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Channel: 死ぬまで生きよう!
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昨夜の夢は、官兵衛と大膳

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2014年度のNHK大河ドラマは、『軍師官兵衛』であった。JA鹿児島に勤める知人が、官兵衛居城の豊前中津城(大分県)詣での団体旅行の付き添いで数度行ったという。行ったというより行かされただが、ほとんどが高齢者だったそうだ。大河ドラマ放送がその舞台となる地域にもたらす経済効果は、概ね100億円を上回ると言われるが、200億円を超える推計もある。

2004~2014年までの10年間の図表をみると、2010年放送の『龍馬伝』による高知県の535億円が突出している。また、龍馬ゆかりの地長崎県も182億円の御利益に預かっている。幕末とは、京都を中心に西は長崎、東は江戸の三都市が時代の舞台だった。ことさら学問や医術など西洋文化が花開いた長崎は、幕末の志士らが数多く往来したことでも知られている。

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龍馬は幕末の人物の中で根強い人気の長崎ゆかりの人物である。彼は文久2年(1862)から大政奉還の慶応3年(1867)までの5年間で、実に2万キロ以上を蒸気船で移動したが、初めて長崎入りしたのは慶応元年だった。もちろん海路である。当時は今より入り江も深く、外国船があちこちに繋留される長崎港の風景を目の当たりにした龍馬は、希望と期待を胸に抱いたことだろう。

龍馬が愛した人物にお元という丸山芸者がいた。彼女は、「茂木びわ」で知られる茂木の生まれで、よく気の利く男好きする美貌の持ち主であった。琴、三味線がうまく、龍馬は音曲に聴き惚れていたという。龍馬は、海援隊の本部があった小曽根邸に、りょう(龍)としばらく住んだが、りょうが下関に移ってからは、このお元と過ごしくつろいでいたようだ。

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さて、『軍師官兵衛』の大分県74億円は大河ドラマの経済効果としては少ないが、福岡で169億円となっている。官兵衛こと黒田孝高は播磨国に生まれ、播磨の小寺政職に仕えた後に信長⇒秀吉と主家を変えたが、慶長5年(1600年)に家康が会津の上杉景勝討伐の兵を起すと家康に従って出陣、出兵中に三成らが大坂にて挙兵すると、東軍武将として関ヶ原の戦いに参戦する。

長政は関ヶ原の合戦の後、家康から勲功として筑前国名島(福岡)に52万3,000石の加増で移封した。「家康が最も恐れた男官兵衛」というのが官兵衛の代名詞であるが、実際、家康が最も恐れた人物は、大阪夏の陣の際に家康本陣に迫った真田幸村であろう。それはともかく、官兵衛(後の孝高)・長政父子は筑前国に福岡藩を立藩、長政が初代藩主となる。

以後黒田氏は代々福岡藩主となり国替もなく幕末に至る。二代忠之以降は代々松平筑前守の名を与えられた。黒田氏と言えば避けて通れないのが黒田騒動、この原因を作ったのが2代藩主忠之である。忠之は祖父や父とは違い、性格も奔放で我侭であった。長政は世継ぎ継承にあたり長男忠之の狭器と粗暴な性格を憂い、三男の長興に家督を譲ると決め忠之に書状を送る。

書状には2千石の田地で百姓をするか、1万両を与えるから関西で商人になるか、千石の知行で一寺建立して僧侶になるかなど、嫡子にとってあり得ない厳しいものであった。忠之の後見役である家老栗山大膳は、辱めを受けるのなら切腹を忠之に勧めるも、大膳はその裏で有力藩士の嫡子たちを集め、長政に対して廃嫡を取りやめなければ全員切腹すると血判状を取る。

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事態を重く見た長政は嘆願を受け入れ、大膳を後見役に頼み死去した。大膳は忠之に諌書を送るが、飲酒の心得、早寝早起きなど、子供を諭すような内容であったため、立腹した忠之は大膳に次第に距離を置くようになる。寛永元年(1624年)に藩主となった忠之は就任早々に自身の側近と、筆頭家老であった大膳はじめ宿老達との間に軋轢を生じさせることとなる。

小姓から仕えていた倉八十太夫を側近として抱え、1万石の仕置家老に取り立てた。家老には家柄家老、仕置家老の区別がある。家柄家老とは、先祖の功績で家老になる者、仕置家老とは煙たい家柄家老より、藩主が自分の思い通りになる重臣として迎え入れる家老をいうが、忠之は十太夫に命じて豪華な大船・鳳凰丸を建造、200人の足軽を新規に召し抱えるなどをした。

家柄家老大膳は、忠之が幕府転覆を狙っていると幕府に上訴したが、忠之を担ぐ藩側は、「大膳は狂人である」との主張を行い、将軍徳川家光が直々に裁いた結果、忠之側の主張を認め、所領安堵の触れを出した。ここに10年に及ぶ騒動に幕を閉じた。封建時代にあって藩主と家柄家老は何かと反目した事例は少なくないが、黒田騒動はその代表例である。

大膳は騒動の責を負って陸奥盛岡藩預かりとなり、十太夫も高野山に追放された。藩主に弓を引いた大膳だが、幕府の裁決は「大膳乱心」とされ、大膳は盛岡藩に実質流罪となった。盛岡藩南部家は大膳を手厚く待遇した。大膳死後、嫡子は黒田家からの招聘を受けたがそれを断り、子孫及び臣下は盛岡藩に定着した。父の恨みを子たちは絶やさなかったことになる。

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家光の裁定は、「治世不行き届きにつき、筑前の領地は召し上げる。ただし、父・長政の忠勤戦功に対し特別に旧領をそのまま与える」。「大膳は主君を直訴した罪で奥州盛岡に配流。150人扶持を生涯与える」と、領地没収を明記しながら長政の功績にて安堵するとの矛盾したものだが、これは忠之や十太夫の罪を認知したもので、十太夫の高野山追放がそれを物語る。

徳川家に対する父長政の功績に鑑みて赦免された忠之であるが、主君を直訴した罪ながらも大膳は厚遇を受けたのは、家光の苦心の裁定である。大膳が九州大名の総目付日田代官・竹中采女正に、「藩主に反逆の企てあり」の訴状を差し出した真意は、裁きの庭で長政と家康の関係を幕府に再確認させる目的で、「主への反逆罪」に問われることを覚悟の上の行動だった。

思惑どおり大膳は江戸城内裁きの庭において居並ぶ老中を前に、「御老中の御威光による御意見をいただく以外には、主・忠之をして神君・家康公の御厚志を守り通さす方法見当たらず公訴の手段をとりました。家康公の御意思をふみにじってはなりませぬ」と釘を刺している。この大膳の命をかけた訴えによって、上記の家光の寛大なる下知が下されたことになる。

表向きは罪人であった大膳は、盛岡藩においてはで罪人あつかいされることなく、62歳で生涯を終えた。大膳の墓は岩手県盛岡市にあるが、郷里である福岡県朝倉市において大膳は、「黒田52万石を救った偉人」と称えられている。鴎外の小説『栗山大膳』においても、大膳を忠義の人物とし、一連の騒動も忠之の暴政を諌めるために起こした事件と描いている。

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「三代続けば国は亡ぶ」という諺があったように思うが探しても見つからず。『葵 徳川三代』という大河ドラマがあった。源頼朝は三代で滅んだが、徳川は十五代続いた。それは、混乱の戦国時代から徳川の世の基礎を築いた家康・秀忠・家光の功績であろう。高校の頃に近所の親父が、「商売は子に継がせても現状維持がやっと、孫の代で潰れるよ」と言っていた。

黒田騒動は、出来の悪い嫡子を世継ぎにすべからずとした親に意を唱えた家柄家老が、その出来の悪い嫡子が藩主となった途端に反目の憂き目にあう。「理」で物事は動かないもの。薩摩藩の、「お由羅騒動」も藩主・島津斉興の後継者として側室の子・島津久光を藩主にしようとする一派と、嫡子・島津斉彬の藩主襲封を願う家臣の対立によって起こされた。

仙台藩の「伊達騒動」も、三代藩主の伊達綱宗の遊興放蕩三昧を、叔父の一関藩主の伊達宗勝がこれを諌言したが聞き入れられなかった事に端を発する。徳川家光も嫡子でありながら、父秀忠や実母お江に嫌われ、弟の国松を世継ぎにするつもりでいた。これに怒ったのが家康で事なきを得たが、家光が病弱でおっとり性格も原因のようで、三代目というのは問題児が多い。

自分たちの生まれた時代は、家父長制ではなかったが、名残は残っていた。愛国心とは、まさに国というものが父親として存在するということ。男の家長が、「国」を象徴するという、家父長制が、「国の基本原理」というような認識に通じていた。「庇護」というのは、「強い男」が女・子どもを守るということであり、その強い男というのが、家族の長であった。

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強さは子どもの第一子(嫡男)にも連なった。下より上の子が強い、お兄ちゃんだから強くて当たり前という考えが嫡子相続に起因する。嫡子はまた、家長の血の繋がった子どもという意味があり、社会制度上、女性は嫡子を産むというのがもっとも重要な役割と言われた。女の子しか産めない女性は、女性に問題があると、肩身の狭い思いにさせれた。

取り決めというのは偏見も含めて無理があるが、どうであっても取り決めである。よって、「男は自ら家庭を作り、家族を庇護するのだ」の考えになるが、今の若い男の結婚離れはその気概がない。おそらく、女が強くなったのを真近で見ているからであろう。「戦後、女と靴下…」の比喩は、昨今は比喩としても言われなくなった。つまり、当たり前になったようだ。

女が強くなれば必然的に男が弱くなるのだろう。弱い亭主であれ、それは家庭内の覇権の問題だが、女が怖くて結婚をビビる男が増えていい事はない。昨今の女性はそれを知り、恋愛期間は弱くて可愛い女を演じるようだが、それでも結婚にありつけない女性は、やはりどこか問題があるのだろう。「結婚したくないのか?できないのか?揺れるキャリア女子…」

「42.7%」。昨年の数字だが、東京都に住む30代前半の女性の未婚率だ。この年代の女性の半数近くが結婚していない計算になる。その中には、男性と同じように仕事でのキャリアを積む一方で、結婚や出産もしたいと願う女性たちも多数含まれている。仕事と結婚の両立は難しいのか?難しいであろうことが、上の数字に表れている。嫡子問題が非婚に移るは終了す。

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