20代OL200人アンケート結果にみるダントツは、やはり、「優しさ」である。3高(高学歴、高身長、高収入)は昔話になってしまった。やはりあれはバブル時代の遺物だったのか?明確な年月は規定できないが、1992年頃からバブル経済は終焉した。それによって物事に対する価値観も変わったことで、女性の男選びの基準も変わったようだが、「優しさ」上位は動かない。
ついで、「共通の趣味」、「将来性」と続く。「学歴」や、「身長」に関しては、ほとんどの女性が気にしておらず、「収入」に関しても必要と思っている人は49人である。とはいえ、「将来性」に得票した人が101人ということを考えると、「現在は収入が低くても、将来は高収入に…」というのは願望というのか、欲望というべきか、 やはり女性はそういうものだろう。
それにしても女性のいう、「優しさ」とは何だろうか?「優しさ」という言葉のなかには様々な「優しさ」があるように思うが、まさか暴力を振らないのが優しさということではないだろう。いや、案外それもあるのかも…。とはいっても、暴力を振らない男なら優しいというわけでもないだろう。何を優しさというか調べる前に、自分なりに考えたのが以下の3つかなと。
・どんなときでも車で送り迎えをしてくれる
・欲しいものは何でも買ってくれる
・我がままは何でも聞いてほしい
特徴的な資質をと思いつつ挙げてみたが、これを優しさと思う女性は多少なり頭の中身が軽い女だろう。というのは、こんなものは優しさどころか、便利屋である。便利屋というのはお金をとるので、同じように払うというなら分からぬでもないが、彼氏も「業」ではないので金を貰っても、「冗談じゃない!」という男もいよう。こんな都合のいい男が出世などあり得ん。
したがって、将来的に高収入の男を望むなら奴隷は求めないこと。家庭でこうでは、部下など持たせられないと判断されるよ。バカな女は別として、一般的に女性の求める優しさとは何だろうか?それが分からないので、検索してみたところ、男が女よりも上位にくることが大前提であり、ご機嫌伺いや媚びる男は女性から見ても男の価値無し、恋愛対象にもならないとある。
本当なのか?自分の知る範囲でいうと、確かに今の40代くらいの女性は、「今頃の若い男の子って頼りないよね」などという。30代、20代の女性の声は聞いたことがないのでわからない。年代的な違いはあるかも知れぬが、「女性が求める男の優しさ」は、男性が女性より上位を形成してこそ女性が感じるものだと記されている。自分がよく分からないのは婦唱夫随の家庭。
これが多いということだが、夫唱婦随に照らしていうなら、婦唱夫随は妻が力関係で上位にあるのではないか?して、それは自然になるのか、止むにやまれずにそうなるのか?夫が望んでなのか?妻が強くて夫が太刀打ちできないからなのか、自分には分からない。夫唱婦随ならわかる。結婚した当初から、それが当たり前だと思っていたし、いわゆる必然性ということ。
それと同じ事なら、婦唱夫随の夫婦も必然であったのか?話は戻るが、男の優しさは、男が上位にあるからこそ光るもので、だからそれを女性は望んでいるという。確かに、立場の上の人間がふとした時に見せる優しさは、下のものにとっては嬉しいものだ。論理としては確かに成り立つが、男が上でいて欲しいというより、夫婦は対等と声高にいう女性は結構いる。
男を立てて自分は引く女性もいるが、対等と声高に叫ぶ女は先ず尻に敷くだろう。若い時は対等感が見えても、なぜか女のケツが重くのしかかってくるケースは沢山見聞きした。もっとも、男がそれを許すからだろう。許すならそれでいいが、妻に主導権を持たせるなら、一切の責任も妻がとるなら問題ない。権利と義務、義務と責任の論法からしてもそういうもの。
近年は、「こうすれば女性にモテる」なるHOW TO本も多くでていて、そこには当然優しさについて多く書かれているだろう。まさか、「ハンドバッグを持ってあげること」などと書かれてはいないだろうが、そうしたHOW TO本に書かれてあるような優しさなら、本を読んだ人間ならやれるだろう。我々の世代観が有す男の優しさというのは、いざという時に女を守るであった。
だからか男の優しさなどというのは、なにか事が起こるまでは裏に隠れているのが普通であって、いかにも外見上やさしそうに見える、そうした表面的なやさしさは、突如とした危難に出あえば、そそくさと逃げたりの可能性もなきにしもあらずで、かの3.11東北大地震の大津波のさい、妻子を置いて我先に逃げた夫のことがいわれた。それが「震災離婚」という言葉を生んでいる。
いざというとき、女・子どもを守るという優しさが、本に書かれてはいないだろう。女性にモテるためのマニュアルとしての優しさには、どういう記述があるのかを知らないが、本で身につける優しさってのは、上辺で本当ではなかろう。本に書かれてあるような、「こうしたら」、「ああしたら」などのみかけの優しさ・誠実さは、男としてどうにも救いようのない弱さの表れではないか。
優しさはマニュアル本で身につけるものなのか?身につけられるものなのか?そんな優しさは所詮は猿芝居に過ぎない。女性が男に真の優しさを求めるのなら、その思いは心にしまっておき、付き合う男の芝居臭い、演出丸出しの優しさなどには目もくれないことだ。ある日、どこかでふと感じる男の優しさ、普段は逞しい彼氏のちょっとした優しい仕草を観察するのがいい。
優しい男がいいなどと言えば、バカな男は優しさを演出しまくるだろう。だから、黙って観察するのがいい。「理想の女性は?」、「好きなタイプは?」と聞かれても、そういうものを持っていなかった自分は、「イイと思った女が理想」、「好きになった女がタイプ」と答えていた。「理想」は現実的ではあり得ない。よって、その時、その都度、現実的に相手を眺めたりで捉える。
「絵に描いた餅」を掲げるよりも、現実的なちょっとした仕草や、優しさ、女性らしさ魅かれるものであって、「理想」という固定的な何かを求めたりはない。他人はあれこれ言ったりするが、現実をしかと見、しかと感じ、捉えることができるなら、理想は無用である。男が女を駄目にしてはいけないように、男の見かけの、「優しさ」、「誠実さ」を求める女も同様である。
本当の、「優しさ」は、強さ、逞しさであるが、一般的な女性の求める優しさというのは、「弱さ」ではないだろうか。実はこれは女性の策略であり、弱い男を意のままに動かし、その上に君臨しようとの意図であるならそれもよかろう。もっとも、人の風下に立つことを好まず、ぐいぐいと引っ張るような男は、あれこれ細かい指示を嫌うし、女の我がままにひれ伏すことはない。
男を騙そうとみせかけのやさしい行為をする女がいる。それで何を得るのかというより、相手を自分に取り込むのだろう。女を騙そうとみせかけの優しさを繕う男もいる。同じように女性に自分を気に入ってもらうためである。こういう男女の先にあるものは、嘘で固めたものが剥がれる現実である。本当の、「優しさ」を見分けるものは、「心」ではないだろうか。
つまり、「優しい人」と、「優しい行動をする人」は実は違っている。勇敢に見えて実は臆病であるように、見せていると実際は違うということ。「優しい人」が、「優しい行動をする」とは限らない。「優しい行動をする人」が、「優しい人」である。そこの見極めができるかどうか。「行動」といったように、「行為」ではない。「行為」と、「行動」は似て非なりである。
「行為」には意図や目的があるが、「行動」というのは無意識の場合もある。つまり、意図や作為を忘れた無意識の行動の中にある優しさは、真の優しさであろう。人間は利口だし、ズルい生き物だから、無意識の行動の中に真正なものが潜んでいたり、現れたりするものだ。「優しさ」を意識しているときは優しくできるが、無意識の中で優しさを醸す人こそ真に優しい人である。
隠された本性や本音を無意識の中に見つけることができる。感受性と注意力があればの話だが、一般的に言われていることなどを鵜呑みにして誤った先入観を抱くより、自分の目を信じる方がいい。例えば、目を見て話す人は信用できる、嘘はつかないとか、声が小さい人は自信がないとか、早口の人は頭の回転がいいとかは、根拠のない人の見方といえる。
今井絵理子と不倫疑惑の橋本健氏のインタビューを聞いたある女性が、「この人は人の目を見て嘘をつく人」といったように、自分を信頼させるテクニックに利用されたりする。人を信用させるために早口になる場合もある。自信ある人は声が大きいが、ない人は小さいというのを単純に信じるのも間違い。自分の母は大嘘つきだが、1里先まで届くバカでかい声だった。
もっともヒステリー系や感情が高揚すれば声は大きくなろう。人の本心や本音は、むしろ相手の心理を巧みに突いた視点を持つことで読めるものだから、多くの人間体験が重要となる。とくに本心を隠そうとする人をとかく見誤りがちになるので、切磋琢磨された人生経験がものをいう。先日、こういう会話を仕掛けてみたが、相手が面食らっているのが手に取るようにわかる。
「〇〇さんは、僕のことを嫌っているようだけど、嫌う相手からは嫌われているように思うものなんか?」
いきなりの言われ方に顔が焦り、言葉につまっている。「別に嫌ってはいないよ」と返すだろうと予想したが、〇〇さんはそういう嘘がつけない気弱な善人である。
間があって、「自分が嫌う相手は自分を嫌ってるというよね」と、口を開く。
「そうもいうけど、僕は〇〇さんに嫌われても嫌ってない、嫌う理由がないからで、相手が自分を嫌ってるから、こっちも嫌いになるって理由にならない。そういう人間もいるってことで、頭に入れておいてよ。〇〇さんはいい人だから…」
こんな言い方をする人間は、相手も初めてだったろう。心の奥にしまってあるものをえぐり、吐き出す会話は生きて行くうえでプラスになる。他愛もない会話より面白さでも勝る。幸せに生きる方法はいろいろあるが、人間関係を無意味なものから有意義にするためにも、この人は屈託のない人だと思われたい。腹に一物抱えた関係は陰湿で、どうにも気がすすまない。