マルクスはなによりもまず革命家であった。資本主義社会とそれによって作りだされた国家制度との転覆に、なんらかの方法で協力すること、近代プロレタリアートの解放のために協力すること、これが生涯を通じての彼の仕事であった。1789年のフランス革命は、封建制と絶対王制を打ち倒して共和制を宣言し、人権宣言を発したことでヨーロッパ各国に大きなショックを与えた。
その後イギリスやドイツでは資本主義経済が急速に進み、資本家と労働者の対立があからさまになるにつれ、労働者は団結して資本家と闘った。こうした事実に気づいた歴史家の多くは保守的な人々であり、あきらかな階級闘争をどうすればなだめすかすことができるかの研究にとどまり、それ以上に進むことはなかった。そこに立ち上がった巨人がマルクスとエンゲルスである。
彼らが最初に見出したのは、階級闘争の起こる原因を突き止めたことだった。資本主義社会ではブルジョアジー(資本家)とプロレタリアート(労働者)という階級対立が生まれ、この間に階級闘争が闘われる。当たり前の経済の仕組みであり、搾取するものとされるもの、この存在こそが階級闘争の原因である。当たり前のことが当たり前に把握できない時代があった。
当たり前と当たり前でないことを別の言い方で、正常と異常という。どちらが簡単な語句であるかはともかく、この関係は簡単ではないようだ。なぜなら、正常と異常は対極のようで、実は常に背中合わせと見るべきである。異常犯罪という言い方をされる犯罪がある。ならば正常な犯罪というものはあるのか?異常による抑止が逆に正常を招来しているなら、二つは表裏にある。
「そんな当たり前のことがなぜやれないんだ!」という叱責を親から受ける子どもがいる。ならばその親は当たり前のことは当たり前にできているのか?難しい事をいとも簡単にやってのける人がいる。楽器演奏や仕事の段取りなど、これは訓練の賜物である。しかし、彼らが簡単な当たり前のことができない。当たり前のことをできるには努力が必要であることを知らない人は多い。
多くの人は当たり前のことを軽視する。が、ゆえに当たり前のことは難しい事となる。当たり前のことを当たり前にやっているからこそ当たり前となる。社会の土台は物質の生産にある。精神や心を磨き、神を仰ぐだけでは生きていけない。飢えて死んでしまう。人類が続いたのは、経済の変化と発展の歴史が根本におかれねばならず、それは階級闘争の形態をとる。
マルクスとエンゲルスはこれを、「唯物論的な歴史の見方」という。つまり、「史的唯物論」である。このような歴史の見方を当時の多くの人々は驚いた。なぜこのような当たり前のことに驚愕したのか?それまで歴史を動かすものは、精神や宗教、国王や英雄、そういう立派で高尚なものであったからだ。それが経済と言う下賤なものであることの驚きだった。
さらには、「階級闘争」などという争いごとが歴史を動かしたり、「労働者」という無知な大衆あるいは愚民が歴史を担うなど、考えるだけで汚らわしいと人々は、考えもしなかった。そうした先入観や偏見を捨て、事実を事実として見たり、研究したりする人にはことは極めて明快である。哲学や宗教や政治は高尚だが、人間が思考できるのは生きているからである。
食料ナシ、衣服ナシ、住宅ナシで人間は生きる事はできない。住居はなくともルンペンは生きていると反論されても、衣服ナシ、食料ナシについて反論はできまい。資本主義を賛美したところで、資本主義社会というのは、他人の搾取に過ぎない。マルクスやエンゲルスがユートピアと説いた共産主義であったが、今や共産党は体制側になってしまっている。
なぜ新左翼は戦うのに、共産党は戦う共産党でなくなった?考えればわかることで、新左翼は共産党から離れるとき、その言葉は自分にもあてはまるということを忘れてはいなかったか?他人だけが堕落して、自分は堕落しないというのは思い上がりに過ぎない。他人は堕落しても自分はそうでないと信じるが、自分が堕落してないのは、堕落すらできない自分に気づいていない。
他人が堕落していくなら同じように自分も堕落する可能性があると考える方が健全である。フロイトがいうように、人間は自らが考えるほど道徳的な存在ではない。にも関わらず、パンツを被って外を歩くというならイカレタ人間だが、恋人が面白おかしくやってることを後ろ指さすのは、いかにもいい子ぶりっこそのものであろう。人はいろんなどんな面白い事をするだろう。
フザけて自分のパンツを被る女もいたが、どこが反社会的?のっとも人間は反社会的な生き物であり、ビートルズが当時の社会から非難されたが、思考の柔軟な若者は受け入れた。いつの世も若者が時代を変えて行くが、哀れなジジババは新しいものを受け入れる脳みそがない。根本的な問題は、自己を解放しながらなおかつ許される新たな社会を作っていくことである。
人間が反社会的であっても、問題にすべきは人間が人間であることによっても、反社会的にならないような、新しい時代をつくること。1850年代にマルクスは寝る間を惜しんで経済学の勉強をしていた。ロンドン時代の彼は極度の窮乏生活を強いられた。二男は2歳で死に、五女も生後1年で他界したが彼には葬儀の費用もなく、近所から2ポンドで小さな棺をかった。
歴史における偉大な仕事とは、大いなる犠牲をもってなされてきた。マルクスは敵を粉砕しようと決心すると、あるいは友人と訣別しようとすると、手段を選ぶことはなかった。人間にとって、いままで親しくしていた友と別れるほどに悲劇的で辛いことはない。が、それを自らのイデオロギーのためになし得たマルクスは、真に革新的であったと言わざるを得ない人物である。
マルクスが編集の任を負っていた、「ライン新聞」が政府の弾圧を受けたとき、及び腰な、「ライン新聞」の株主たちに反発して社を去った。この頃マルクスは哲学者フォイエルバッハと親交があった。フォイエルバッハは1841年、革命的な宗教批判書『キリスト教の本質』を世に出した。その中で彼は、「神は人間だ。神の愛とは人間の愛の告白である」と喝破した。
エンゲルスは著書『フォイルバッハ論』で、「この本(『キリスト教の本質』)が、どんなに大きな解放の働きをしたか、それ自ら体験した人でなくては分かるまい。その感激は全般的なものだった。即ち、我々はみんな一時、フォイエルバッハの徒となった。マルクスが、どんなに熱狂してこの新しい見解を迎えたか、どれほどこの見解によって影響されたか…」と、書いている。
フォイエルバッハの思想を一言で要約すれば、「人間は自らの姿に似せて神を創った」ということだ。彼の神学(キリスト教)に対する挑戦は、1830年、彼が26歳の時に匿名で出版した、『死と不死に関する思想』に始まるが、「人間が現世で充実した生き生きとした生活を送ろうとするなら、不死信仰が虚妄であることを知り、それを放棄しなければならない」と述べた。
また、フォイエルバッハは、「キリスト教的不死信仰に囚われた人間は、非現実的で純粋な人格を彼岸において現実化することで、現世の生活を色褪せた非現実なものとしている」と訴えたが、これが僧職者や神学者を憤慨させることになる。人が死ぬのは人間が有限な存在であるからだが、さまざまな不死信仰を宗教は醸し出す。不死信仰は主に5つに置かれている。
①象徴的不死信仰…世界の永続性を信じ、自分が死んでも、子や孫に自分の血は受け継がれていくので、そうした意味では、私は不死だと信じること。まさしく、こうした象徴的不死信仰を持つ人は、自分の遺伝子がずっと受け継がれ、永遠の生命を生きていくと想像したとき、ある程度のわずかばかりの満足を持って死んでいけるのかもしれない。
②創造的不死信仰…何らかの仕事を成し遂げることによって自分の死後も永続的な影響を及ぼし、名前や業績など自分の生きた痕跡を残そうとする不死信仰。これは、多くの人々が信じたり、はまり易い不死信仰ではないだろうか。学者、科学者、技術者、政治家、実業家などにかなり広範囲に広がっている不死信仰である。
③自然的不死信仰…自然との一体化による不死信仰。死後に埋葬された後に生い茂った草葉は、形を変えた自分である。実際は、単に肉体を構成する物質が分解されて植物の養分になったに過ぎないのだが。樹木葬を選ぶ人は、おそらくこういう人なのであろう。
④神学位的不死信仰…「霊魂の不滅、個人の再生・復活」による不死信仰。これはまさしく文字通りの不死信仰ではある。
死がもっとも忌避されるものである以上、不死を望むのは人間の究極的欲望となるが、さまざまな形の不死信仰は、"肉体は死せども魂は不滅"という思考のもと、人間の欲望に答えているに過ぎない。言葉や論理でもって生を絶対無限とするなら人間は不死となろう。が、当たり前の概念でいえば、人間は限られた存在として、限られた時間のうちのみに存在する。