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Channel: 死ぬまで生きよう!
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もしも明日があるならば…

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「歴史に、『もし』はない」と言われる。「もし」の話は、どうとでも展開できるから答えがない。「だからつまらない」と言うことだが、それはそれで一つの考えであろう。よく聞かされた話に、「私たち夫婦は運命の糸で結ばれていた。だって、何千万人の中から選ばれたんだもん」というのがある。「過去はすべて必然だ」というのも一つの考えに過ぎない。

そういう話になると、「そんなバカな…」といつも自分は否定していた。「運命は決まっているものではなく、自ら作って行くもの」という考えでいる。もちろん、自分の考えも一つの考えに過ぎないが、運命は予知も予測もできず、すべて結果論で言われることをいいことに、「過去の一切は起こるべくして起こった」というのは、まさに後出しじゃんけんそのもの。

ある歴史学者が同じようなことを述べていた。信長⇒秀吉⇒家康は必然であったと…。これもすべてが分かっているから、必然のように見えるだけだ。何事も決めつけたがる人間がいる。勝手に決めつけ、それをさも分かったかの如くいうのは、そこらの素人なら自由でいいけれど、学者は傲慢であってはならない。それでは小さな結論しか生まないことになろう。

学者が勝手に設定した、「必然」に固執し、どんな世界も、「古代」から、「中世」に至り、「近世」、「近代」に発展するのだと決めてかかり、歴史を固定化することは、事実に基づいていることを単に述べているに違いない。信長の後は秀吉、そのあとは家康なら誰でも知っている。もし学者が、安部総理の後は〇〇総理、その後は〇〇というなら、その学者は学者でない。

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言うだけなら宜保愛子や江原啓之、細木数子でもいうが、当たればの話。霊視だの霊能だのは、昨今は公共の電波に乗せないことになった。スピリチュアルブームを煽ったテレビ番組に触発され、「来世で幸せになりたい」と現世を悔やんで自殺した少年がいた。それがテレビのスピリチュアル番組一掃の要因になったが当然である。少年は無知で感受性が高い。

「人に何かしらの影響を与えないテレビ番組はない!」という強者の論理もあるが、子どもが霊能者の影響で自殺するというのは、自殺を留めている潜在者の数を反映しているという予測もできる。よって、番組に対する放送倫理は、多元的な議論をすべきである。昔、スーパーマンがテレビで放映され、マント代わりに風呂敷を背負った少年が全国に出没した。

自分の友人は背中に風呂敷をなびかせ、屋根から飛んで足の骨を折った。その場に居合わせた自分は苦しむ彼を見ながら近所に駆け込んだが、この一件には3つの考えができる。①マントの効果を試した彼は勇気がある。②風呂敷をマントと見立てた彼は愚か。③彼はバカだ。そんなの怪我するに決まってる。この中の①こそが子どもの、子どもらしさではなかろうか。

批判されるは江原より、彼を持ち上げたテレビ局である。江原自身の影響力はテレビによって拡散し、増幅されるからである。江原啓之は、「心霊」というおどろおどろしい言葉を、「スピリチュアル」というスタイリッシュな言葉に変換し、一般の人にも、「見えない精神世界」を受け入れやすくした。いわゆる現在の、「スピリチュアルブーム」の礎を築いた人である。

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しかし、彼はワタナベ事務所に所属する一タレントでしかない。何を言おうが、タレントとしての無責任な発言として逃げられる。信じる大人はいてもいいが、無知で純粋な子どもを煽った責任は番組制作者にある。2004年、細木和子の、『ズバリ言うわよ!』、2005年、江原&美輪による、『オーラの泉』が、スピリチュアルという言葉は一気にメジャーになった。

高次の霊的メッセージを伝達し、人格の成長を促すことを重視したスピリチュアル・カウンセラー江原は大人気となり、スピリチュアルブームに火をつけた。しかし、少年の自殺という事の重大さを感じたのか、美輪はその手の話を封印した。でなければテレビに出れなかったろう。江原はカウンセリングに霊視や透視を使うが、カウンセリングにそんなものはない。

あくまで心のうちの相談である。健常なクライアント(相談者)がいだく心配ごと、悩みや苦情などを、面接、手紙、日記などを通じて本人自身がそれを解決することを援助する、それがカウンセリングである。スピリチュアリスト=霊能者という言い方が、自称とはいえ問題となり、あるスピリチュアルカウンセラーは、『私は「霊能者」と思われていますが、「霊能者」ではありません。

 「霊能力を用いてるカウンセラー」です』などと変節した。ブームが過ぎ去って以降、多くのスピリチュアリストは発言を控え、用心もし、消極的になっていったが、信者を止められない人は未だ多い。彼らは一様に、「霊的なものは証明はできないが存在する」というスタンスである。「STAP細胞はありま〜す」ではないが、信じる人の批判はしない。自分が拒否すればいいことだ。

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ただし、煽るのは無責任と思っている。世の中、煽られないひとばかりではない。確かにテレビの視聴者数は膨大で、行方不明者捜索などは大いにやったらいい。ただし、霊能ブームに乗じて、霊能者を引っ張り出し、彼らに見つけさせるという生番組がヤリすぎである。霊能者は、その人の写真と生年月日が分かれば良いというが、番組は明らかにショーである。

なぜならあの時期、逃亡中のサダム・フセインを発見したら懸賞金5億円というのがあった。出演料いくら貰ってるか知らないが、誰もが沸く疑問は、「霊能者はなぜ5億円をもらいに行かないのか?」である。行方不明捜索番組の司会者もそんなことを聞くはずないし、矛盾と感じたら真顔で司会はできないだろ。どっちにしても、テレビで霊視、霊能が消えてよかりし…

占いや霊視、ヒーリンググッズなどが人気となる理由は、目に見えないものを扱うことのできる特別な能力のある人や物に託せば、常識では考えられないところで何か解決策が見つかるかもしれない、という期待や魅力であろう。そんな人を信頼し、託すよりも、霊的な能力など無用とばかりに、自分は物事を解決したい。解決できればそれが能力なのだから。

大学受験に二度失敗した苦悩から、「エホバの証人」に入信した知人がいた。彼女とはいろいろ話し合ったが、入信後は、「ものみの塔」から常に監視されているので、本当は信者以外の人と教義や教団のことを話してはいけないことになっているという。教団の教えは、「教団批判をする人間は悪魔」と定めているからだ。なるほど、これを洗脳というのか、であった。

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特別な能力などにあやからなくとも、そんなものは無用とばかりに、生きていくことは可能だが、人間は依存をすることで楽をしようとする。依存を良しとしない自分は、依存は努力をしない横着者と定めている。例えば筋トレなども機器を使わない。買うこともしない。灯油用ポリ容器に水を入れるなど、その手の負荷はいくらでも調達可能で、大事なのは意思である。

機器を買い揃えた人でガラクタ化した人は多い。機器があればやれるだろうというのは、意思の啓発になるが実行できない。なぜなら、意思とは無から有を生みこと。だから、何もなくてもできる。大事なのはやろうとする意思。そういう気持ちが重たい物を周囲から探し出す。買う必要もない。ヒーリングや占い、霊能者などにかかる人には、次の3つが言われる。

1.努力なしで今までのことが一気にリセットされ、本来の素晴らしい自分になれるという変身願望

2.チャネリングなど専門的能力を備えた肯定的な言葉や雰囲気などによってもたらされる、深い安心感とリラックス、そして神秘体験

3.非日常の中で体験する、自分だけの特別なメニューや特別な自分との遭遇により、人生や自分という存在の意味づけや優越感

運命的な言い方で笑えたのが、あるデブ女の言葉。「わたしって、生まれた時からこの体型になる運命だったと思う。人もそうだけど、世の中のことって、すべて決まっているのよね」。反論するのを止めようと思ったけど、彼女に努力という言葉を突き付けたくて言った。「ハゲやブスはそうだと思うよ。生まれた時から決められている。デブは違うと思うけどな~」

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彼女が何と答えたか記憶にない。おそらく答えなかったかもしれない。理由は憤慨したからで、当たり前の正論をいって、憤慨されても知ったことではない。確かに、太る体質の遺伝因子はあるようだ。母親を見ればその子の将来の体型は分かるなどという。しかし、自制心がというのは、何事をも抑制できるのは疑いない事実。デブは間違いなく自堕落である。マツコしかり…

超人気で彼を見ない日がないマツコだが、なるたけ見ないようにしている自分だ。ミスタードーナツのCMを見たというある外国人は、「結局この人は、女装と食べ物を食べる以外には何をする人なの?」と疑問を呈し、また別の外国人は、「このテレビの巨大な女性は誰?ひたすら食ってんだけど」という。彼こそ、ライザップのCMにふさわしいと思うが…


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