夏、盛り。気づけばセミの大合唱。うるさいけれども夏の風物詩。長いこと地中でくらし、殻を脱ぎ捨て必死で鳴くセミの声に耳を傾けることもあるが、やはりクマゼミの声に魅了される。確かに奴はカッコよかった。アブラゼミなんか自慢にならない、やはりクマゼミを採らなきゃ。トンボで言えばヤンマ、オニヤンマ、蝶で言えばキアゲハ、クロアゲハであろうか。
子どもはなぜセミを採るのか?思い出してみた。ビギナーとしての一番の理由は、「自分にセミが採れるか?」である。やがて、何匹も採れたりすると今度は、どれだけ採れるかである。人と一緒なら人と競い、自分一人なら競う相手は自分である。食す・食さぬが別にして、釣りのようなもの。糸を垂らせば沢山釣りたい、それと一緒でアミを持っていながら収穫ゼロは情けない。
昆虫なら何でもそう、つまりは採ることが愉しみとなる。ただし、男の子であって、沢山採れる者には、「虫捕り名人」という栄誉ある称号が与えられる。女はともかく、昆虫嫌いの男はいなかった。セミ捕りでもっとも難しいのはツクツクホウシで、奴は警戒心が強くでおまけに体も小さく、採るのは至難であったが、採れればクマゼミ以上に鼻高であった。
『智恵子抄』の高村光太郎は余程の蝉好きであったとみえる。蝉の造形にも関心が高かったようで、いくつも蝉の彫刻を彫っている。また、『蝉の美と造型』というエッセイも書いており、その中で蝉の魅力について熱く語っている。末尾にはこのように記している。「私は日本のセミの無邪気な力一ぱいの声が頭のしんまで貫くように響いてくるのを大変快く聞く。
まして蝉時雨(せみしぐれ)というような言葉で表現されている、林間のセミの競演の如きは夢のように美しい夏の贈物だと思う。セミを彫っているとそういう林間の緑したたる涼風が部屋に満ちて来るような気がする」という表現はさすがの詩人である。金子みすゞの『蝉のおべべ』は、自然の中に生を宿す小さな命への優しいまなざしは、彼女の慈しみの心の現れである。
心ない夫に対する抵抗心が彼女を26歳にしての刹那の生であった。蝉といえば浮かぶのが俳人芭蕉である。「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という句は、山形県新庄の立石寺を訪れた時の句である。夕暮れ時に本堂を訪れ、周りが静まり返る中にあって、辺り一面のけたたましい蝉の鳴き声が、「閑さ」を一段と際立たせている。これは単に表現されたものではない。
というよりも、芭蕉一流の、「表現主体の在り方」が重視されている。つまり、表現の以前の心の持ち方の問題というべく心の艶を説いている。こうした心の在り方とは、人間として真に誠実に生きている人でなければ表せないものだろう。美しい情景とは主観的なもので、ゆえにある者にとって美しいと感じられるものも他の者には美しいと感じられない。
これについて芭蕉は言う。「自分を客観視すれば心の平穏が得られる」。自分を客観的に見る…、これは毒にもなりやすい。たとえば、「自意識過剰」とは、「他者に映る自分」ばかり気にする人を表す言葉だが、自分のことを客観的に見すぎると自意識過剰になり、「あれをしたら恥ずかしい」「○○している自分はカッコ悪い」といった縛りに苦しむことにもなる。
他人はそんなことなど思ってもみないのに、勝手に自分を縛っている。これが害毒でなくて何であろう。他の者からみた自分に縛られ過ぎる人、気にし過ぎる人は自我の本質を誤っている。「自我の本質」ということなら、人間は自我をどう、「定義」すべきかを考えると、少なくとも人間は、なにか一つのモノをもって、「これが自分だ」と示すことはできない。
自分というもの、即ち自分の肉体や精神は間違いなく自分であるが、心も体もあくまでも自我の一部にすぎないということ。例えば自分を明らかにする際、私の名は山本太郎、年齢は40歳、九州福岡県生まれで、両親と兄2人の3人兄弟の家庭に生まれた。最終学歴は東大で仕事は公務員。妻と子ども2人の家庭を持ち、趣味は音楽鑑賞と釣りで、親とは離れて暮らしている。
こうした数々の、「自分にまつわる事柄の関係性をすべてかき集めたもの」は、自我の把握の仕方であるが、かといって、「自分という確固たる存在」は実在しないものの、あくまでほかのモノとの関係性のなかで定義することはできる。「自分は山本太郎、年齢は40歳」だけでは自分を定義していない。山本太郎は他にもいるし、40歳の年齢の人はわんさといる。
「自分は東大卒」さえも同じで、東大卒などこの世に何万人もいる。となると、自我とは、「これは大切だと思うものを集めた関係性そのもの」ということになる。鏡に映る自分はあくまで、「自分の一部」であり、カメラや他者の目に映っている自分も、「自分の一面」でしかない。自分も含めた誰が、何時に自分の総体を知ることができよう、不可能極まりない。
自我というものが単一の言葉で定義しきれない以上、自我とは複数のものとの関係のなかで成り立っているものであろう。自我というものが単一の言葉で定義しきれない以上、自我とは複数のモノとの関係のなかで成り立っている。このように自我を把握することこそが、「自分自身を客観的に見る」ことではないか。芭蕉のいう自分の客観視も以下のようなことであろう。
自分の中に突如として起こる激情や悲哀感情を、もっとも起こるはずの時でさえ起こさず、その状況を他人ごとのように眺めることで心の平穏を得る。これはしばしば自分も用いる手法である。例えば先般のような、いきなり暴言を吐く来客があった場合もそうだ。人によっては怖がったり、腹が立ったりするだろうが、こういう人はあらゆるバカの要素を示している。
本人がそういう様相を示しているわけだから、笑ってあげるのが正しい。芭蕉の言葉には彼一流の現実逃避が、「風流の精神」に辿り着いたことを感じさせられるが、それはきわめて強い精神力を要する理知的な現実逃避であろう。風邪を引いたり、高熱で療養できない苦しみの中にあって、そんなときでさえ芭蕉は、「風流の精神」で俳諧の素材として眺めようとした。唐突な出来事に腹を立てたり、情緒に陥って感傷的になったり、あまりの喜びに酒に酔い踊り高ぶる時でさえ、「風流の精神」で現実逃避できる達人はそうそう居まいが、芭蕉は稀有な人であった。芭蕉が武士であった事を知る人は少ない。先祖代々の武士ではないが、父・松尾与左兵衛は、「大阪夏の陣」の後に、武士となる夢をもち、伊賀上野に居を構えた人である。
与左兵衛自身の夢を果たせなかったが、彼は三男金作を藤堂良精の嗣子・良忠の小小姓として出仕させることになる。金作(後の芭蕉)10歳の時であった。ところが金作23歳の時に藩主良忠が病で他界した。金作は、「二君に仕えず」の気持ちで藤堂家を去ったといわれている。その意味で芭蕉の俳諧は現実逃避的意味あいがある。以後、芭蕉は心と悟りの深遠な世界を旅する人となる。
自分とは何、いかなる者か、どこから来、どこへ向かおうとするのか、これは哲学的命題としても取り上げられるが、自分が知る自分は永久に自分の一面であろう。したがって自身について、「正しい客観法」とは、「自分という確固たる存在は実在せず、あくまでも自分と関係のあるものとの関係性のなかでのみ成り立っている」という自我のあり方を自覚すること。
人はみな自分として生まれつが、真の自分になるべく時を重ねて生きていきながら、真の自分を知らぬままに人は自分を終えてしまうことになる。運命や宿命という言葉が文字が躍る昨今だが、日本人は、仏教によって「宿命」という認識を得た。それは、「宿業」とか、「宿世」という言葉で表される。平安時代前期の仏教説話集に、『日本霊異記』というのがある。
薬師寺の僧景戒が著したもので、仏教の教えを判りやすく具体的に語るその中に、「宿業の招く所にしてただ現報のみにはあらじ。徒に空しく飢え死なむよりは、善を行い念じむには如かじ」とある。こんにち生きている自分の生涯は、自分の過去によって決められる。自分の死後もまた、自分には分からない、"仏の世界"に導かれる。という教えである。
仏教の教えが正しく、真実であることもないが、「現在の状況は何らかの原因があってそうなっており、現在の状況もまた何らかの原因となって別の結果を生み出す」という「縁起」思想が根本にある。ここから、「過去の因縁によって現在は左右される」という、一種の諦めに結びつく。「宿業」という発想は、文教によって日本人が初めて手に入れたものという。
不倫真っ盛りとおぼしき現代だが、禁断の恋などいつの時代にもあった。『源氏物語』においては、主人公の光源氏を中心に、さまざまな男女の恋が、「宿世」として捉えられている。男女が出会ったのも宿世なら、互いに求め合わずにいられないことさえも宿世であり、つまり早い話、不倫も宿世であるなら仕方ないと納得してしまうが、宿世も都合よく捉えられるものだ。
「現在の自分の力では物事はどうにもならない」とする、「宿業」や、「宿世」という考えは、消極的でマイナス面を生む点において好まざるものだが、事実、平安時代末期には、「仏の道が衰え、悪が横行する世になる」との末法思想が流行する。これは、「どうせ自分の力では何も解決できない」という仏教的宿世観が、悪い形で現れた現象ともいえるだろう。
宗教は矛盾に満ちている。善きこともいうからには必ず裏の面もあり、まさに表裏一体を示している。先祖崇拝や法要などについての矛盾を抱えたままの現代仏教である。親鸞は、亡き父母などの供養のために念仏せよなどと、一言もいっていない。しかるに真宗は法事を奨めるが、「仏教に耳を傾けることこそが真宗の法事の意味」というのは苦しき詭弁である。