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「経済」という思想 ④

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ケインズはこれまでマーケットの、「見えざる神の手」を、政府という、「見える手」で正す必要性を説いた。マーケットの失敗に対して政府が出動し、責任をもって景気回復に当たる必要性を論理的に明らかにした。ケインズ経済学の応用例として代表的なのは、1929年大恐慌時にアメリカ大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトの、「ニューディール政策」がある。

「ニューディール政策」とは、不景気打開協議のために若い経済学者をホワイトハウスに招いた。が彼らは新しいケインズ理論を知っていた。後に彼らは、「ニューディーラー」と呼ばれる。ニューディーラーの意見に耳を傾けた大統領は、「全国産業復興法」他の法案を議会に承認させた。テネシー川に建設された巨大ダムは、まさにニューディール政策のシンボルとなる。

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アメリカが深刻な不況から脱したのはニューディール政策の効用もあるが、そればかりではない。第二次大戦に支出された膨大な軍事費によって創出された有効需要であったとされている。ケインズは政府が公共事業のような形で仕事を作り出せば、雇用が増えると考えた。このように雇用を生み出すために政府によって作り出された新たな需要を、「有効需要」という。

ケインズの著書には、「不況の時はマーケットの調整に任せず、政府が有効需要を作り出すことで景気を回復させるべき」というのが、ケインズの著書にある『一般理論』の中心的な主張である。例えば、消費が不振な状況で、政府が減税政策をとるなら財布の紐は緩む。となれば、「有効需要の原理」が働き、市場における商品の需要と供給が均衡に近づくことになる。

もっとも、政府が打つ手は公共事業や減税という財政政策だけでなく、中央銀行(日本銀行)が金利引き下げといった、金融緩和政策の発動も行われる。金利が下がると企業は借金をしやすくなり、設備投資など投資活動が活発になる。家を買う人、建てる人も同様だ。その結果、需要が増えて景気が回復する。ただし金融政策は金利をゼロ以下には下げられない制約がある。

需要管理政策を柱とするケインズ経済学は、世の中に大きな影響を及ぼすことになり、戦後の資本主義国の経済運営を著しく改善した。ただし、世の中の好況期、不況期は依然として順繰りにやってくる。が、その振幅の程度が大きく小さくなった。第二次大戦後の1945年から1970年頃までは、ケインズ経済学に基づく政策運営は大成功したかにみえた。ところが…

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「驕れるもの久しからず」という言葉が示すように、ケインズ経済学に対する批判が、1970年代以降、急速に高まってくる。その理由は一体何だったのか?それは市場に対する政府の過剰な介入である。何事も度が過ぎれば、「歪」も出て来ようというもので、ケインズ経済学も例外でなかった。平田弘史に、「歪」という作品がある。現代の親殺しを予感させる秀作だが、以下で読める。


初めて目にした時、あどけない少年に秘めた憎悪に戦慄が走る。大人からみた子どもは、幼気(いたいけ)で弱く、無知で無邪気、素直で従順である。また、子どもの想像力はよからぬこととして警戒され、好奇心はバカにされる。確かに好奇心はネコをも殺すが、こうした純粋な好奇心は藪から否定するのではなく、「動物愛護」という新たなもので道徳規制すべきもの。

無邪気ないたずらやユーモアは非難され、素直は邪道、正直はガキ扱いされる。であるをいいことに、子どもはしばしば大人や親からスパルタ式管理で無理強いさせられる。ついていけない子どもは、自分が悪いと非難され、自らをも鬩ぐ。大人は子どもの性質や人間の発育について正しく理解もせず、子どもを支配し己の価値観を押し付ける。近年は若干改善もされた。

それでも自己イメージの高い母親は、子どもにあくなき夢を抱く。子どもは成長しつつある人間であり、制限さえしなければ生ある限り成長し続ける存在であることを知る大人は明晰であるが、成長を学力とみなす親は、その子を自分と置き換えたら耐えられるのか?そうした想像力も時に必要だ。人間の究極目標は死ぬことであり、死ぬまで自分を生きることである。

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上記作品の、「歪」から人は何かを学べばそれでいい。さて、飛行機のボルトでさえ、無理して酷使をすれば金属疲労で断裂するように、政府がなんでも介入すれば政府は「大きな政府」となり、「大きな政府」を維持するには国民から税を吸い上げなければやっていけない。北朝鮮のような小国が無理をし、背伸びをして大きく見せる裏で国民は飢えている。

どうにもならぬボンクラのブタ男が、世襲で得ただけの地位をひけらかし、三代目にして国が廃虚となろうと知った事ではないという狂気性が怖い。捨て鉢な人間ほど怖い存在はないし、斯くの人間は内部の義憤を抱く人間によって、葬られることを願っている。彼のスイッチ一つで日本や韓国が破壊され、汚染もされて消滅するかも知れない危機を抱えている。

ゴルゴ13という男に頼めば殺ってくれるだろうが、可能なら報酬は100億でも安い。ところでケインズ経済学思想は、大恐慌や大不況を救うには効力を発揮するが、経済が順調で上手くいっている場合には、副作用が大きいことが分かってきた。これが批判の要因である。日本は本四架橋3案をすべて作ってしまったが、政治家の有権者へのご機嫌取りがあったのは否めない。

反論もないではないが、現在のような経済状況では橋は一本で充分ということは把握されていたにしろ、取り壊すわけにはいかない。バカな官僚が厚生年金会館や国民宿舎という名目で、年金財政を悪化させたのも司馬遼太郎風にいえば、「何で日本人はこんなにバカになったのか」である。国債に頼る国の借金は増えるばかりで、経済は過熱し、インフレが加速される。

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それに歯止めをかけるべくアベノミクスの成果には評価もあれば失敗論もある。中央銀行つまり日本銀行の最大の使命は、「物価の番人」とされているが、中央銀行の金融政策とは、マーケットにどれだけの通貨を流通させるかを実行するからで、これを経済学用語でマネーサプライ(通貨供給)という。日本銀行は日々それらを長期的見通しをたてて実行に移している。

日本銀行にはもう一つの大きな役割が、「最期の貸し手」ある。ある銀行が破綻した場合、預金者は預金引き出しに殺到して混乱するが、銀行と言うのは預金者からの金を企業に融資しているので、行内の金庫には貸出証書と少しの金しかない。そうした、「取り付け」騒ぎが起こらぬよう、瞬時に必要な大量の資金を市中銀行に供給するのが日本銀行の「銀行の銀行」たる所。

いかなる思想、いかなる理論にも批判はある。唯一絶対とされる神の言葉さえ批判になり得る。もっとも、神は人間の造った概念であるなら、神の思想、神の言葉はまさに人間そのものである。産業革命の最中に生まれたアダム・スミスの『国富論』は、「神の見えざる手」なる経済学説で、イギリス産業革命の理論的支柱となり、資本主義社会の発展をもたらした。

おさらいするなら、スミス以前の絶対王政国家の経済思想は、貨幣=金銀を富とし、国家による保護関税や産業保護などの経済政策を主張する重商主義と、農業が富を生み出す源泉とし、個人の自由な経済活動の自由放任(レッセフェール)を主張する重農主義が対立、イギリス絶対主義政府は重商主義を採っていたが、スミスはいずれをも批判して労働価値説を主張した。

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スミスの、「神の見えざる手」を批判したケインズ経済学は、世界大恐慌時のアメリカの政策に一役買ったが、さしものケインズ理論も1970年代以降は批判され始めた。そこで登場したのがスタンフォード大学教授で、ミルトン・フリードマンという経済学者。彼は、「マネタリズム」を主唱、裁量的なケインズ的総需要管理政策を批判、1976年ノーベル経済学賞を受賞。

フリードマンは元はシカゴ大教授で、シカゴ大は東部のハーバード大と並ぶ経済学のメッカ。アメリカ政府に計り知れない影響を与える震源地である。ハーバードが民主党よりなら、共和党寄りのシカゴ学派の巨頭がフリードマン。彼の意見は急進的として知られている。「公共事業のほとんどは民営化すべき、義務教育・警察・郵便事業、社会保障も民営化がいい」。

「マーケットをもっと活用し、競争原理を浸透させれば人々はもっと頑張り小さな政府も実現する。それなら税金も安くなろう」などとフリードマンはいうが、この論理はまさしくアダム・スミス理論への回帰である。まさにケインズが葬り去った、「見えざる神の手」が蘇った格好だ。歴史は繰り返されるというが、新しいものはやがて古くなり、古いものも新しく蘇る。

アメリカをして世界の警察といわしめた時代があった。キューバやベトナムを始め中東など世界中の紛争地に積極的にでていったが、政府にとっても大変な出費となり、国家財政も大幅な赤字となるのは、「大きな政府」であるがゆえの事態を招いてしまった。ケインズの主張する、「大きな政府」がもたらす矛盾は、サッチャー時代のイギリスでも問題となっていた。

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