小林麻央さんが長い闘病から解放された。彼女の痛みや苦しみがどれほどであったかを想像するのは難しいが、死が彼女を救ったのだと感じた。人の死は悲しいが、人の死はまた苦しみを和らげるもの。おそらく彼女は、どうしてこんなに苦しまなければならないのかを日々実感していたし、この苦しみを耐えることが良い方向に繋がると信じたこともあったろう。
が、いつしか苦しみの果てには悲しい現実が訪れることも予感していただろう。その思いは麻央さんのみならず、親族家族の誰もが共有するものであった。苦しみの果てにあるものが生か死かは誰にも分からない。病による数多の死を看取ってきた主治医をはじめとする多くの医療専門家においては、症例から死の予兆は想像できたはずだ。そして、想像は現実となった。
彼女が闘病中のさなかに、彼女には何が大切なのかを考えてみたことがある。生死を分かつ重い病であるという前提で、ときおり公開される症状などから類推し、末期がんという病からの完治や回復は奇跡に近いと感じていた。そういう中で、彼女は何が大切なのだろうか。同じ境遇にならないとも限らない自分が、どうあるべきかを見立てた疑似体験でもあった。
健康体である自分のあらゆる想像力をもってしても、直面する死についての現実的な思考などできるものではないし、彼女が何をすべきかは彼女が考えること、彼女の肉親が考えること、また彼女の主治医が専門家として考えることでもあるが、宣告された余命にどう向き合い、どのように日々を過ごすかが難しい問題であるだけに、自分なりの答えを模索した。
がんがあちこちに転移し、体中に巣食っている状況下の苦痛や心労は想像に絶するが、そういう時にこそ人は祈るのであろうか?誰もが認める人間の有能さも、病魔に襲われれば取り付く島もない。それを悟ったとき、やはり人は祈るのだろうか。神を信じる人も、信じない人も同じように祈るのだろうか?「なすすべもない」人間にとって、祈りは行為となるのか?
人は闘病にあって、その病気がどういうもので、現在はどうなっていて、先行きはどうなるのかを知るのは権利である。今自分がどこにいて、どういう状況下に立っているかを知るように、見えない体の内部を知ろうと患者は主治医に問う。同じように近親者も問う。主治医は患者本人に告げる場合もあれば、告げない場合もあるが、近親者には真実を告げるだろう。
告げる人、告げない人を医師が選定する根拠は何であろうか?昔は不治の病は告げないことになっていたが、その理由は、死の宣告を受けた患者の驚きや悲しみや絶望を配慮してのことだった。今は違うようだ。何も知らず、知らされず、死ぬというのは患者に対する配慮というより、患者の知る権利を冒涜するものとして、告知義務違反で訴えられる可能性もある。
したがって、告知はいかなる場合でも行われる義務であり、告知をすることは患者の区別なく正しい。そこに配慮という感傷は立ち入るべきでない。現在の医療はが緩和治療を含めた患者のQOLを重視する体制であるなら、将来的に緩和療法に移る場合にこ告知がなされてないと、「手を抜かれた」と、患者や親族から誤解を招く恐れがあり、医師との信頼関係が保てない。
真実を知らせることを医師のモラルとしたのは、「なぜ患者に知らせた」、「それでも医師か!」などと感傷的気質の親族、あるいは患者からも鬩ぎを受ける事態があったからだ。したがって、「確実に病が命を奪う」という宣告であっても、患者の葛藤や苦悩の先に生きる意味を見つめたり、大切な何かに気付いたり、権利としての患者の理解がされたことになる。
病と闘うことは、破壊と再生というヒューマンドラマであり、ゆえに小説や映画の題材として取り上げられることも多い。自分たちの世代で真っ先に浮かぶのは、『愛と死を見つめて』である。大学生河野實(1941年生まれ)と、軟骨肉腫に冒され21年の生涯を閉じた大島みち子(1942年生まれ)との、3年間に及ぶ文通を書籍化したもので、大ベストセラーになった。
マコとミコの愛称と二人の純愛物語は多くの日本人の心に宿った。64年1月にラジオドラマ化され、4月にはテレビドラマ化され、9月には吉永小百合と浜田光夫の日活青春コンビで映画化された。記憶をたどると、当時の周辺では見なければいけないような雰囲気があった。2006年には草剛と広末涼子でテレビドラマ化、3月18日・19日、前・後編2時間半枠で放映された。
今となっては風化した物語であるが、1冊の本が日本を揺り動かした。53年も前だが知らない人はいない。大学3年にしてわずか1年間で126万部の大ベストセラー作家となった当の河野實氏は、当時の印税で3400万円を手にした。現在の貨幣価値で5億円と言われている。純愛のヒーローとして脚光を浴びた河野氏だが、単独で大金を手にした彼をマスコミは叩き始める。
現在76歳の河野氏だがそんな彼の口から出る言葉は、「マスコミはヒーローを作り、叩いて儲ける商売」と辛辣である。 ヒーローには人知れぬ労苦もあったのだろうが、マコとミコの事は、「そんなこともあったな~」くらいで、自身においても風化している。さて、死を前にして生きる人の気持ちというのは、正直どういうものかよく分からない。想像はすれど理解は遠い。
さらには、34歳で人生を終えるというのも想像し得ない。自分の人生が34歳で終わっていたら…と思うと麻央さんには申し訳ないが、それも自分の罪ではないし、麻央さんの罪でもない。生きとし生けるものはすべて死するが、その早き、遅きに不平等を感じる。人の命に平等も公平もないが、それを運命などとは思わない。自然の摂理であり、人間は自然に生きている。
よって、自然に死ぬのも人間だ。「今日で自分の一生が終わるが、それでいいのか」という問いは、そういう状況になれば必然かもしれぬが、自分が死ぬということなどを夢にも考えなかったよりは、いくらか死への準備はできていよう。おそらく麻央さんもその準備はあったのではないか。では、死の準備というのは必要なのか?これが最初に提示した問題である。
不治の病を実感し、闘病する人が考えるべきことが、ここにあるように思う。それが、死への準備であろう。準備もなしに、突発的な事故や意に沿わぬ事件などで、命を落とす人もいるが、そういう人に死の準備も何もない。「余命を宣告され、明日の死を待つというより、いっそバッタリの方がいい」という人はいた。「苦しみながら死ぬのは嫌だ」という者もいた。
確かに人の死はいつの時代も関心事だが、こんにちほど「死」が話題になり、論議もされる時代も珍しい。勿論、「生きること」、「いかに生きるか」がテーマであった時代もあるが、近年は「いかに死ぬか」、「クオリティ・オブ・デス」という言葉が盛んにいわれはじめている。「クオリティ・オブ・デス」の見地に立てば、がんは幸運な病気であるということになる。
確かに若いがんは進行が速いが、それでも心筋梗塞や脳溢血でバッタリ倒れて意識が無くなる死に比べて、自分は有難い病気だと思う。確かに死が襲い来るという恐怖はあるが、そこをどのように考え受け入れるかが、「クオリティ・オブ・デス」でもある。人は自分の死を淡々と迎えることができるのだろうか?できるなら、それに越したことはない。
散々な目に合ってきた人なら、「人生疲れたけど、これでやっと休めるか」という気持ちで死に臨めるかも知れないが、それ程の苦労もない人間にとっては、一日でも多く、明日の命を永らえたいだろう。ましてや麻央さんのように30代なら何をかいわんやである。60代の自分と30代の彼女は、当然にして死に対する考え方の違いはあろう。自分には30代の死を想像し得ない。
同じように麻央さんも、60代の死に対する考えを想像し得ないだろう。違いはあろうが、死ぬということは同じである。幼子二人を抱えて、差し迫った子どもたちのランドセル姿も見ることのない、それ以後の事も…と考えると、「いたわしい」以外に言葉はないが、さりとてそれが命運であるなら、如何ともしがたいことだろう。言っておくが、「運命」と、「命運」は違うものだ。
「運命」は人の境遇や力量に関係なく、幸・不幸を与えたりする力のこと。まえもって定められたものをいい、「命運」とは、命そのもののこと。「命運尽きる」とは、命が終わることをいう。運命を変える方策はないが、命運を変えたり伸ばす手段はある。現在の医療は、延命については高度な手法を持つが、だからといってやみくもな延命が意味のあることか?
医療としての延命に釘をだすのが上記した、「クオリティ・オブ・デス」の考え方である。生まれることに選択の余地はないが、せめて死ぬときの自身の選択はあってもよいのではと考える。終末医療が緩和される時代になったが、それでも身体に感じる違和感や苦痛から解放されたいというのはあろう。このままベッドの上で苦しむなら、いっそ死んで楽になりたい。
生きてることの意味、価値を考えると、ただ生きながらえることは自分的には無意味に思える。親族・肉親の顔をみるだけの、「生」にどれほどの意味があるのか?どれほど自分が執着するのかは、今の時点で分からないが、「生かされる」ではなく自ら、「生きる」ことを選びたい。健康体のときに何を言ったところで、死に向き合う人の言葉の方が現実的には重みがある。
報告会見は見なかったが、家族の悲嘆は想像できるし、家族とはちがう自分なりの受け入れ方があればいい事。病気の人や悩める人の心の痛みや苦しみは、家族親族外には伝わらないし、家族にさえ伝わらないものもある。孤立した悲しみや苦痛を激励で癒すこともできないし、ならばこの痛みや苦しみは、自らが背負うものと思えるとき、その人は何倍も大きくなっている。
麻央さんは感傷的にならず、明るく、背伸びをすることなく現実をしかと受け止めているようで、何より大事にしたのが日常であった。そんな彼女の意思を家族は受け止めているようだったが、悲しみを乗り越えることも必要である。言葉として浮かんだのは、「忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ」。刹那を生きた麻央さん、ごくろうさまでした。