人間には与えられる躾や教育とは別の、主体的な自己教育力や向上心もあり、これとて子どもの将来に大きく関与するものだ。「馬を水飲み場まで連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」というように、飲む気のない馬に水を飲ませることはできない。それが分からずして、無理やり我が子に水を飲ませようとする親は、なんとも滑稽である。

「ドレメ」の意味は結局誰にも聞かずに中高生になったものの、知らないということ以上に興味のない言葉というのは、通り過ごすものだろう。ドレメの意味はある日突然理解することになった。高3のころに幼馴染のNが、東京の短大を受験するという。彼女は高校の家政科に籍があって、当時家政科というのは、勉強ができない女の子が行くところという認識だった。

その彼女が短大に行くと聞いて驚いた。幼馴染なので遠慮はない。彼女は社交的で愛嬌はあるが、頭の悪いのは知っていたので、「お前、受かるのか?」と聞くと、「推薦で行くから大丈夫」という。「東京のなんという大学?」、「杉野女子短大っていうけど、知らないでしょ?」、「知らん」、「昔から杉野ドレメって、服飾関係では有名なんよ」。「ドレメって何だ?」

「ドレメはドレスメーカーのこと。桐谷ドレメってあるでしょう」。なるほどそうか、ドレスメーカーの略でドレメだったのか。ということだった。Nの両親は衣料品店を経営しており、本人も自ずと洋服には興味があったろう。杉野ドレメの創設者でもある杉野芳子は、「ドレメ式洋裁」の発案者であり、美容界の山野愛子と並んで日本の服飾界の重鎮である。

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男の自分には「ドレメ式洋裁」の意味も解らず、杉野芳子の名すら知ることもない。当時の女子の大学進学率は10%程度で、基本は裕福でなければならなかった。女性ということもあり、短大は服飾(縫製・デザイン)、料理(調理師・栄養士)、幼児教育(保母)さんの資格を得る目的が多く、また人気の看護職は大学に行けば正看、看護学校を出れば準看の道がある。

女子には学問の道というより、花嫁修業や手習いなどの道が女を生かすとされていた時代は、洋裁はできなくとも、毛糸の手編みや機械編みくらいは女子の必須と考えていた者も少なくなかった。高校を卒業すれば大学とは別の、洋裁学校、和裁学校、編み物教室、料理学園、理美容学校などで手に職をつける、親はつけさせたいという考えがメインであった。

その意味では社会や男女の価値観が画一的であったといえるが、これはひと昔まえのことだ。かつて女性の趣味といえば、何人に1人くらいは編み物と答えていた。茶の湯、生け花、料理が趣味という女性もいたが、こんにちそういう若い女性は少ないだろう。20年くらいか、30年くらい前だったか、手芸ブームというのがあった。と言っても50代、60代の人しか記憶にないか。

恋人にマフラーを編む、セーターを編むというのが、女性のたしなみであった時代には、家で手芸をする主婦も少なくなかった。最近、ある方から鍋敷きというものを頂いたが、いかにも女性らしい趣味、手習いである。そもそも鍋敷きという言葉さえ耳にしなくなったほどに、近年は熱い鍋をコンロから卓袱台に移動することもなく、電磁調理器全盛の時代である。

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したがって、頂いた鍋敷きは実用というより鑑賞となるが、使わなくても手芸は手芸、作る楽しみに人に差し上げる楽しみであろう。手芸店というところに男が入ることも行く用事もないが、狭い店内に置かれた多くの商品に、魅きつけられるてか若い女性で溢れている光景が浮かぶが、最近のyahooニュースが大型手芸店の店じまいを報じているのが目に入った。

を示すと同時に、毛糸の編み物をやる女性の減少を示すと同時に、ひとつの時代の終わりを告げているのだろう。手芸そのものがなくなるということはないにしても、絶対数が少なくなると、手芸用品のような薄利多売商品は利益確保が難しい。それプラスこのような分析もされている。「手芸店の減少は手芸店店員のレベルが低くなったのも要因としてあげられる。

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手芸用品売り場といっても従業員にはそれなりの知識もいろうし、そういう教育はパートやバイトにはやれない。お店の人から手ほどきを得ることは大事で、さもなくばどうやってここのビーズ編みをするのか、毛糸の編み方は?刺繍の刺し方は?パターンを元に作る生地の縫製仕様は?そういったことを見るからに知識のない店員に聞いたところで答えてくれそうもない。

店員は商品の知識はあっても作った事はないとあっては致し方ない。昔の小さな手芸店に人が集まったのは、実は一緒に物作りしたからだという。一緒にわいわい出されたお茶でも飲みながら、作ったり、尋ねたり、手芸店はそんな場所であったという。店員の応対が悪い、知識もない…こんな不満のコメントをみれば、手芸人口の先行きはいわずもがなである。

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今も昔も1分は60秒、1時間は60分と、何ら変わりはないが、なぜか昔の方がゆったりと時間が流れているように感じるのは、ゆったりは時間ではなく、人間が、社会が、ゆったりであったのだろう。効率や合理性ばかりを追求すれば、店舗は肥大化し、あげく従業員教育は追っつかない。商品知識だけがあればいい、手芸経験者優遇といっても、それでは人は集まらない。

手芸ユーザーは高年齢化するばかりで、若いユーザーを開拓しようにも、現状では難しい。そういえば、小さなミシン販売店においては、暇な時間に店員が店内でいろいろなものを作って、それがアプローチになっているが、今の若い女性でミシンを使って、趣味・実益の世界を広げようなど少ないだろうな。そんな暇があれば、スマホでゲームするよ、みたいな…

「六十の手習い」という。何かを始めるにあたって年連は関係ないとの意味だが、学童期の勉強は半ば強制であるが、年をとってからの勉強や新たな趣味を始めるなどは、自らの意志でなされるがゆえに価値がある。趣味は「やる」こと自体が目的だから、楽しむことが大事であるが、やってるうちにその気になったら、「究めてやろう」と頑張るのもいい。

「飽きっぽい人」は、続けること自体が負担になるので、無理にやろうとすることもない。「自分は飽きっぽいから、続けられるように頑張る」という気持ちは持たぬが正解だ。飽きっぽい性格を直すために何かを続けられることはないし、続けることが飽きっぽい性格を改めることになる。だらだら生きても楽しみはあるから飽きっぽいを長所に変えて生きた方がいい。

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