子どもの頃に嫌いだった豆腐は、大人になっても好きな食材でなかった。すき焼きに木綿の焼き豆腐は定番だが、入れるには入れるが豆腐は箸が避ける。大体豆腐やこんにゃくには味がなさすぎだし、それが好きになれない理由のようだ。おでんのこんにゃくは食べた記憶がない。ところが、40代、50代頃になると嗜好が変わるのか、豆腐やこんにゃくに手がつくようになる。
好きな物、美味しい物だけを食べるだけではよくない。バランスを考えながら、体に良いものを摂る必要があると、少し利口になるからだ。だから、すき焼きやしゃぶしゃぶの際に木綿豆腐を少しではあるが食べるようになったが、大量に食べるのはやはり 肉・肉・肉…。動物には草食動物、肉食動物の区分があるが牛は草食だ。牛が牛肉を食べたら共食いとなる。
犬はステーキを喜んで食べるが、牛はまさか自分の肉が美味しいなど知らないで生きている。肉に切り刻まれるためだけに生きている牛は、そこを考えると憐れである。したがって動物愛護の究極が菜食主義者に向かうのは理解する。近年、キリスト教圏のセレブたちも高級毛皮を身につけなくなったのは好ましい。「肉食は止めるべき」と、あるベジタリアンは訴える。
が、他人に対して、「肉食は止めるべき」とは決して言わない。本人もそう心掛けている。周囲から、「なぜ肉を食べない?」と聞かれても、「肉が好きでない」とか、「健康のため」とか、適当に答えている。彼は事情を知らぬ人に、ベジタリアンなどと公言はしない。あえて言わない理由の一つに、「日本人とは冷静な議論ができないから…」という理由は頷かされる。
日本人は初等教育時からディベートの訓練がされず、異なる意見の持ち主に適切な対応ができない人が多い。したがって、論理は論理、感情は感情の境界がなされず、意見の違いが人間の好き嫌いにまで移行する。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺があるが、袈裟を考えや価値観とするなら、「袈裟が憎けりゃ坊主憎し」というのが日本人の心の狭さである。
ベジタリアンには動物愛護心を持つ人は多く、先のベジタリアンもその観点から自身の信念を周囲に喧伝していたというが、喧嘩や言い合いにしかならずいつも徒労に終わっていた。その後はガンジーのように無言の平和的レジスタンスに努めていたという。人間の体は生体科学でいえば、肉食種に合致していないという。その理由は歯や腸にあるといわれている。
人間の歯は成人の場合、親知らずを合わせると32本、雑門歯・犬歯・臼歯などがあり、犬歯以外は草食・雑食用なので総合的にみて雑食と考えられる。また、胃腸などの消化器系の長さや機能は、草食に近いといわれている。こんなことを肉好きの人に言ってどうなろう?「ワシには関係ない。お前が肉を食わねばいいこと」と辛辣な言い方をする人もいたりする。
それを辛辣と感じるか、主義は押し付けるものではなく、個々の自由裁量と思うか、公平中立に見れば菜食主義者が信念や知識を披露するのはいいが、押し付けがましい言い方は良くない。権威や権力を持てば人をひれ伏すことができるが、「自分は賢者である」、「神である」といったところで僅かばかりの奇特な人を除いては、狂人扱いされるのがいいろころ。
したがって権威なき主義者の場合、押し付けない方が息を永らえるが、無用に息を永らえたところで所詮は自己満足の領域である。人の価値観を変えたり、心を動かすのは大変なことであり、いかに正しい信念を有し、行為・行動をしてはみたが徒労に終わった人は多い。足尾銅山の鉱毒問題に敢然と立ち向かった田中正造は、愛用のずた袋の中に聖書があった。
キリスト信者ではない彼が、「人を動かすのは宗教しかない」と悟ったというが、宗教とは人間を動かす最高の権威者である神を土台にする。戦後70年を過ぎた。飽食の時代はとどまることなく、世界の隅々の地域の人間の口に魚や家畜などの肉が供給されている。これは畜産が巨大ビジネスになったことを現し、安全性の問題は利潤追求の前に隠匿されやすい。
近年は魚介類の養殖も盛んになったが、確かに漁業というのは大変である。取れるかどうかも分からないのに、体を張ってお金をかけて捕獲に行くというのが如何に不合理であったか。ばかりか、魚資源もだんだん少なくなり、国際的な規制もかけられるなら漁業従事者は死活問題となる。それに対抗する手段として、養殖というのは自然発想でもあり頷かされる。
が、発想は自然であれ、自然の掟に反した行為には不自然なことが必要となる。大きく分けると、①エサの問題、②狭い生け簀の問題、③薬の投与の問題が挙げられる。養殖魚の人工の配合飼料の種類はさまざまあるが、天然魚が普通は食べることのない、脱脂粉乳、鶏卵、小麦粉、米ぬか、大豆油粕、ビール酵母、大豆レシチン、植物油などまで配合されているという。
さらに添加物として、各種ビタミン、ミネラルから酸化防止剤、防カビ剤、増粘剤、乳化剤、PH調整剤、色素まで加えられている。(酸化防止剤、防カビ剤などはとんでもないが、これらの添加物はサプリメントのように、魚の健康に良いと勝手に人間が判断しているだけだ。BSE(狂牛病)が社会問題になるまでは、牛の肉骨粉も飼料として使われていたという。
②狭い生け簀の問題はどうか?広い海を泳ぐ魚にとって、人工的に囲いを設けるのは、どれだけ広い生け簀であれ、魚にとってはストレスとなる。そのために運動量が減った魚は、脂肪たっぷりの成人病状態になっている(食べるほうにしてみれば、脂がのっていて美味しい)。人間の疾病の多くはストレスというが、魚もストレスを与えると病気になりはしないか?
さらに問題なのが③薬の投与。養殖魚介類の病気の治療や予防に使用される医薬品を「水産用医薬品」といい、細菌感染用の抗生物質、寄生虫用の駆除剤、病気の予防用のワクチンなどがある。公的機関が残留検査を行っているが、ある一定の基準値以内はOK、それを超えればOUTという判定をしている。が、流通するすべての魚の検査を行っているわけではない。
かつてハマチの養殖業者が、防護網に付着する不純物の増殖を防ぐために農薬のようなものを使っていたが、業者にすれば自然な発想だろうし、業者は自前の養殖ハマチを食べなければいい。こうした問題は農業従事者にもあった。JAに出す農作物とは別に自家用は有機で作るというのも、善悪を超えた自然発想である。所詮、人の口は人の口でしかない。
薬剤の残留した魚というのは、病気でもないのに常に薬を飲まされていることになり、それを食べた我々が病気になるなら何をかいわんやである。今やほとんどのスーパーに並ぶチリ産の銀サケは、価格も手ごろで日本産時鮭より一般的に親しまれている。時鮭となるものは日本の河川で生まれたサケではなく、ロシア北部の河川で生まれたサケと考えられている。
回遊中に日本の近海に現れた若い個体であり、まだ成長途中で卵巣や精巣も成熟していない。そのため、身肉に栄養素や脂が凝縮されて、非常に美味とされている。一般的なサケの旬が秋であるが、春から夏にかけて捕れるため、時期が異なるという意味で「ときしらず」とも呼ばれる。鮭の身が赤いのは、強い抗酸化物質アスタキサンチンを体内に溜め込んでいるからだ。
鮭の生態は謎の部分が多いが、鮭の一生は泳ぎ続ける生涯であるのは分かっている。川で生まれた鮭がそのまま川を下って海に出て、広い海で数年間を泳ぎ回って生活し、生まれ故郷の川に戻る。川をさかのぼり、産卵して一生を終えるのだが、一生の間にこれほど長い距離を泳ぐ魚は他にいない。最後は激しい流れの川を逆行するという過酷な生涯を遂げる鮭。
したがって、鮭の体内には大量の活性酸素が生成され、鮭にとって、この活性酸素をどうにかする必要がある。そこで鮭は強い抗酸化作用のあるアスタキサンチンを含むエビやカニなどの甲殻類のエサを好んでたくさん食べる。鮭はアスタキサンチンを多く含む甲殻類をたくさん食べることによって、たくさんのアスタキサンチンを体内に溜め込んでいることになる。
川を逆流して上るためには強い瞬発力が必要となるが、実は鮭は白身魚(エサで赤くなるが)であり、鮭の筋肉は耐久力に相応しい遅筋であるべきだが、白身魚故に瞬発力に優れた速筋である。が、大量のエネルギー消費で発生する活性酸素を抑えるために、活性酸素を除去するエサを食べる鮭ってなんでこんなに賢いのか?誰にも教わらない動物の本能は凄いの一言。
以前、チリ産の養殖鮭はエサに色素を混ぜて赤くし、チリ人は誰もチリ産鮭を食べないという風評が出回った。過激な環境保護家による行き過ぎた発言という事になったが、確かに環境保護家には荒々しいのが多い。それだけ熱心という事だろうが、イルカやクジラの保護団体は、捕鯨船に体当たりをするなども厭わなかった。主義主張はいいが狂信的な暴力団体はいかがか。
90年代前半における「過激な自然保護活動」と、「それに関連する言動」が自然保護ブームになり、この時期は日本でも世界でも、「自然の中で住むことが健康にいい」という一種のムーブメントが巻き起こった。クリスチャン・ラッセンの絵画が流行したものこの頃である。ブームが去って以後に考えれば、とても冷静とは程遠いような言論が飛び交っていたのも事実だった。
オカルト・ブーム、スピリチュアル・ブームも同様である。ブームは過激を正当化し、メディアがさらにそれを煽る。そもそも、メディアとかジャーナリズムというのは、まがい物の番人でなければならないが、スポンサーをバックに商業主義に走り過ぎるとこうなる。国民がそれに乗せられ、浮かれることこそ危険で、我々は冷静に物事を自らで検証し、確かめなければならない。
①水族館のシャチやイルカは、すべて自然に返すべきだ!
②ゴルフ場は自然を破壊するから、ゴルフそのものを禁止しろ!
③観光開発計画はすべて絶対悪!
②ゴルフ場は自然を破壊するから、ゴルフそのものを禁止しろ!
③観光開発計画はすべて絶対悪!
無知も甚だしい突発的思考を根拠にする。はじめてゴルフ場に行った人なら、誰しもが木々の意外な多さに驚かされるが、「残置森林比率」というものが自治体条例で定められている。そもそも、「ゴルフは平原でやる」という認識が間違い。ゴルフのOBは、Out of boundsの略で、プレーできる区域外のこと。つまるところゴルフは森がなければ成立しないのだ。