秘書をすごい口調で罵る音声が発覚した豊田真由子衆院議員(42才)。中高は女子御三家の一角を占める東京・桜蔭を卒業し、東大法学部を経て厚生労働省の官僚となる。名門ハーバード大学への留学経験もある彼女は、2012年に自民党の公認を経て衆院選に出馬して当選。国交省で働く夫との間に2人の子どもをもうけている。しかし、今回の騒動で自民党を離党した。
罵倒音声発覚後は、心身症により入院中である。豊田議員の怒りを炸裂させたのは、バースデーカードの送付ミスだった。これについてナインティナインの岡村隆史は暴言を浴びせられていた元秘書に対し、「なかなかちゃうかな」と、元秘書にも問題があったのではないかと話した。同様の意見は多い。44才の女性は豊田議員の気持ちが少し理解できると話す。
「47人分の宛先とカードの中身を間違えるなどあり得ないミス。なぜそんなことが起きたのかと怒りたくなる気持ちもわかります」。などといい、罪を憎んで人を憎まずというが、問題にされたのはミスをした相手のしかり方であって、豊田議員の罵声に耳をすますと、「頼むから私の評判を下げるな」などと言い、恥をかかされたことに怒り心頭が、「このハゲ~」である。
「彼女はプライズコレクターですね、きっと」。そう指摘するのは、豊田議員と同じく東大卒の国際政治学研究者のしゃべくり瑠麗こと三浦瑠麗氏。「自分の中にやりがいがなくて、外から与えられる賞や名誉を集めたいのでしょう。バースデーカードも彼女にとっては、心からの気持ちではなく、大量のカードを支援者にきちんと送っている自分を愛するための道具にすぎません。
おそらく、彼女は東大に頑張って入った人。それに今も、自分の能力が仕事に追いついていないのでしょう。だから余裕がなくて怒鳴ったり殴ったりするのかもしれません」。などとしゃべくる(いや、分析する)。“努力”していい学校を出て官僚になり、“努力”して政治家になった豊田議員は、その栄光を秘書のミスによって台なしにされたと感じているのだろうか。
だとしたら、東大とは無縁の凡人には到底理解できない心の痛みに違いない。『すぐ感情的になる人』の著者で精神科医の片田珠美氏は、「傲慢症候群」の特徴を以下指摘する。「彼女の言動には強い特権意識、そして想像力と共感の欠如が認められます。豊田さんと同じく東大法学部を出て議員になった務台俊介議員も、被災地の視察で長靴を忘れておんぶさせた。
あの行動も、エリートだから少々のことは許されるという特権意識からくるものでしょう。また、エリートはあまり痛い思いをしたことがない人がほとんど。だからエリートなんですが、それゆえ他人の痛みが想像できないことも大きいと思いますね」と指摘、「傲慢症候群」だけでなく、衝動制御障害の一種である、「間欠爆発症」の可能性もあると片田氏はいう。
「衝動制御障害の場合、怒りと攻撃衝動を自分ではコントロールできません。きっかけは些細なものであっても、それに釣り合わないくらい激しく爆発してしまうのです。この症状の人は、飲食店でけんかになって相手に怪我をさせるとか、職場でちょっとしたことでキレて上司を殴るといった、『そこまで怒るか』という怒り方をするんですよね」ということらしい。
ただし本人が自覚していないことが多く、余程のことがない限り病院に行くことはないという。別の意見として、脳画像診断医で医学博士の加藤俊徳氏は以下のように分析する。「そもそも豊田さんには怒り癖があり、怒らずに済ませることを知らないのではないか。洗濯をしていても何をしても、頭の中でいつも怒りを持って、それは自分に対してもあるのでしょう」。
果たしてこれが個人の特性として片付けられるかというと、「実は感情に鈍感である方が、勉強ができるんです」と、加藤氏はいう。「その理由は脳にあります。頭がいいのに、相手の表情や空気感をつかめず、商談や交渉事で相手を怒らせるタイプの人がいますが、こうした人の脳をMRIで見てみると、扁桃体とその周囲が発達していないことが多いんです。
扁桃体は感情の記憶や情報の処理に関与している部位で、例えば近しい人が亡くなったとか愛している人にフラれたとかの悲しかった記憶や、親が怒っている様子などはここで処理するんです」。なるほど、高学歴の人は扁桃体とその周りが発達していないために、喜怒哀楽など感情の機微が乏しくなる。身の周りの才女の感情欠落に心当たりがある人も多いのでは?
たび重なる失言で辞任を迫られ、内閣改造まであと1週間というタイミングで昨日辞意を固めた稲田朋美防衛大臣だが、彼女も早稲田大卒の弁護士である。少し風変わりなファッションやメイクを好み、国際会議の席では自らを、「グッドルッキング(美人)」と称したこともニュースになった。ナルシストでありながら、どこまでも他人事のようにふるまう資質である。
豊田氏、稲田氏、ともに周りからどう思われてるかなんてまるでカンケーないと言わんばかりの不敵さである。よほどの強心臓と思われているが、実はこれ、頭がよすぎることに起因するという。「凡人は、勉強を始める前に、『これは難しいなぁ』、『今日は気分が悪いし』と、感情によって意志が影響を受けつが、感情が鈍感だとそう思う間もなく勉強をする。
行動が感情に邪魔されないんです。だから知的な人は周囲とうまくいかない場合がある。頭がいいのに表情や空気感をつかめないんです」と、加藤医師はいう。つまり、極端に頭がよければ、遠慮して怒りを抑え込んだり、こんなことを書いたらかえって迷惑かな…などと忖度したりすることなく、気に入らないことがあれば豊田議員のように当たり散らして怒りをぶつける。
桜蔭、東大で豊田議員の同級生だった田中絵里緒さんが、フェイスブックに、「豊田真由子さんと私の関わり」というあまりに赤裸々な、8000字もの文章を綴っている。二人はともに1993年4月入学、同法学部を1997年3月卒業した。中1、中2のときは別のクラスで、互いが知らない存在だったが、中3で同じクラスになったところから交流が始まったという。
「いくらなんでも暴露しすぎでは。ホントに親友なの?」などの批判も寄せられていたが、スーパーエリートたちからすれば、他人のことをいちいち気にして、あれこれ感情をぶつけるなどはナンセンス。田中氏の発言を炎上させている人たちこそ凡人に他ならない、というエリート至上的な見方もあるが、読んでみると決してそうではない目から鱗の内容だった。
「女の敵は女」などという言葉は、2流~3流女に比べて、優秀なるエリートほど顕著かもしれない。ともあれ、豊田議員の暴言と暴力は国民の支持を得、範たる側面を有す政治家に許されるものではない。ただ、一連の言動が明らかになった裏に、「学びがあった」と三浦氏は指摘するが、田中氏の文にも受験勉強の裏で、社会オンチであった東大生を余すことなく書いている。
「最初は、なんてひどいことを言う人なんだろうとしか思えなかったのですが、彼女のおそらく無理をしてきたであろう半生を知ると、お受験で東大に入れるような仕組みをはじめとした日本社会、それから人の育て方を変えないとならないと思うようになりました。大事なのは人間力、そして、それに深みを与えてくれる教養だと思います」と、これは真摯な自己批判である。
巷で言われるほどに、豊田議員を肴にした自己顕示の発露とは受け取れない内容であり、友人の悪口を書き漁る意図で書いたとは思えない、友人を配慮する一面も感じる素直な文章である。あからさまな批判は読解力の欠落であるが、確かに、「キレると人の迷惑だし、嫌われる…。頭のいい私達はそんなことは分かり切っています」などは誤解を受けるかも知れない。
こういう書き込みは自身に驕りがある場合、あえて控えて書かないものだが、「頭のいい私達」は、東大生という世間的な価値基準から相対的に表現していると思われる。だからと言って、東大生だからと言って、自分で頭がいいというか?」という批判は沸くが、それを怖れぬ客観的視点で書く文章も大事である。やっかみの多くは、底の浅さと言えることが多い。
曽野綾子に、『善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか』なる著書があるが、田中氏の一文も、『エリートが平気で他人を困らせる理由』に言及されている。最高学府出身者にあって、こうした辛辣な自己批判こそが内なる人間性に挑み、さらには高めようとするものであって、そうした信念を前にする誹謗や抽象などの批判については、むしろ微笑ましく感じるもの。
「同じ穴の貉(むじな)」とはいったものだが、同じ穴で育っても、穴から巣立ってどういう価値基準を見出すかによって人間はまるで変る。先日取り上げた大石静の、『ふたりっ子』ではないが、双子の姉は幸せを外的条件に求めて虚飾に生きるが、妹はプロ将棋の世界で地道な努力と研鑽の上に、内面的幸せを積み上げて行く。選択一つで人生はまるで別ものとなる。