「笑い話に涙あり」、「涙話に笑いあり」どちらも、「涙」の経験はないが、気持ちは理解する。夏川りみのヒット曲、「涙そうそう」の詞は、森山良子が急死した兄の想いを書いたもの。「涙(なだ)」も、「そうそう」も沖縄の首里方言で、沖縄の方言を用いた理由は、ある番組でBeginと一緒に曲を作る事となり、Beginから送られてきたタイトルが、「涙そうそう」だった。
「涙そうそう」とは、「涙がとめどなく溢れる」との意味で、森山はこれまで心にしまっていた兄への想いを、一晩で一気に書き上げたという。Beginの曲であったが、2000年の沖縄サミットで彼らが歌うのをテレビで観ていた夏川が、「これこそ自分が歌いたかった曲」であると、Beginのライブに行ったときに楽屋を訪ね、「この歌を私にください!」と直訴した。
Beginの比嘉は、「まあ、そうあせらずに」といって、夏川りみ新しい曲を書いた。しかし、夏川はどうしても、「涙そうそう」を歌いたく、再度Beginに、「歌わせてほしい」と、頼み込み、了承を得た。レコーディングに立ち会った比嘉は夏川にいった。「りみちゃん、そんな歌い方じゃ、お客さんに全然伝わらないよ」と、森山がこの詞を書いた経緯を伝えたという。
それを知った夏川は別人のようにこの曲を歌いあげたという。「愛別離苦」とは仏教の「八苦」から取られた言葉で、親子や夫婦、兄弟など、愛する人と生別や死別の苦痛や悲しみである。毎日、この国で、世界のどこかで沢山の人の死が報じられる。そうした知らない人の死もいたわしいが、やはり人間は、自分に近しい人の死に触れると、とめどない悲しみに襲われる。
自分の命はもちろん自分のものであるが、自殺などで命を投げ出す人はどれだけ自分を愛してくれている人を悲しませるだろう。もちろん、不治の病や不慮の事故で命を落とすことさえも、変わらない悲しみや苦しみを与える。一人旅断つ死者は死後の時間を共有しない。死にゆく人も無念だが、悲しみという点においては、残された者の方が大きいかも知れない。
しんみりした場の状況などを例えて、「なんだか通夜みたいだな」などの言い方をするが、通夜の起源は釈迦の入滅後、悲しんだ弟子たちが遺体を見守りながら、死後7日間、釈迦が生涯をかけて説いた説法を弟子たちが夜通しお互い聞き合ったという故事による。日本の仏教における通夜は、「線香や蝋燭を絶やさず、親族が一晩中起きて遺体を守る」というのが一般的。
「通夜振る舞い」という風習は、酒やビール、寿司などを別室にて遺族から弔問客へ振る舞う食事会のようなもので、お礼の意味が込められている。地域の風習もしくは個々の通夜への考え方もあって、飲んで踊って大騒ぎをする通夜もある。一見、遺体を前に不謹慎なようでもあるが、それなりの理由がある。遺体を一晩置くのは、生き返る事例は珍しくなかった。
死んだ者が生き返るわけがなかろう、というのは医療の発達した近年の考えで、そうでなかった時代には仮死状態を死とされたこともあった。つまり死人が生き返るのではなく、死んでいなかった人間が、「一体なに事じゃ?」とばかりにムックリ起き上がっていたといえる。これは喜ばしいことというより、当時は死人が生き返るというのは恐怖であったらしい。
経験はないが、いわれてみると死んだ人間が生き返るというのは、さすがに怖いことかも知れない。通夜で寝ずの番をするのは、生き返るかどうかを見守るとともに、皆が酒を振る舞って大騒ぎするのは、死人が生き返る恐怖心を紛らわすためであった。年端もいかぬ子どもが、親の通夜に酒に酔って大騒ぎをする縁者・近隣者に怒りを覚えたと聞いたことがある。
肉親の死を経験した者には、まさに眠っているようにしか見えず、今にも起き上がりそうな感じで見守ったりする。それこそが肉親の情愛である。自分は父の死が受け入れられず、遺体を布団に3日間置いてもらったが、時間とともに変化するの眺めていた。もっとも顕著に変化するのが眼球で、瑞々しい眼球が干からびて行く様は、もはや死を現認するしかなかった。
涙のなかに笑いは持てなかったが、友人などには明るく振る舞えたのは、自分にしかとケジメがついたからで、その様子を友人の方が驚いていた。「お前、大丈夫なんか?」とかけられもした。あれを、「盤石」というのだろう。周囲に哀しい素振りを演出する人もいるのかもしれぬが、遺体の前にひざまずき、流した涙は多くとも、自らを悟った人間には強さも宿る。
慟哭過ぎ去り自身にケジメがつけば、めそめそ、くよくよはしたって始まらない。そういう切り替えは培ってきた理性の賜物であろう。その場に及んでじたばたする人間も好きではなく、天下を目論んだ信長の、「是非に及ばず」と、同じく覇権を目前に散った項羽の、「天道是邪非邪(天道是か非か)」だが、これほど武将の最後の言葉にに相応しいものはなかろうかと。
本能寺における、「是非に及ばず」は、この場に及んで善悪を論じても意味はない。襲うというなら戦うのみ、との意味。これは有名な、「直江状」(上杉家家老直江兼続が家康に宛てた書状)にも同じ文言がある。これほど家康をコケにした文書はない。項羽の、「天道是か非か」は意味が違って、「天道は正しいのか、正しくないのか」と自らに問うている。
自分は、「天道非邪」の考えを信奉する。儒教で聖人とされる伯夷は、「天道に親無し。常に善人に与す」と説いているが、天が常に善人の味方ではない。これは『老子』第79章にも書かれている。「自然界の動きとは非情なもので、善人も不善人も区別なくうちのめす時がある。が、長い年月の間には、善人の味方であることが証明されるだろう、と、老子は信じていた。
時々にはいろいろあるが、究極的には天は悪より善に与するだろうと老子は信じたものの、長い年月に於いてのことゆえに、「である」というよりも、「ではないか」ということだが、自分には天がどうであるか、正直分からない。分からない問題について答えを出すなら、「天」など存在しないということになる。在るのか無いのかの天について、「無い」を信奉する。
人はいろいろだから、分からないものはとりあえず、「在る」と、分からないものはとりあえず、「無い」という人に分かれる。どちらも、「とりあえず」だから、確信ではないが、これを論拠にして思考を組み立てる。とって、お化けも神も信じないスタンスである。確かに世の中分からないことだらけであり、「何を信じていいか分からない」という人もいよう。
「信じるものは正しいものであって欲しい」、誰もが望むことだが、これは誰にも分からないことなので、信じたものが正しくなかったり、信じた人に裏切られたりも世の常だと見切った方がいいのではないか?つまり、誰にも分らないことは自分にも分からない、だから何かを信じてみるが、それが正しくなかったという結果によって、はじめて知ることになる。
それでは嫌だからと、最初から正しいものを目論んで、宗教を信じたリ、スピリチュアルカウンセラーなる人の言葉を信じるのもいいが、それらが本当に自分に即しているものかどうかも疑わしい。自分で答えを出せない人は、誰かの何かを信じるのだろうが、それについて自分で答えを出せる自分は何も言えない。自信のない人の気持ちが分からないからだ。
自信とは、言葉通り自分を信じること。自分を信じる代わりに責任もとる。自信のない人は、自分が信じられず、できたら責任も取りたくないのだろう。だからといって、人にあれこれいう人が責任を取ってくれるわけでもない。そういう人にお金を払って言葉を得るのは、どうなのだろう?商品なら、お金を出すものには責任を取ってもらえるが、言葉にそれはない。
そのような論理を組み立てると、自己責任で完遂するのがよいように見える。自分に取って、「自己責任」という言葉ほど煌めくものはないからだろう。自分のことは自分で考え、自分のことはでき得る限り自分で行う。人を頼り、人に期待しても相手に責任をどう取ってもらえるというのか?そこが分からない。果たして人が人の責任を取れるのか?にも帰結する。
自分的には、単純で明確で分かりやすい生き方に思えるのだが…。世の中、名だたる大企業であれ、政治家であれ、責任を取りたくない人が多いようだ。おそらく、権威・権力を有する人たちの、しがない無様な生き方であろう。自分にはそのようにしか見えない。それらを総合すれば、責任を取らない企業の商品は買えないし、責任を取らない人間の命令は聞けない。
そうはならないのか?必然的な論理と思うのだが…。嘘ばかりつく親の言いつけは聞けなかったし、誰でもそうすべきではないのか?そういう毅然とした生き方が、強い生き方ではないのか?自分のことだからよく分かるから、言いもし、書きもするが、自分は強く是は是、非は非と定めて強く生きたいが、幸いにして過去、「是非に及ばず」というほどの経験はない。