前立腺がんで浮かぶは映画監督の深作欣二と将棋連盟会長の米長邦雄。このお二人は自他ともに認める性豪の称号がある。深作が前立腺がんを診断されたのは1998年だから68歳であった。荻野目慶子は公然の愛人であり、不倫関係にあった彼女との性生活に支障がでると、抗がん剤やホルモン療法を拒否、放射線治療に専念したが、脊椎転移で2003年1月12日死去。
前立腺がんのなかで、もっとも根治が期待できる治療法が、「前立腺全摘出術」であるが、乳がんの乳房全摘が女性にとって身を削がれる思いであるように、男にとっても前立腺摘出は男根の勃起不全という後遺症を覚悟しなければならない。命を取るか女を取るかということだが、深作は女を取った。これは王手飛車をかけられて、飛車を逃げて王を取られると同じ事。
68歳にしてそんなにやり足りないのかと思うが、35歳も若い美女と同居するとそんなもんかなと…。前立腺を取ってSEXできないなら生きていてもしょうがない、だから王を逃げずに飛車を逃げ、それで死んでも本望かと。と周囲は言うが、そうそう簡単に死ぬなど思ってはいず、放射線療法で治ればとの目論見と理解する。治るものなら乳房を取りたくない心境と似ている。
米長氏の場合も主治医は全摘を奨めたとある。彼はブログに、「癌ノート」があり、最初の書き出だしは、「これから述べることは、私が前立腺癌とどう向き合ったかを正直に書いてゆくものです」とある。「1月10日、2008年12月15日に放射線治療を行いました。高線量率組織内照射(HDR)と称する治療である。午前と夕方の2回行う。翌16日は一日様子を見て17日に退院」。
とあり、簡単にいうなら、前立腺を摘出せず、一部分を焼いたということでしょうか。生検方法はいろいろあるが、肛門から管を入れて先端のハサミで前立腺内の細胞を切り取るのが一般的だ。米長氏は、PSA(前立腺特異抗原)値の推移について記している。07年3月2日 PSA4.40、07年10月1日 PSA5.08、年が変わって、08年3月4日 PSA7.26と、PSA値は上昇している。
米長氏はPSA値が7.26に上がって初めて生検を受けている。その結果、12か所採取して組織の8個はセーフ。4個が癌と判断したとの報告を受けた。癌だからといって、すぐに手術や放射線治療の選択をということではなく、医師は、「骨に転移しているかを調べましょう。万一骨に転移していますと前立腺とは全く別の話になります」とし、骨シンチグラフィー撮像を言う。
骨はその形を維持しながら、常に新しい骨組織に置き換わっている(破壊と再生を繰り返す)が、骨に病気が発生すると、この破壊と再生のバランスが崩れ、骨を作りすぎてしまったり(骨造成、骨硬化)、作らなかったり(骨吸収、溶骨)といった現象が起こち。骨シンチグラフィー検査はこの骨造成を反映する検査であり、がんの骨転移の有無を検出するのに利用される。
がんが骨に転移しているかどうかは、がんの治療を進めていくうえで重要な情報となる。検査方法は、まず骨シンチグラフィーの薬の注射を行い、薬剤が全身に浸透する注射後3時間ころから約30分程度の撮影を行う。画像の矢印が示すように、肋骨、胸や腰の背骨、腸骨、仙骨などに黒い部分が見えるが、これは前立腺がんの骨転移病巣に薬剤が集まり画像として見えている。
米長氏の骨シンチグラフィーの結果は、「左大腿部に転移の疑いあり」となり、再度MRIを使った精密検査を行う。米長氏は同じ検査を別の病院で行っている。結果は、「前立腺内に血が少しある」、「前立腺に癌らしきものを発見」、「骨は癌ではない」。骨には異常がないのが判明し、前立腺癌と直接向き合うことになり、担当の医師は全摘を勧める。以下、一問一答。
「あのうー。前立腺を全部摘出するとアッチが役に立たなくなるんでしょうか」
「はい。少し可能性はありますが、諦めてもらうことにはなります」
「この種の癌は進行が遅いと聞いていますが」 一応私も抵抗するのですな。
「おっしゃる通りです。あなたが75才過ぎであれば放置をお勧めします」
「放置?何もしないということでしょうか」
「その通りです。75才過ぎですと、癌の進行も遅く、前立腺癌によって死亡するよりも他の要因つまり脳出血とか心筋梗塞とか、交通事故とかの死因も考えられます。放置していても、それによって死に至るよりは違うことになりそうですから」
「それでは64才の私が放置はどうなんでしょうか」
「放置だけはいけません。あなたはあと10年は社会的に活躍すべき人です。ですから何らかの手当てを講じる必要があります」
「先生はどうして全摘を勧めるのですか」
「医者は患者が自分の診察した病氣で死ぬことが一番嫌なのです。私はあなたが他の要因で死ぬのであればともかく、前立腺癌で死ぬことだけは避けたいのです」
「先生、ひとつ質問があります」
「どうぞ」
「75才になった時は多分アッチは役立たずになっていると思います。役に立たなくなったのに全摘しないで、まだ現役なのに全摘して駄目にするとはこれ如何に」
「私は医師としての立場で申し上げているので、あとはあなたがお決めになることです」
担当医と問答の結果、米長氏は一応は全摘と心に決めたものの、同じ前立腺がんの諸先輩などの意見を聞き、インターネットで体験記などを読むなど、文献をあさったという。その結果セカンドオピニオン外来を受けることにした。現在の病院に許可をとり、了承を得、渡されたすべてのデータをもって別の病院に行く。セカンドオピニオンの費用は2万円であった。
その結果、セカンドオピニオンの医師からも全摘がベストと告げられた。米長氏は踏み切れないままに全摘経験のある4歳上の先輩から体験を聴いた。先輩の話によれば全摘は男としての一番の楽しみがなくなるうえに、尿もれの後遺症があるなどの情報を得た。「いいか米長。絶対に切るなよ。小線源療法に限る」という先輩の言葉を元に米長は、「小線源療法」に傾く。
「小線源療法」とは、これは前立腺の中に針を埋め込む手法で、その針から一年くらいの時間をかけて放射線を放出して癌細胞をやっつける。体内の針は永久に残つが、それ自体は困ることにはならない。文献で得た知識をもとに米長は担当医に「小線源療法」を願い出たが、「残念ですが、それはお勧め出来ません」と、医師はハッキリと米長にこう告げた。
その理由を医師はこう述べた。「あなたの癌の位置が問題です。右側と左側の両方に2ヵ所づつあります。これはもしかすると全体を覆っているかも分からず、小線源では弱すぎます」。ようするに、小線源療法が適しているケースも少なくないが、それは癌の部位や状況により、米長氏には適さないという。それでも最後は自分で決めるが、この時点では善悪正誤より選択であろう。
医師は預言者ではないので、リスクに応じた可能性を言うが、患者は希望的な可能性を望む場合が多い。医師を信じて結果に殉じるか、自分を信じて結果に責任をとるかだが、自分を信じて医師を無視して、悪い結果になった場合に医師に文句を言うのも人間である。医師に頼りたい、が、自分も信じたい。こうした二律背反に人は悩む。松田優作と医師とのやり取りが浮かぶ。
優作のような人間には、他人に下の世話は人間の尊厳否定に通ずる羞恥心があったのだろう。ガンによる痛みは一層激しさを増したが、「痛みは我慢するから、麻薬は止めて欲しい。頭をクリアにしておきたいんだ」と、彼は医師に告げた。そうしたある日、彼は信頼していた医師と衝突する。それは優作と医師との以下のやり取りが原因だった。
優作: 「これからはどんな治療でもやってみたい。先生、二人で病気を治していこう。」
医師: 「残念だが、治療の段階は、もう過ぎています。」
優作: 「そんなに悪くなっているのなら、どうして、あなたは言ってくれなかったんだ。それだったら、俺はジョイナーとのテレビドラマなんかやらなかったかもしれない。ジョイナーとは一緒に仕事したかったし、村川監督とも久しぶりに組みたかった。だけど、基本的なメリットは、それだけだった。それほどひどい状態だと分かっていたら、俺はタバコもやめて、酒もやめて、きちっと自分で努力していたはずだった。何でちゃんと言ってくれなかったんだ。」
医師: 「病状については、お話してあったはずです。お酒やタバコをやめ、節制して治るものなら、とっくに勧めていましたよ。」
改めていうが、医師は霊能者でも預言者でもない。さまざまな症例やデータから、症状の動向を予測し、未来のことを患者に話す。が、患者の描く未来はさまざまあって、必ずしも医師と同じ未来を共有するとは限らない。近藤氏の理論や発言もまったく標準治療を無視したものではなく、すべてのがんをひとくくりにせず、進行がんか否かを見極めると進言する。
たとえば胃潰瘍という病気を診断した医師が、「胃潰瘍は放っておくとがんになりかねない」、「がんになる可能性があります」などと、片っ端から胃の切除を行った時代がある。予防という名目の必要な手術というが、それが本当の予防であったかどうか、医師に根拠があったわけでもなく、病変は切除しておくに越したことはないという医師の判断が優先的に尊重された。
潰瘍がん化説は、はるか昔からあったもので、顕微鏡で検査すると、ときに潰瘍の縁に粘膜内がんの小病巣あり、それが潰瘍がん化説を補強したと近藤氏は述べている。しかし、潰瘍がん化説は因果の順序がまったく逆であった。つまり、粘膜内がんが先に発生、それが潰瘍化していたに過ぎない。こうした因果の順序を医師が誤り、良性潰瘍切除の口実を外科医に与えた。
その結果、日本全体で数十万人が、胃袋を摘出されてしまったが、現在では潰瘍がん化説は廃れ、胃潰瘍で手術することはほとんどの場合においてない。胃潰瘍はストレスなどの原因で胃酸過多から胃の粘膜が胃酸によって欠損(穴があく)状態で、がんとは何の関係もない良性疾患である。それを放置しておくと悪性化し、がんになるというのが潰瘍がん化説であった。
人間は根拠のないこと、まやかし的なものを信じる傾向にあるが、それが心霊や宗教などのバックボーンによるもので、そこに立ちはだかったのが科学である。科学は宗教と相いれず、ダーウィンの進化論が、創造者であるろころの神を否定し、愚弄するものだと大騒ぎになった。宗教はまた、太陽は地球の周りを回っていると大きな間違いを容認したこともあった。
キリスト教カトリックは長い間進化論を否定したが、1993年10月23日、ローマ教皇ヨハネ・パウロII世は、「新たな知識により、進化論を単なる仮説以上のものとして認識するにいたった」と公式に教皇庁科学アカデミーに対して述べた。教皇は、神様のみが人間の魂を造ることができることを支持するならば、創造と進化は矛盾なく、両立すると語ったのだった。
ガリレオの時代、ローマ・カトリック教会は、異教である天動説やアリストテレスの思想を取り入れていたが、ガリレオの発見は、それらの思想に挑むものであったが、聖書の正当性を問うものではなかった。ローマ・カトリック教会は、ガリレオ事件において、完全に間違っていたと証明されて以降、新しい科学概念に関する議論には慎重にならざるを得なくなった。