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『群青の夜の羽毛布』 ③

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山本文緒を知ったのは毎日新聞「ナビゲート21世紀」という連載記事。上の切り抜きは2000年6月6日付だが、山本を面白い女と感じた。「人間同士の愛と性に絶対はない、という自覚に至る前に考えを止めてしまうと、目の前で他人が幸せそうにしているのを見た途端、いてもたってもいられなくなる」。いい子ぶらない率直なものいいをする彼女が印象的だった。

『愛はなぜ終わるのか 人間は4年で離婚する!?』という書籍は、愛の実態を科学的に立証してセンセーションを起こす。「愛が芽生えると、脳の中の覚醒剤PEAの働きで、性交して子供を生むのに十分な期間は恋人どうし引かれ合う。その情熱が冷めたころには、脳内麻薬エンドルフィンによって夫は妻に強く愛着し、家庭にとどまって妻子を守ろうとする。

結婚生活は二人に大きな幸せをもたらすが、この、「ほんわか気分」と密接に関係する物質が、「幸福ホルモン」セロトニン。脳内のセロトニンが多いと、癒され落ち着いた気分になり、減少すると憂うつになり自殺しやすくなる。人類学者ヘレン・フィッシャーは、人間の脳には、結婚すれば幸せになるシステムと、その喜びを終わらせるシステムと両方あるからだ。

したがって自分の脳に振り回されないためには、星の王子様と運命敵結婚をすれば幸せになれるという幻想を捨て、もっと賢い愛し方を模索すべきである。確かに困難な道ではあるが、一時の情熱が冷めた後でも、多くの人が本当の愛を見いだし寄り添っている。「性」に執着し、翻弄された若き時代には見えにくい本当の愛については、ニーチェが至言をのべている。

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「誰がこの愛を知っているであろうか? 誰がこの愛を体験したろうか? この愛の本当の名は友情である」。(「悦ばしき知識」より)

離れて暮らす夫婦もいいだろう。むかし、遠洋漁業で半年~1年も家を留守にする夫を待ちわびる妻は、永遠の新妻である。ご近所の手前もあって浮いた噂などあり得ない。夫婦に緊張感がなくなるのは同居するからであって、恋人同士が同居すればもはや家族である。仲が冷めるというより、家族という新たな気持ちで、異なる目的をもって生きて行けばいい。

「ゴルフに夢中の夫は、結婚当初からわたしに興味はなかった」という言葉を聞いたことがあるが、そういう夫も現実である。子育てにも妻にも興味を抱かない夫なら、妻は淋しさを癒すものが必要か。それが何かは、それぞれが自分に合ったものを見つける。山本文緒は女性の夢を打ち砕く、そんな辛辣な言葉を持っているが、男から見れば当たり前のことである。

原作のつまみ食いだが、『群青の夜の羽毛布』 の母親も虐待されながら育ち、さとるの父親と駆け落ち同然で一緒になったという。虐待という歪んが情動が、親から子へ、そのまた子へという連鎖を描いている。母親がさとるを連れて夫の愛人のところに駆け込み、自殺未遂をするほどに追い詰めるのをみたさとるは、自身の中に母の血が流れていることに恐怖感を抱く。

自分が親に似るなど嫌悪も甚だしい。母の親としての魔性、女としての性悪、どちらも徹底排除した。「こんな親には絶対ならん」、「こんな女には近づかない」を肝に命じた自分である。「親と同じ資質があるという恐怖」をさとるが感じたのは親の呪縛のせいであろう。何としても排除に向かうことが虐待連鎖の歯止めになるが、彼女にはそうした行動力もない。

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「うちはバカなの」、「うちは嘘つき」、「うちは性格悪いから」、「うちは超わがまま」などの言葉を平気でいう女がいる。まるで自分の代名詞といわんばかりか、それで進んで行こうと決めている。自己変革などどこ吹く風、女は自己肯定の権化なのだろう。何度言っても同じミスを繰り返すのは、統計的に女が多いかも。男もいるにはいるが、そういう男に上は望めない。

注意だけでは直らない、変わらない。確かに人は自覚で変わる。一度のミスをどれだけ恥じ、どれだけ悔しがるかによる。「二度と同じ轍を踏まない」というのは、「いいか、二度と同じことをいわせるなよ!」と、こういう魂を搾り取られる言い方で、最後通告を受ける男社会の厳しさがある。実際、言われてみると分かる。それがどれだけキツイ言葉であるか。

男女雇用機会均等の時代なら、女性にもこれくらい言った方がいいのだろうが、泣いたりふて腐れたりされると煩わしい。母親の泣き喚くのが頭にきていた自分は、泣く女に同情しなかった。相手を強くするには、強い気持ちで向かうべきで、これに男女の区別はない。強い選手が強いチームを作ると同様、強い組織は強い人間が作る。ただし、すべてには該当しない。

組織がバックボーンである大企業と、人間関係重視の中小企業の違いはあるようだ。中小の企業は何より人間関係が大事にされる。忘年会だ、新年会だ、歓迎会だ、義理チョコだの、慰安旅行も生きている。そういうものが「和」であるとか、チームワークであるとかの考えが家族的な中小企業である。話が反れたが、『群青の夜の羽毛布』 に戻そう。

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映画とはいえ、こういう親は観ていていらいら、腹も立つが、さとるの妹には救われる。権威に不服従の彼女も思わぬ発言をする。「どこまでやったら親孝行で、何をしなかったら親不幸なんだろう」。これは、彼女自身が親孝行を否定していないのが分かる。確かに何が親孝行かは、人によって異なろう。元気でいるだけで親孝行とする考えもあり、それでいいとする親もいる。

兄弟のいる家庭では個々が親に対する接し方が違うものだが、親孝行一辺倒の姉が、弟や妹の親への接し方に不満をいうなどは多い話。すべては自分が基準なのだろうし、だから物足りない。そもそも第一子は大事に育てらるもので、ハーバード大のマイケル・サンデル教授が、「白熱教室」で問うていた。弟や妹も彼らが親から戴いた分量に相当の親孝行をするのだろう。

子どもの親への対応が個々で違うように、実は親も子どもへの対応が微妙に違っていたりするが、兄弟のいない自分に実感はない。少なく生んで大事に育てる時代に一人っ子は珍しくはないが、我々の幼少時代は少なかった。4人、5人の子を持つ親が、「一人は楽でいいですね、うちなんか大変」などと言っていた。「一人は5人分の苦労がある」と返す母に腹も立てた。

母はいつも周囲にそのように言っていた。子どもは、「うちの子はいい子」と言われたいもので、また、そのように言えば、いい子になろうとするものだが、まるで餓鬼のように言われると、レッテル通りの人間になろうとする。周囲には、「極道息子」と吹聴しておきながら、「いい子になれ」とはあまりに虫が良すぎる。さとるの妹は親の飼い犬にはならなかった。

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下の子は上を反面教師にしたり、要領よく立ち回ったりする。上が大人しくいい子であると、常に上と比べられる立場にある。彼らは親が自分たちに対して平等か否かについて目ざとい。ちょっとした物の言い方でさえ差別観を抱いたりする。たとえば親が下を非難したりの言い方をしなくとも、上を誉めるというだけで下の子は自分への批判(非難)と受け取るものだ。

実際、親はそのつもりであったりと、まさに以心伝心である。子どもを分け隔ててはいけないことは親も周知ゆえに露骨な非難言葉を言わないだけ。親のこうした陰険さが、感受性の鋭い子どもの心を傷つけている。子どもの褒める際、こうした配慮が必要である。Aを誉めることで間接的にBを貶すのは社会でもありがちで、それ程にこの世は好き嫌いでできている。

上に立つ者は、人への平等な対応に細やかな配慮が必要だ。三沢ホームの創業者三澤千代治は、部下の役員とゴルフをやらないことを決めていた。理由は、ゴマすり役員に嫌気がさしていたという。三澤はゴマをすれない性格の人間を理解していたし、彼のこうした男気が好きだった。そういえば三澤はトヨタの奥田にも、歯に衣着せぬ物言いで奥田を憤慨させた男である。


犬や猫は品種で性格が異なる部分が大きいが、人間も人種による相違はあるにせよ、性格の相違は同人種に当たり前に存在する。兄弟、姉妹にあっても、調子のいい姉もいれば、自閉的とまではいわずとも、あからさまに好き嫌いを印象づけられる兄弟はいる。たとえ親と言えども悪いものは悪い、ダメはダメと是々非々に対処する方が飼い犬にならなくて済む。

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真の動物愛護とは何?ペット飼育に批判的な人は、動物本来の生態を人間の身勝手さで捻じ曲げているという。ペットに避妊手術を施し、家庭も家族も持たせず、飼い主の自己満足のままに一生を終えるというペットの儚さ。親のペットで一生を終えたいならともかく、人間は基本的に家族も家庭も持つ。「いつまでも、あると思うな、親と金」という格言を、親は子に教えるべきかと。

誰もが体験する親子関係である。人間が当たり前にやり過ごす親子という人間関係から、人生における様々な因縁の全て始まるといえるのだが、人は他人の親子関係の深層を覗き見ることはできない。小説も映画も作り物であるが、他人に起こる内なる部分に触れられる。客観的に眺めながら感情移入することで感受性は高まり、そういう人は学習する人たちだ。


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