その前に、今井絵理子は政治家なのか?政治家とは、「政治に携わる人」をいい、ならば国会議員はまさしく政治家であとう。政治家は政治活動をすることで報酬を得るが、寝転んでいても国会議員身分として歳費を得ることができる。政治家の仕事は難しいのか?政治家としての功績を残すべく一生懸命に政治活動をしようとするなら、知識も勉強も必要だ。
が、たいして頭のよくないタレント政治家も多く、彼らでもできる仕事なら誰が国会議員になっても問題ない。ただし、国会議員になるためには、色々な方法があるが、タレントであるのは重要な要素であり得る。国会議員になるためには国政選挙に立候補して当選しなければならず、そのためには知名度のあるタレントは、集票力の点では有利であるのは間違いない。
政治家になるための方法をあげると、①秘書になる(公設・私設)、②党員になり青年局などに入る、③政治塾(政党または民間主催)を経る、④公募に応募する、⑤タレント候補になる、⑥官僚・公務員からの転身、➆首長から転身、⑧単独で立候補などがあるが、それぞれに有利・不利はある。なかでも無所属の新人候補が当選するなどあり得ないといっていい。
漢の高祖劉邦に仕えた陸賈(りくか)は、若い頃に儒学を修め、論客として外交を担当した。劉邦が項羽を破って天下統一した後、儒家嫌いで知られた劉邦に対して、儒教の教典である、『詩経』や、『書経』を盛んに引用し、様々な進言をした。そんな陸賈を目障りと感じる劉邦はある日、「私は馬上で天下を取ったのだ。詩経や書経にかまっておられるか」と叱り飛ばす。
それに対して陸賈はこう放つ。「馬上で天下をお取りになっても、馬上で天下をお治めになれましょうか」。良薬はまさに口に苦し。ついには劉邦も陸賈の言い分の正しさを認め、『新語』の編纂を命じる。これを現代のタレント議員に当て嵌めると、「人気や容姿で政治家になっても、人気や容姿で政治が行えるのか」である。タレント議員の使命は人数合わせに過ぎない。
党がタレント候補に白羽の矢を立てるのも、政治手腕を期待してのことではないが、だからと言って下半身の緩さまでは掌握しきれない。当選して政治家にはなったが、「当選することと、政治の実務を行うのは別」である。醜聞が露呈した時点で対処するしかないが、例えば今井絵理子に票を入れた選挙民でさえ、彼女の政治手腕に期待したわけでもあるまい。
「衆愚政治」とは、古代ギリシャ時代から言われていた言葉で、民衆をうまく利用する扇動政治家によって行われる政治のことをいう。アリストテレスが政治理論の中で、民主政治を「堕落した大衆による政治」として非難したのが「衆愚政治」である。とはいえ、完全なる民主的な選挙というのは、「ド素人がド素人を選ぶこと」でもあるから、問題は個々の資質による。
今井絵理子が可愛いから投票した人ばかりではなく、期待して票を投じた人の信頼を裏切った事にもなろう。そもそも今井絵理子に限らず、政治のど素人が国会議員になりたい理由は、歳費や議員年金による生活の安定であろうくらいは、誰でも想像できる。今井は2015年に同じSPEEDの島袋寛子と結成した新ユニット「ERIHIRO」がサッパリ話題にならなかった。
9月に発売された新曲『Stars』(avex trax)は発売1週間での推定セールスが約4,400枚程度と惨敗もあって、柳の下にやすやすとドジョウは泳いでいないと自覚したようだ。島袋は絶対に音楽一本でやっていくと、沖縄音楽からテクノやジャズにまでチャレンジしたが、今井はSPEED時代と変わらず稼ぐ手段にしか見てなかったようで、あっさりERIHIROの活動から降りてしまった。
その当時彼女が周囲に対し、『国会議員に当選すれば年収1億円だって!』などと政治家転身を喜々として話していたという。動機はどうであれ、口に出す出さないにかかわらず、カワイ子ちゃんタレントを当選させるのは選挙民である。だから、今井が金銭目的で政治家を要望すること自体が悪いとは思わない。彼女に限らず、そういう動機での立候補者はいるだろう。
元芸能人のカワイ子ちゃんが、一生懸命に声を枯らして選挙演説をし、忌憚なく握手攻めにでれば、一票いれてやろうかいなと、これが衆愚政治そのものである。候補選びの党でさえ、「彼女が政治家に向いてるわけはなかろう」などと、「×」を挙げるわけもない。とにかく受かりそうな候補を立てて党員が増えればいいと、これこそが衆議政治である。
選ぶ側もバカなら、立候補するのもバカ、支持する人もバカ、と全方位丸く収まっており、責任の所在はどこにもないない。ある種の使命感を持って政治家になったはいいが、寝食を賭して勉強し、知識も増やせど、所詮は十把一絡げの党員、一山なんぼの党員に過ぎないというなら楽をして、必要な時にだけ挙手をしておけばいいと、それが政治家の実体かもしれない。
どこぞの法務大臣ではないが、「法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから。『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と。これはいい文句ですよ。これを使う、これがいいんです。分からなかったらこれを言う。これで、だいぶ切り抜けて参りましたけど、実際の問題なんですよ。しゃべれない。『法と証拠に基づいて、適切にやっております』。
この二つなんですよ。まあ、何回使ったことか。使うたびに、野党からは責められ。政治家としての答えじゃないとさんざん怒られている。ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話。法を守って私は答弁している」。大臣をしてこの体たらく。これを地元の選挙民の前で堂々としゃべるわけだから、いかにも選挙民と一蓮托生であることか。
「大臣の政治報告会にいったら、こんなくだらないことを恥ずかしげもなく話やがった。がっかりだし、うんざりだ。もうあいつには票を入れない」という骨のある人間がいたのか?政治家も舐めたものだし、選挙民も舐められたものだが、どちらも舐め合ってそれで成り立つ関係だ。今井絵理子の不倫疑惑はやりたいお年頃とはいえ、国会議員である。脇も甘いが股も緩い。
速度違反取り締まりと同じで、まさかのつもりが見つかってしまった。慌てて対処するが、どんな言い訳を弄したところで信憑性はない。「一線を越えてない清い関係です」だと?清い関係とは言わないまでも、一線を越えてないなら清い関係だ。現場を見たものはいないが、信じるか信じないかの問題だが、こそこそ逢引を週刊誌にスッパ抜かれた後での発言とあっては…。
信じろという方が土台無理。相手は離婚係争中とはいえ妻帯者、それでも好きなら、「現段階では一線を超えることなく、清く、愛を深めるために交際している」と、事前に発表するなら信じてやってもいい。それなら公言した手前、清い関係を堅持したかもしれない。が、それでも新幹線の中でお手てつないであの寝方、あげくホテルから出てくるようではダメだ。
ホテルに泊まって七並べでもするのか?もうちょっとイイコトあるだろ?いい年こいて純潔を主張しようと弁護士の菊地幸夫氏は、「裁判ではその言い訳は通りません」とにべもない。何もない関係なら、堂々と行き来すればいいが、こそこそがバレて何もなかったなどは羞恥千万。誰もいない一人の部屋で、いかに美人と言えども、屁を我慢する女はいない。
同じことではないか?誰もいないところで、誰にも分からないであろうとの前提の元で、やらないことが美しいのだ?やっても分からない、やらなくてもわからない、なら一人で部屋で屁をコクのと一緒でやってしまう。我慢して音を出さないよう、括約筋を調節するより、ぶっ放した方がスッキリする。キスもしない、乳は揉んだが、一線は超えてないだと?笑うしかない。
笑われようがどう思われようが、政治家の不倫となると辞職ものだ。前例もある。だから、一生懸命に口裏を合わせ、男にとっては酷な嘘を額に汗をしながらも頑張る姿は辛いだろうな?男は、こういう見え透いた嘘をつけないもので、あえてそれを通すことで女を守る。ベッキーではないが女の嘘など屁でもない。どう思われようと恥じないしたたかさこそが女。
自分は男だから、今井を守る市議の辛さは心苦しく同情する。誰も信じない嘘をRつかねばならぬのは男にとって拷問である。嘘をつくくらいなら死んだ方がマシというくらいに、世間の非難がかぶさる。男は憐れ、可哀相な生き物だ。狡猾で大嘘つきくらいが、自民党の総裁や幹部にうようよいるが、こういう奴も腹立たしいが、「悪人は世に憚る」ということか…
それより今井が自民党から立候補した時点で疑問を抱く沖縄県民。当選直後に沖縄米軍問題について意見を求められ、「これから勉強します」と答えたが、彼女のようなノンポリにとっては、何処の党でもいい当選すればであろう。歌手でありながら歌に熱のなかった彼女には政治への熱もあるまい。比例代表制の御利益とはいえ、何で今井絵理子が国会議員なのか?