死を選べるなら何で死にたい?こんなことを60過ぎたオッサン(いや、じいさんか)が、まともに答えるわけもないが、若いころはこんなくだらない会話をしたものだ。選べるハズもない死だからするだけ無意味だが、若いさというのは無駄も含めて有り余る時間に恵まれている。当時は、「がん」がもっとも悲惨といわれていたし、がんで死にたいというのはなかった。
「ぽっくり心臓麻痺がいい」が圧倒的だった。理由は、「痛いのは嫌だから」であり、それ程にがんの痛みは浸透していた。自分は面白可笑しく、「腹上死」と言って笑いを誘う。女の子に向けて、「お前が上なら腹下死になるな」と、こんなことを言っただけで顔を赤らめる、そんな奥床しき女が多かった。今の女子高生が内股で自転車をこぐのは見たこともない。
なかにジャージの半パン履いてるからといっても、どこか怖いものを見せられているようだ。心臓麻痺でポックリ死ぬってのは、苦痛の無い死に方というだけで、着の身着のまま、いきなりポックリは何の整理もできないから選びたくない。死が分かっていても、カウントダウンのある死の方が、「生」の整理ができるだろう。死は恐怖であっても、それがいい。
突然死は、死の恐怖を避けられる意味もあるのだろう。「自分の最後は自分で決める」といっても、どんな病気かを選べないし、歩道を歩いていてトラックが突っ込んでくる、あるいは飛行機にのっていて落っこちる、あるいは北朝鮮からの核ミサイルが飛んできての爆死かもしれない。病死か事故死かの想像もできないが、とりあえず病死、それもがん死について考える。
先日他界した小林麻央さんは、在宅ホスピスであったようで、自宅で看取られるメリットというのは病院のベッドよりは比較にならない高いQOLに満たされるだろう。昨今は、年間死亡者数の8割が病院で亡くなるといわれるが、40~50年程度前は8割以上が自宅で死を迎えている。この逆転現象は世界に類をみない、日本だけに起こっている事態であるといわれている。
ふと思うのは、病院は(救急搬送を除く)怪我や病気を治療するところであって、死を迎える場所なのか?という疑問である。患者がの、「病院死」がこれほど主流となっているのは、何か合理的な理由があるのかもしれない。「人生の最期は、でき得るなら住み慣れた家で過ごしたい」、「最期まで自宅で自分らしく生活もしていたい」というのは、ごく自然なことだろう。
が、そうすることで家族に迷惑がかかる、完全看護の病院の方が家族への負担も少ないなどから、患者が遠慮することは大いに考えられる。この期に及んで自分のわがままをいうのも気が引けるというのは分からなくもない。人生の最期において、一番必要なものは、「治療」ではなく、自宅で過ごす、「生活」ではなかろうか?病院と自宅…、どちらが気兼ねかの問題もある。
病室とはいっても、ゆったり個室だと差額ベッド代もかさむし、同室であれば他の人に気も使うであろう。同じ病人であっても、個々の生活レベルによって格差は必然であるし、個室を希望しても満杯で入れないということもある。ならば、「トイレも気兼ねなしに…」、「好きな時間にお風呂に入れる…」、「娘や孫たちと一緒に食事ができる…」など、在宅が勝っている。
それとは別に患者自身が病状の変化に対する不安から、病院に入る方が何かと安心という人もいれば、まったく回復の見込みもなく、余命いくばくもない患者においては、残された時間を有意義に過ごすためにも在宅がいい。あとは在宅を受け入れる家族の愛情であろう。人によっては、「病院にいてくれる方が都合がいい」というそんな家族もないわけではなかろう。
兄弟が親をたらい回しにしている。長男が次男や三男に押し付けるなどの話を聞くと、それならいっそ病院の方がいいという場合もある。末期がんで余命を1~2か月と区切られた場合は、ほとんど寝たきり状態で食も細くなり、もはやそういう患者の場合こそ、自宅で自身のペースで平穏に最期を過ごせる、「在宅療養」こそが、人間らしい最期ではあるまいか?
普通に考えれば、「在宅で看取る」というのは、病院に比べて家族にとって大変であり、重い負担を強いるように感じられるが、町中には外来診療と在宅医療を専門とする町医者といわれる医師がいて、週に1~2度の往診と緊急時の電話番号を聞いて、後は訪問看護師に委ねるのが一般的である。つまり、在宅での患者の生活を支える主役は、実は訪問看護師である。
がんの終末期というのは、ほとんど食べられないし、水分も取れない状態になる。病院ではがんでもがんでなくても脱水はよくないと、1日1000~2000mℓもの点滴を注入されるが、人間の終末期の脱水はむしろ自然なことで、もはや身体が水分を欲さない状態であるという。終末期における緩やかな脱水は。「省エネモード」移行であると指摘する在宅医もいる。
最小限の水分やエネルギーでも、人間は問題なく生命を維持できるといい、脱水の方が胸やお腹に水が溜まらず、腹水を取るなどの苦痛も軽減され、むしろ長生きするという指摘もあるくらいだ。人間は昔から、「枯れるように死んでいく」と言われたもので、病院のマニュアル化した無用な点滴漬けや、過剰医療は苦しみを増大させるだけとの批判もある。
『平穏死 10の条件』や、『家族が選んだ平穏死』の著者でもある長尾和宏氏は兵庫県尼崎市に「長尾クリニック」を開業する在宅医である。医院のホームページには、「在宅療養支援診療所」として、訪問看護、ケアマネジメントを含めた総合的な在宅ケアも提供しています。とあるが、長尾氏も市立芦屋病院勤務時代には、延命治療を重ねた病院医であったという。
その長尾氏が「延命医療」の考えを変えた芦屋病院時代のある患者について記されている。「咽頭がん終末期のその患者さんは、何も食べられないにもかかわらず、点滴一切を拒否されました。一週間も持たないだろうなと思っていたら二か月も生きられたのです。最期は苦しむことなく、枯れるように死んでいかれました。私が初めて経験した、「平穏死」は衝撃でした。
人間には、筋肉や脂肪をエネルギーに変える能力もあり、少量の水分だけで何も食べなくても1か月ないし、数か月間は生きられます。その上さらに飢餓状態になると脳内にモルヒネ様物質が分泌されるので、意外に本人はハッピーなのです。病院の偉い先生は、病気の診断・治療の専門家であって、看取り専門ではないので、こうした死への自然過程をあまり知らない。
僕自身、最期まで延命医療を施すのが全体的な善と思っていましたが、今に思えば余計な医療で患者を苦しめていたんです。あの患者さんから死を学び、考え方が変わりました」と長尾氏はいう。人間が死ぬということは、神経がある以上どうしても苦痛から解き放たれることはない。自然死といわれる老衰であっても、死の直前には苦しみを伴うといわれる。
骨粗鬆症の患者さんであれ、寝たきりになれば背中(脊髄)に激痛が走るという。したがって、ホスピス施設や大病院だけでなく、在宅医療や地域の療養病床においても、緩和医療は欠かせない場である。逸見政孝氏や今井雅之氏や小林麻央さんの末期には相応の緩和ケアが施されたようだ。今井氏にあってはもはやモルヒネも効かず、壮絶な苦しみであったという。
が、長尾氏の言うように、最期は歯を見せてにこやかな笑顔だったという。人の最期が悶絶ではなく幸福というのは、何とも人体の不思議であろうか。ジャーナリストの竹田圭吾氏も51歳の若さで亡くなったが、彼はテレビにコメンテータとして出ていながら、体重の激変ぶりを視聴者に晒しながらもがんを告白しなかった。「聞かれないので言わなかった」と本人はいう。
2015年の夏ごろは別人と見まがうほどの激痩せで、誰の眼には異常さは伝わったが、9月になって番組の関連もあって、「実は私もがんで闘病中です」と唐突に発言した。あの時期はもう覚悟を決めたカミングアウトであったろう。そうして、恥も憚らず画面で妻に「、愛してるよ~」と、これまでの理性的で冷徹な彼らしくない、彼の真の内面を晒したのが印象的だった。
「この際、怖いものはない。冥途の手土産に言ってみよう」そんなことを自分は想像した。照れることもなく、電波を私物化することに臆することもなく、きちんとメガネも外して、真っ直ぐテレビを見て、「愛してるよ」の言葉は心に響いた。竹田氏は2016年1月10日に他界したが、前日の9日に妻裕子さんは病室に泊まるが、看護師に促され、二人の子どもを病室に呼んだ。
妻が、「お父さんに伝えたいことがあったら今だよ」といい、二人の子どもは思い思いに父に言葉をかけた。裕子さんは、「今まで本当にありがとう」としか言えなかったが、その言葉を言った途端、涙がとめどなく溢れてくる。涙が止まらない息子に竹田は、「泣くな」と言った。小康状態となった竹田を囲み、三人は竹田の呼吸に耳をそばだてていたが…
裕子さんはくるべくその時のことをこのように書いている。「呼吸の数が少しずつ減ってきた。間隔がどんどんあいていき、最後に呼吸が止まってしまうことも容易に想像がつく。看護師さんからもそう言われた。でももう一通りのことを昨夜やってしまったからか、穏やかにいられる。息子はずっと主人の手を握っていたが、何がきっかけだったのか、気づくと泣いていた。
「『泣いているのをお父さんはわかったみたいで、手を握り返してきて、その間は呼吸も早くなっていた。夜に泣くなって言ってたでしょ。だからまた泣くなって言ってるんだと思った』と、後で教えてくれた。入院して五日目、本当に眠ったまま逝ってしまった。」自分は父の死に居合わせられなかったが、想いは伝わったはず。それぞれの家族には、それなりの善い死がある。