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他人への助言は無用 ①

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「毎日よく書くことがあるね~」といわれたりする。が、一つの記事を書くと次が頭の中で生まれている。一つのことを思考すれば別のことが派生するのは必然で、毎日変わったことが起こる必要はない。思えば小学校の夏休みの、「絵日記」は、何かが起こらないと書くのは大変だった。だから無理やり何かを、「起こす」のだが、無理やり起こす何かの不自然さである。

無理やり何かを起こしてまで宿題と称し、小学生に日記を書かせる意味はなんだろうか?朝顔の観察なんかしないで嘘っぱちを書いた。ラジオ体操もあまり行かなくてゆっくり寝た。どちらも子どもを朝早く起こさせようという意図が見え見えだからで、その点において自分はのっぴきならぬガキだった。ハンコを自慢する奴もいて、それはそれで子どもの可愛さだろうが…。

作文を嫌がる子どもは多く、特に男の子は元気で快活で、走り回る方が彼らの理に適っていた。女子はそれほど嫌がってはなかったが、400字詰め原稿用紙が恐怖に感じる奴もいた。作文を嫌がる子どもに革新的な作文授業を指導する教師がいた。まず、生徒全員を校庭に引率、一回りして教室に戻ってくる。さあ、「外に出て感じたこと何でもいいから書きなさい」と教師。

ところが各自に渡される原稿用紙はなんと一行である。原稿用紙一行は20字のマスだが、教師は前もって切って用意し、それを生徒に配るのだ。「えええ、たったのこれだけ?」、「少なすぎる~」、などと騒ぎだす子どもたちに教師は、「みんなは作文がきらいなんだろう?一行だったら嬉しいんじゃないのか?」などという。これは何というか、逆転の発想である。

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子どもの作文を見ると、無理やりマス目を埋めるために、「今日は…」とか、「僕は…」とか、「楽しかったです」といった不必要な文字、言葉が散見される。孫の作文を見ながら、「書き出しの、『今日は』と、『ぼくは』と、『楽しかったです』は絶対に書くな、書かないようにしろ」と言ったことがある。「今日の日付なのに、『今日は』なんかいらんだろ?」

「人が書いてるんじゃない、お前が書いてるのだからわざわざ『ぼくは…』なんか必要ない」。「大して楽しくもない普通のことなのに、『楽しかったです』と書いても、全然楽しそうなのが伝わってこないけどな」などと、指導というよりも茶化しだが、爺の言葉を真に受けたのか、言われた手前、それらの言葉は見えなくなった。男の子は分からせ、納得させるのがコツ。

山本五十六海軍大将には、「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めめてやらねば、人は動かじ」という有名な名言がある。母親がギャーギャーと喚くだけで、いうことを聞き、動く男の子がいたら彼の将来はヘタレだろう。男の子には論理的に、納得いく説明が必要だし、「自分ができないのにうるさいよ」に対する正しい論法を母親は用意しておくことだ。

さて、人の人生はその人だけのもので、他人がどういういうべきものではない。この当たり前のことが解るまでに50年を要したろう。他人のことにあれこれ口出ししたことが今に思えば懐かしい。悔やまれるというほどのことでもないから、懐かしいということになるが、「俺は他人の干渉は受けない」、「余計なお世話だほっといてくれ!」と言い張る人間もいた。

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それすらも懐かしい。思うにそうした奴はどこか不幸だった気がする。本人も自覚していたし、だから頑なに助言を拒んでいた。助言になるかどうかも分からないのに、人の心配をするから言いたくなるのだろうが、彼が拒むようになったということは、迷惑な助言だったのだろう。他人のことなのに、放っていけないと友人づらをするところも若気の至りだったろう。

不幸のどん底状態にありながら、他人の助言が救いになることなど、全くないともいえないが、そうそうあることでもなかろう。あの時の彼は、「なぜか自分は人に嫌われるし、誰からも好かれない」ということでだった。数日前に恋人から、「あなたとはやっていけそうもないのでお別れします」と言われたという。女は別れにそんな言葉をいうものなのかと驚いた。

事実なのだろうが、あまりに率直であり、あまりに配慮のない言葉である。そんなことを面と向かって言われたらそれはショックだろう。彼は同性にも好かれないというし、確かに彼が好かれないところはなんとなく分かっていたが、自分は彼のそういうところを理解していたから、付き合いは続いていた。彼の性格を一言でいうと、何でも自分一人でやろうとする。

相談することはなくてもいいが、他人と助け合おう、支え合おうというところが彼にはない。そういう方法を学ぶなり習得するなりすれば、誰からも好かれると思うが、彼はいつも自分が一番、自分が正しいと思わなければ不満であり、さらには自分の思考を基準に人間関係を考えるところがある。であるから、他人のちょっとしたことでも自分と違えばすぐに不満が沸く。

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他人への不満をよくこぼしていた。例えば、彼も将棋をするが、終盤で必敗の局面になったときに、優勢を意識した相手が無理をすることなく、ゆっくり勝ちを楽しんで指すのが気に入らないらしい。腹に据えかねると、「こっちは首を差し出してるんだから、さっさと詰ましたらどうなんだ!」というようなこともいう。あげく自分にも水を向けて不満や悪口をいう。

「こんなに大差になっているのに、ゆっくり駒を取ったり、普通はそんなことするか?」と、そういう性格だから嫌われるのに、そこが彼には分かっていない。何度も言い含めたリするが、自分の考えを変えられない憐れな奴。相手が盤上の駒をどうしようが、どういう手を指そうが全くの自由なのに、自分の考え通りにやってくれないと気が済まないし、腹も立つという。

必「敗で勝てる見込みがないなら、投了すればいいだろ?それをしないで、じわじわ指そうとする相手に文句をいうなど、自己中も甚だしい。相手は悪くないのに、お前が気に入らないだけだろが」と、これほどの正論を言っても頭に入らない。「苦情だけはいうな、逆転の見込みがなくても指したいなら、どんな目にあっても文句はいうべきでない」などと言えば…

「そういうものではないだろう。自分ならさっさと詰まして終わりにするけど」と、自分のこと以外に頭が回らない。彼には何を言っても耳に入らないと知りつつ、それでも耳に入れるかも知れないという期待を込めて彼にはいうが、言った後は、「やっぱり、言わなければよかった」となる。その繰り返しだが、いつか分かる日を期待している自分だった。

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恋人に、「あなたとはやっていけない」と言われて、同情する気もないし、そんな言葉をかけることもない。何を言ったか覚えてはないが、「自分の性格を直すべき…」という無駄なことは言わず、「去る者は追うべからず。自分から去っていく女に未練など抱くな」くらいいったのではなかろうか。ところが、彼の心情からすれば、火に油を注いだのかも知れない。

今まではなかった、「ほっといてくれ」という言い方をされたとき、もう彼には関わるのは止めようと思ったが、耳に入れるつもりはないにしろ、助言をいう自分を彼は重宝しているのは分かっていた。もう誰も彼には口を開かないし、それは彼がそうさせたのだが、これで自分までもが無視をするなら、彼は社会の只中に彼の居場所はまるでなくなってしまう。

それは明らかだったが、「ほっといてくれ」というのは、最後通告の言葉とすべきか否かを考えた末、しばらく取り合わないことにした。彼がどうするかを見て、それで最終決定をするつもりでいた。たった一度の人生を、周囲に嫌われていきるのも不幸過ぎる。とっつきにくい性格だが、全てに見放なされたらそれこそ孤立無援の彼である。が、性格は直らないだろう。

直そうとしないから直らないし、それに尽きる。「あなたとはやっていけそうもない」の言葉を置いて女は去っていったが、自分が彼から去るというのは、言葉こそ置かないものの、同じ言葉と彼は受け取るだろう。「やっていけないわけではないが、(そんな彼と)やって行く必要はない」そんな心境だった。友人にしろカップルにしろ、続くにはそれなりの理由がある。

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ひと言でいえば、相手の価値観や考え方をどれだけ受け入れているか、あるいはそれに付き合っていけるかということに尽きる。人はそれぞれが考えが違う。その違いをどこまで理解し、どこまで受け入れるかだろう。受け入れられるかどうかで、二人の関係は決まる。自分の価値観を相手に押し付けるのではなく、相手の望む自分である方が、相手は居心地がいい。

が、自分のことだけで相手のことなど考えない、考える余裕もない不器用な人間もいる。見方を変えれば、そういう人間は不幸であろう。相手の価値観を受け入れる、相手のことを考えるとはいっても、相手のわがままに付き合うというのではない。相手の価値観を理解し、その考え方に自分の価値観を乗せて行くのであって、わがままは価値観でも何でもない。

わがままに対しては、「それはわがままというもの」と、遠慮なく指摘すればいい。わがままなんか聞くこともなければ、受け入れる必要もない。人と対等に付き合うためには毅然とした強さもなければ、わがまま女に振り回されてしまうだろう。好きな相手とはいっても、媚びへつらう人間に強さはない。強さとは克己心であると、自分には言い聞かせている。


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