金美齢の『家族という名のクスリ』には、長ったらしい副題がある。「家庭ほど安らぐ場所はない 夫婦ほど支え合える関係はない」。レビューを書いたH氏、G氏の両名ともに、「(金美齢の)言ってることは正論」といっている。まあ、この副題を見ても正論を疑う余地はない。しかし、現実問題において家庭が安らげる場所なのか?夫婦が支え合っているのか?
金は自身の家庭のことを書いているのだろうが、何も問題のない平和な家庭なのだろう。したがって、「家庭ほど安らぐ場所はない 夫婦ほど支え合える関係はない」というのは、彼女のマスターベーションを披露していることになる。だから、「クソババア!」と言われても仕方がないババアである。そんな金の一人よがりを橋下は、「気持ちわりーーっ!」と罵った。
せっかく執筆するなら、タイトルはそのままでいいとしても、「安らげる家庭、支え合える夫婦はどうすれば作れるのか?」の副題にそって書くなら、「クソババア」の、「クソ」くらいはとってもいいが、やはり彼女は自慢話が好きな、正真正銘のクソババアである。『家族という名のクスリ』を読んではないが、中身はともかく感情的であるというのが以下のレビューである。
「作者の自己満足、人生自慢がまるで人類の一般論であるがごとくにすり替えられて随所に散りばめられている。また、全編においてケンカ越しで上からの物言いである。よほど怒りを込めて書いたのであろう。言っている内容は正論だが、そこまで鼻息荒く対抗するようなまとめ方をされると逆に疑問を覚える」。なるほど。疑問を、というのはそうかもしれない。
『家族という名の病』の主旨は、作者の講演を聞く限りにおいて、ちょっと筋違いの内容ではと思った。まあ、自分にとってはであるが…。「『家族はすばらしい』は欺瞞である」、「これまで神聖化されてきた家族を斬る」という副題に、「家族ほどしんどいものはない」というコピーについて、自分なりの解釈をしていたが、下重の話の内容に「?」を感じてしまう。
「家族はしんどい」という彼女の、「しんどさ」というのは一体なんなのかがまるで分からない。センセーショナルなコピーのわりに内容がともなっていない。それが自分のいう、「筋違い」である。将棋の戦法に、「筋違い角」というのがあるが、これは角を交換し、元にあった角の位置とは違う筋に角を打つ。つまり、筋を違えることで新たな攻め筋を見つける戦法だ。
下重は口うるさい親から厳しく干渉されたわけでもなく、自分のやりたいことができなかったわけでもなく、金銭的苦労があったこともなく、親の扶養を巡って兄弟と諍いや喧嘩もなかったという。ありがちな遺産相続でもめたこともなく、夫の女遊びや道楽で苦労したこともなければ、子どもで苦労もない。夫婦だけの生活も家族であるが、一体に彼女のいう家族の病は何だ?
夫を奴隷のように手なずけていることもあり、「夫のことを『主人』と呼ぶおかしな文化」などというが、主人がオカシイなら、主婦という言葉だってオカシイだろう?バカをいうんじゃない。どうやら彼女は隠れフェミニストである。所詮『家族という病』は、立派な菓子折り箱に入った普通の饅頭。そもそもベストセラーに良書はないというように、タイトルのインパクトもあったようだ。
注釈すれば、ベストセラーになるのは、本の良さ(つまり中身の)を理解できる人間がそれほどいるのか?という事。付和雷同思考の日本人には、発売後いきなり数十万部というのはよくあること。作詞家の松本隆はこのように言っていた。「数か月で100万枚売れる楽曲より、10年かかって100万枚売れる、その方が僕は好きですね」。この言葉は何の暗示であろう?
言わずもがな、「名曲」とはそういうものだを吐露している。アメリカ的にいうと、スタンダードナンバーということだが、日本の楽曲に時代を超え、世代を超えた楽曲があるのだろうか?いわゆる流行歌という言葉は、「流行」に乗るという意味である。だから、すぐに廃盤となり、何とも忙しく、せわしい日本人である。流行り廃りは日本人の常。昔からそういう民族のようだ。
以前、「日本人論」というタイトルで書いた。「~論」とか、「~考」とか、学者を気取りたいわけではないが、手っ取りばやいし、様になる言い方であろう。日本人のせわしさについて書いた記憶があるので探してみた。いつ頃書いたかも覚えてないが、検索キーワードは、「死ぬまで生きよう 山田長政」で、掴まえられると思ったら、案の定見つかった。
古い記事を読むと、「これって自分が書いたのか?」と、まるで人の記述を読むようで面白い。山田長政と言えば、遠藤周作の『王国への道』が有名である。長政を描いた映画は観てはないが、1978年12月1日に放映されたテレビドラマ『南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政』は早坂暁の脚本がよく、秀逸な作品であった。録画して何度も何度も観た。
というのも、1976年10月31日発売の家庭用VTRの第一号機ビクターのHR-3300は、定価30万円を超えたが、76年3月に放送された、「吉田拓郎リサイタル」を、3/4インチの業務用Uマチックレコーダーデモで流しており、その映像をダビングしてくれるという量販店に出向のビクター社員の一言で購入した。生まれたばかりの長女の録画もしたく、ビデオカメラも同時に購入した。
VTRとカメラで70万の買い物だったが、当時の映像はお金には換算できない貴重なライブラリーとなっている。まだ誰も持ってないビデオカメラを、運動会などに持参すると、「おっ、NHKさん来てるじゃないか!」などとからかわれたりした。『南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政』に主演の吉永小百合は、当時33歳の女盛り、得も言われぬ美しさであった。
お雪はオランダ人奴隷から長政に買い戻される。そんな長政に憧れ、恋したお雪だが、長政が計略にかかって死んだ後は娼婦となる。ドラマの最後にお雪を奴隷としていたオランダ商館長フリートの手記『シャム革命史話』の一文が流れる。「~日本人は真に勤勉にして、昼夜なく働く。体面を重んじ、やや短期である。ただ、忙しく働き、忙しく去る。定住することはない」。
数十年にわたって売れ続ける書籍に、イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』(1970年・山本書店)がある。今でも売れ続け、ゆうに300万部を超えていると思われるが、これを批判したのが浅見定雄の、『にせユダヤ人と日本人』(1983年・朝日新聞社)であった。今やイザヤ・ベンダサンなる人物が、山本七平であるを知らぬ者はいないが、偽名を使った理由は、シャレであろう。
なぜなら、ベンダサンと言う名はユダヤ人にないから、偽名というのはすぐにわかってしまう。『日本人とユダヤ人』は今なお売れ続け、300万部近い数字をだしているのではないか?昭和45年に発行され、、名実ともに山本にとって処女作である『日本人とユダヤ人』は、刊行の翌年、「著者不明」まま、第二回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞となった。
山本書店は小さな出版社で、発刊時の同書の初刷部数は僅か2500。.しかも、実際に配本された部数は1500に過ぎなかった。ところが、日を追って同書は売れ始めたが、その火付け役になったのは、外務省の地階の売店であった。次いで通産省地階の売店に飛び火し、さらには丸の内界隈の書店へと広がって行った。当時、通産官僚だった堺屋太一は以下のように話す。
「当時、通産省大臣官房企画室に勤務していた私は、上司の杉浦室長の薦めでこの本を知り、2晩ほどで読み通し、激しい興奮と共感を覚えたのを記憶している」。山本七平のライブラリーには、『空気の研究』、『常識の研究』、『あたりまえの研究』、『派閥の研究』、『人望の研究』に、『常識の落とし穴』などの表題を見ても、「常識」への挑戦こそが山本のテーマであった。
イザヤ・ベンダサンの実在を含む著者論議が言論界に上ったが、司馬遼太郎や江藤淳ら30人余りの著述家が、ベンダサンに擬されたことになっている。中でも渡部昇一は、「イザヤ・ベンダサンは存在せず、それが山本七平であることを最初に文献的立証し、後に直接山本に尋ねてベンダサンの不在を確認したのは私であった、というささやかな誇りをもっている」と語る。
さて、浅見定雄は前書きでこう述べる。「私はイザヤ・ベンダサンこと山本七平のこのようなやり方と、その根拠となっているユダヤ学、聖書学がいかに非常識なものであるかを、いちいち証拠をあげて説明するつもりである。このような人が気の利いた「知識人」として歓迎されている間に、日本の国が取り返しのつかない方へ持って行かれてしまうことを恐れるからである。」
浅見は東京神学大学神学部から同大学博士課程に学び、ハーバード大学神学部博士課程卒業後の翌年、東北学院大学に助教授に迎えられた。同大教授を経て1999年大学を定年退職、同大学名誉教授である。山本七平は商業高校卒の無学の徒であるがゆえにか、アカデミズムの場で彼の業績は評価をされていないが、渡部昇一は山本を、「博学高雅な紳士」と評した。小室直樹は、山本の著書『勤勉の哲学』について、「日本社会科学が生んだ最高業績の一つ」とし、「学説史的といってよい研究でありながら、本書程理解されず、無視されてきた作品も珍しい」と嘆いた。山本の『日本人とユダヤ人』が浅見に批判された際に小室は、「専門学者の役割は、専門外の人を貶めることではなく、アシストし励ますこと」と、言葉を投げつけた。