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核を持てば、アリもスズメバチ

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早朝からカラスがけたたましく鳴いていた。カラスが鳴くと、「イヤな気分」、「イヤな予感」がするのはなぜだろう。とりあえず6時半頃に起床、テレビのニュースで驚いた。北朝鮮が、日本時間29日午前5時57分ごろ、平壌の順安付近から日本海に向けて飛翔体を発射したとのことで、その後、飛翔体は弾道ミサイルで日本の上空を通過したことが明らかになる。

発射されたミサイルは29日午前6時12分頃、3つに分離し、いずれも襟裳岬の東約1180キロの太平洋上に落下したものと推定されている。北海道の各地では直後に防災無線で国民に知らせ、JR東日本では新幹線の発着が一時ストップし、現在でも数分の遅れが出ているという。菅官房長官は日本国にこれまでにない深刻かつ重大な脅威として北朝鮮に厳重抗議した。

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北朝鮮が弾道ミサイルの飛行ルートを日本に予告なしに発射するのは極めて異例で、政府はその意図にや目的について国家安全会議を開いて対策を協議しているが、アメリカのトランプ政権への対決姿勢を強める北朝鮮に変更がないことを示している。今回のミサイルルートは韓国上空を通らず、グァム方向を避けたことで、韓国やアメリカを刺激しない意図が考えられる。

日本上空を横断して太平洋上に着弾したのは、日本を始めとする韓国・アメリカの反応を探る目的と予測されるが、今回ミサイルが3000km弱を飛んだことは、北朝鮮のミサイルが軍事仕様目的のメドが着いたということにもなろう。が、日本側は発射段階から軌道も含めたミサイルの動きをすべて把握し、監視していたと発表したが、迎撃用ミサイルは発射していない。

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おそらくこれは総理⇒防衛大臣⇒防衛省の総合的判断であろうが、こうした最大危険行為への対処の善悪については日本的というしかないが、北朝鮮側も日本上空を飛来させて迎撃行為の有無を掌握する目的もあったはずだ。日本が迎撃を行うのは日本領空圏内前でなければならない。日本上空で撃ち落とすことを行えば、当然ながら落下物による二次被害が発生する。

政府は発射時点から追尾していたというが、事前の通告・予告なしに発射された弾道ミサイルを日本領空前に自衛隊の迎撃システムを稼働させなかった理由を日本的というしか理解のしようがないが、さらなる領空を侵犯する可能性のミサイルがあれば迎撃すべきで、そうでなければ平和ボケ国家と笑われよう。北朝鮮に舐められないためにも断固稼働させるべきと考える。

元首相の羽田孜が28日午前7時6分、老衰のため都内の自宅で死去した。82歳だった。羽田氏といえば小沢一郎の盟友であり、共に自民党を離れるなど同志として行動し、新生党の党首だった1994年に連立政権下で第80代首相に就任したが、現憲法下では最短となる僅か64日間の短命政権に終わった。「ミスター政治改革」の異名もあった羽田氏には様々な思いが過る。

その羽田新首相は、94年4月28日の初の総理就任記者会見で、当時、核開発が取りざたされていた北朝鮮の対応についてこう答えている。「一般論からいうと、国連がひとつの方向を出せば、わが国も憲法の許される中で協力したい」と語っている(朝日新聞:4月29日朝刊)。穏やかで自分を高く売ろうとしない性格の羽田氏であるが、それがこの発言にも現れている。

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隣国北朝鮮の核開発問題について憲法の問題はあるにせよ、どこか遠くの国で紛争が起こり、「国連が方向を出せば日本も従う」と、これまで通りの他人事のような対応そのままであった。北朝鮮が昨今のように、日本国民の生命と財産が直に脅かすようになって慌てふためくのは、戦略的な対処をしなかった結果である。日本人拉致という国家犯罪を行った国である。

この期に及んでも北朝鮮問題は、アメリカがなんとかしてくれるだろうとの依存体質そのままであるが、拉致被害も含めて北朝鮮問題が、もとよりアメリカの問題ではないはずだ。その北朝鮮が核開発を講じていると外国から日本に警告があったのは1989年に遡るが、危惧する声は日本の新聞各紙をはじめとするNHKや他局のマスコミはまったく報じなかったという。

そんな矢先の90年9月、金丸信を団長とする無党派訪朝団が結成され、核査察など念頭にもおかず、北朝鮮に経済補償をしようということだった。さすがに米国はこれを押さえたというが、平和ボケ日本政府にはどうにも軍事的頭脳中枢が欠けていた。羽田は当時外相であったが、「金日成主席とひざを突き合わせ、じっくり話し合って分かってもらうことが大切」と発言した。

核開発問題がクローズアップされたことで、国連は北朝鮮への経済制裁を決議したが、94年3月に北朝鮮は査察団受け入れを表明、経済制裁の実効は当面回避されることとなる。しかし、北朝鮮は二か所の未申告施設への特別査察を認めていないことで、核疑惑を残すことになった。北朝鮮に於いて核疑惑を残し続けることが、自国に与えられた唯一の交渉カードゆえに必死であった。

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北朝鮮という貧乏国家にとって、世界に物を言うための一大戦略でもあった。冷戦終結後、豊かで自由な先進国にくらべて貧しくも不自由な国家は、深刻なダメージを蒙ってきた。日本と北朝鮮との関係はこんにちのような危機的状況になって、日米韓という包囲網ができているようだが、米国が日本の安全のために流血の犠牲を払うとは信じがたいものだった。

極東有事の際に米国がかつてのように、世界の警察官として再び起ち上がってくれるだろうというのは、日本人の妄想、勝手な思い込みであろう。それが金正恩体制となり、米国も腰抜けオバマからトランプ政権となり、北朝鮮が明確に米国への対決姿勢を現すことになって、米国にとっても北朝鮮は靴の中に入った石ころのような存在になって来たようだ。

クリントンやオバマ時代は北朝鮮に、「隔靴掻痒」であった。こんにち日本列島は地球上から消滅しても、白人至上主義者トランプにしてみれば痛くも痒くもないはずだ。自国の被害が及ばないと明確な判断をすれば、トランプは北朝鮮への軍事行為を起こすかも知れない。米国は北朝鮮の弾道ミサイル技術が自国への脅威であるか否かの情報収集に余念がない。

日本人をお人好しとするのは世界の見方であろう。なぜなら、日本人は自身の中に「悪」の可能性など計算に入れず、したがって、他人の悪の可能性に疎いところがある。自分が悪人という意識があれば、「振り込み詐欺」などの、特殊詐欺はもっと減少するはずと思われる。自分が善意であれば、相手も善意と思って思ってしまう日本人をバカでメデタイと自分は断罪する。

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それは単に同胞を見下して悦に入りたいからではなく、少なくとも自分はそういうバカではいたくないという自己啓発である。正当で真っ当な批判は自分を作るし、批判を良しとしない日本人はなぜか、「みんな仲良く」を美徳とする。しかるに、日本が善意で、善良で、無害で、ただ経済的に有害というだけなら、明日がどうなろうと、どの国も心配はしないだろう。

お人好しの日本人の代表いうべき政治家が河野洋平である。あの有名な、「河野談話」の発信者である。日本人が謝罪を美徳する国民であるのは先にも書いたが、幼児期から親に謝罪を植えつけられるからだろう。自分は、「謝罪」を否定はしない。自分が悪いと思ったことは素直に謝ることで人間関係を、「良好」にする。「ごめなさい」の一言は相手の気持ちを鎮めることにもなる。

地域や周囲の人間関係ならそれもよかろうが、こと世界的な視野に立って、異国と交渉やお付き合いをするにおいて、絶対に謝罪してはならないことがある。それは、戦争に関してである。それは、戦争とは一体何かという根本問題に触れてくるからで、そこをないがしろにしていい人ぶっていては、諸外国と国益重視の交渉はできない。その先鞭をつけたのが河野洋平だ。

戦争がなぜ起こるか、言葉で言い尽くし、双方が正しいと主張し、納得も得れず、言葉によく解決策が見いだせない、そこで戦争となる。したがって戦争は人倫を別にすれば、国際法的にも国際情理においても犯罪とはならない。言葉がダメだから武力でケリをつけるという手段、それが戦争である。したがって、日本のやったことが戦争犯罪というなら、米国も欧州列強も同じことだ。

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広島・長崎は言うに及ばず、1944年11月から終戦間際にかけて100回以上にわたって執拗に繰り返された「東京大空襲」。最大の被害をもたらした3月10日には、囲い込み絨緞爆撃により、わずか1日で10万人が命を奪われた。日本側にはすでに防空体制はなく、日本軍は完全に黙秘状態であり、まったく抵抗もしない人間をただ殺すだけのためという爆撃の目的であった。

「同じ敗戦国のドイツは謝罪したではないか?」という人はすくなくないが、それは間違いであって、ドイツは謝罪していない。「悪いのはナチスであってドイツではない」というのが、ドイツ国民の一貫した主張である。「だからドイツは戦後ナチスから解放されたのだ」と、ヴァイツゼッガー前大統領もコール首相も述べているが、これはまあ、ハッキリ言えば詭弁である。

「日本が悪いのではなく、軍部が勝手に独走した」といってるようなもの。 もっとも、日本のファシズムは軍部によって担われていて、軍部が独走することに歯止めをかけられなかったことが戦争の原因た。ドイツがなぜそこまで詭弁をいい、「ドイツ国民ははナチスの被害者」とまでいうのか。「国家として悪を犯した」と認めてしまっては、ドイツ国家そのものが成り立たなくなる。

ドイツ民族さえも生きてはいけない。それほどの凄まじい犯罪の自覚が彼らにある。あれほどの犯罪を犯したドイツ国民が、「自分たちに非はない」といっている。国家や国民に罪はないが、政治的に責任はある。つまり、ドイツ国家は、ナチスという悪辣集団のやった責任は、政治的にとるということだった。ドイツ国民は深い謝罪をしたというのは誤った認識である。

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