豆腐について記事を書くとは正直思ってはなかった。豆腐は嫌いな食材であったが、何が好きとか嫌いとか、そうした個人的なことは自分で分かっており、何の問題提起の必要もないこともある。「あまり日常的な周辺のこととか書かないんですね」といわれたことがある。いわれて気づいたくらいで、意識はなかったがそういう事に目がいかないからだろう。
日常生活や周辺の身近なことに目がいけば書いてると思うが、いわゆる個人の日記みたいなものにワイワイつるむのは男の分際ではないのかも知れない。「井戸端会議」という言葉は男にはないということだ。自分と自分の周辺の人間関係に興味を持つ女性と違い、他のブログを見ても男は巨視的である。巨視とはマクロともいい、事物を全体的に観察するさま。
または、人間の感覚で直接に識別しう 程度の大きさを対象とするさま。の意味もある。小さい細々したことより、大きな観点で事物を考えたい、扱いたい、というのが男的であって、「大物になりたい」という言葉も男に向けた言葉である。「大物」とは、器量の大きいすぐれた人物。を指した言葉で、かつて野坂昭如のCMで、「俺もお前も大物だ!」というのがあった。
「大物」は、とかく男の憧れの言葉である。釣り人が、「今日は大物を逃したよ」なども耳にする。抽象的な言葉だが、大物の反義語は「小物」である。「小者」ともいうが、「者」も「物」の類との意味で「小物」で人間を現す。したがって小物とは、人間としての度量や魅力に欠けた人物のこと。くだらない人間。という意味で言われ、使われる言葉である。
なぜか、男は「大きい」ということに拘りがある。男に向けて「大きい」というのは誉め言葉である。ナニが大きいだけでなく、大きい人、太っ腹(太鼓腹ではない)な人、声の大きい人など用いられる。「大きいことはいいことだ!」と、これも森永YELLチョコレートのCMであった。「大きい」は、男の感性を揺さぶるのは間違いなかろうと、自分は見解する。
「小物」は屈辱的な言葉である。「奴は小物だ」、「小物は黙ってろい!」といったりする。あるテレビの生番組で橋下から、「小銭を稼ぎのコメンテーター」と揶揄されて激怒した水道橋博士が、「今日限りでこの番組を降ろさせてもらう」の言葉をのこして退出した。怒るのは本心を突かれたからで、惨めな醜態晒して後で言い訳に終始するのを見ても小物である。
言い返すこともせずブチ切れて逃げる水道橋をつまらん男とするのは男の見方であろう。大体番組の終了間際になって、「橋下さん、冒頭で小金稼ぎのコメンテーターと言われたんで、ぼく今日で番組降ろさせていただきます」とぶ然とした表情で席から立ち、「(小金稼ぎとは)違います。それでは3年間、ありがとうございました」と右手を挙げて去るって無様すぎる。
水道橋個人ではなく、「男なら遣り合えよ。小銭稼ぎでない信念があるなら怒れよ、つまらん男だな」と番組を観ていた自分は感じたが、あれが水道橋の資質なら仕方がない。後になって橋下を、「自分だって(以前は)そうじゃないか?」は情けな過ぎる。町山智浩は、「大人げないといわれても、人間はバカをやってないとバカになる」という言い方をしている。
確かにそれは言えてる。バカをやるのは理性であるからして、自身を客観的に眺めて笑っていれるが、バカになれないバカは硬直した人で気の毒に感じられる。町山の言うは、あくまで意識的にバカをやる自分を言っており、水道橋のようにマジギレはその限りにあらず。男は相手も容赦ない男であるから日々戦場という場面はあり、それを搔い潜る技術も必要だ。
大体、男は鎧・兜を纏っている分、小心的なところがあり、それらをさらに理論武装で対抗せねばならない。弱点は誰にでもあるということだが、その辺は女性の方が肝が据わっている。淫売女に、「あんた、何でこんな仕事をしてるんだ?」などといってみても、「余計なお世話でしょ。こっちは身体張ってんだから、チンカス男ごときに言われることじゃないよ!」。
などといわれ、「スミマセンでした」は笑える。女を買う男が「何でこんなことを?」というのがバカ過ぎる。なぜなら、「商売女を買う脳ミソしかないんでしょ、あんた?」と思っているからである。それを事前に言わない女は商売人として賢く、いくら客とはいえども、同じ穴のムジナでありながら、そういう事をいう男は恥知らずと言っておこう。
という話はこれくらいにして、男を大きくするのは学問ではない。どういう男の子になって欲しいという願いや希望も親によって様々だが、自分の場合、息子には大きい男になって欲しいと願っていた。願うだけではなく、あれこれ触発したが、最も重視したのが、何でもやらせて失敗を咎めないということだった。「やることの意義」を口酸っぱく言い連ねた。
失敗をあげつらえば委縮するだろう、それが子どもだ。主体的に何でもやってみようという心を育むために、親の不安や心配はむしろ害になる。大きな人間という要素には、「心の大きさ」がある。まずはそれなくして、すべてのものはないと考えた。とりあえず、「器の大きさ」とは、「心の大きさ、広さ」を言う。それは単に「優しい」だけとは異なる。
卑屈な物言いを戒める、人によって態度を変える姑息な人間を批判する、知らないことを知ったかぶりしない、人を責めずに自分に原因を探る、思考の上での反論はいいが、反射的な言い訳はダメ、努力や頑張りを誇示しないなどを箇条書きにして壁に貼っていた。その都度口に出していうより、家訓のように目に見えるところに張り出すのはよいだろう。
「大物になる人」に共通する10の特徴というのがネットにあった。アメリカの「LIFE」誌から抜粋されたもので、だからといってアメリカ人御用達というわけではない。「LIFE」誌は、1936年に発刊されたが2007年、その功績を終えて4月20号を最後に休刊となる。ロバート・キャパ、土門拳ら、有名なカメラマンも同誌で活躍した。以下が大きな人間の10箇条。
1.物怖じしない性格で堂々としている
2.責任感が強く最後までやり遂げられる
3.優れた洞察力を持ち合わせている
4.五感や鋭い直観を生かしてチャレンジしている
5.ひとつの考えに固執せず機転を利かすことができる
6.あらゆる人に対して細やかな配慮ができる
7.自分の時間だけでなく人の時間も大切にする
8.人望があつく、広い交友関係を持っている
9.人からいただいた恩義は一生忘れない
10.迅速な判断力と決断力を持っている
2.責任感が強く最後までやり遂げられる
3.優れた洞察力を持ち合わせている
4.五感や鋭い直観を生かしてチャレンジしている
5.ひとつの考えに固執せず機転を利かすことができる
6.あらゆる人に対して細やかな配慮ができる
7.自分の時間だけでなく人の時間も大切にする
8.人望があつく、広い交友関係を持っている
9.人からいただいた恩義は一生忘れない
10.迅速な判断力と決断力を持っている
個人のことは様々に思考し、羅列できるが、会社という組織にもさまざまな社是や社訓がある。それが良い会社にするということだが、「社訓」が「社則」といわんばかりの道徳的・具体的な細かい羅列を見ることもあるが、以下の社訓はどうだろうか。「本物の男前は あなたを裏切ったりしない」。何とも奇天烈で率直であるが、これが、「男前豆腐店」の社訓である。
「男前」でなく、「本物の男前」としたのは後述する意味がある。男前豆腐店の伊藤信吾社長の家業が豆腐屋だった。彼は家業に興味がなく、大学を出てシンガポールでフカヒレを売る会社で働いたり、築地でバイトしたこともあり、魚屋をやろうと思っていたとき、父とイロイロ話すうちに、父の豆腐製造会社、「三和豆友食品」に営業として入ることになった。
豆腐業界で、自身の世界観を作ろうと思った伊藤だが、右も左も分からず、あげく居並ぶ諸先輩の中にあって最初は大人しくしていた。ところが会社の業績も厳しくなり、商品開発担当の上司が辞めたりもあって、営業経験から今までと同じような商品ではダメと痛感していた伊藤は、営業部でありながらが商品開発を始めた。そうして生まれたのが「男前豆腐」である。
「男前」の意味は単なる語呂合わせだった。ようするに、容器を二重底にしたことで、出荷から数日後に豆腐から水分が切れて固くなることから、「水もしたたるいい豆腐(男)」という連想で名付けたが、ネーミングだけでなく、豆腐の製法も大豆の皮をむくという業界の常識外の製法を採ることで、豆腐は大豆の甘みが強まり、なめらかな味に仕上がった自信作となる。
開発当時は、「汗臭そう」、「名前を変えた方がいい」なども苦言が相次いだが、「豆腐屋さんとは思えないファンキーなホームページが話題になったり、それが個人ブログで商品をネタにされたり、ネット上のクチコミの力が大きく、ヒットに至ったと」彼はいうが、「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」という豆腐らしからぬ名前にパッケージの効果は特筆である。
「商品はスーパーの店頭で売ることにしているので、豆腐売り場で他の商品と一緒に並んで目立つにはどうすればいいか。存在感のあるデザインにし、ブログで話題になることを狙った。お父さんが間違えずに買えるよう、豆腐のネーミングは斬新にし、分かりやすくした」と伊藤はいうが、お父さんが間違えずに買うという細かい発想もなかなかである。
つまり、常時スーパーに買い物に行かないお父さんに対する配慮といっていい。「こうみえて、僕は結構気を遣うタイプなんです」という伊藤は、上に記した、「6.あらゆる人に対して細やかな配慮ができる」の持ち主であり、それ以外にも他の項目にも合致する大物の素質を兼ね備えた大物である。現在は実家の三和豆友食品(三和豆水庵)とは、いろいろあって絶縁状態。
であるが、伊藤の元の会社で父が創業した会社だが、うちが本家とばかりに、「男前豆腐」という商標で販売している。伊藤の実父は退任後、三和豆友食品と男前豆腐店の関係が解消し、男前豆腐店側が三和豆友食品製造のジョニーとの混同を防ぐために、2006年9月初旬から男前豆腐店側は、「京都ジョニー」の商標に変更した。三和豆水庵は以下の見解をだしている。
◎ 三和豆友食品株式会社と男前豆腐店株式会社は、同じ男前豆腐を製造・販売して いるが、現在は別会社であり、いかなる資本関係、製造委託、交流もない。
◎ 二社が同じ男前豆腐を販売しているが、これは、男前豆腐店株式会社・代表の伊藤信吾氏が三和豆友食品株式会社在籍中に、「男前豆腐というネーミング」を行った事、「関西圏での販売等を目的として、男前豆腐店株式会社(当時は有限会社)を設立」した事、その他の経緯を経て、現状に至っている。
◎ 男前豆腐の味を最初に生み出したのは、三和豆友食品株式会社である。
伊藤が独立開業して男前豆腐店を立ち上げたことを快く思っていないようで、文面から対立が汲み取れる。そんなのは消費者には問題ではない。ぎくしゃくした裏話はあろうと、売れた側が勝利するのが商いの世界。「男前豆腐店」の、「男前豆腐」の方が自然だが、三和豆水庵の「男前豆腐」はスーパーで目にしたことがないが、あれば味比べをしてみたい。