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『群青の夜の羽毛布』 ②

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大人になると時間の進み方が早いのはなぜだろう。子どものころ、誕生日もクリスマスもなかなか来なかった。断絶の影響か、親から誕生日にプレゼントをもらうことはなく、クリスマスは近所のパン屋の粗末なケーキを買いに命じられる。行きたくはないが、ケーキ食べたさは隠せない。地味で質素な生活はどこの家庭もだが、我が家はあまりに殺伐だった。

それでも最大の楽しみはお正月のお年玉である。今の子どもは普段から大金を所持しているようで、孫の大志も数万円の大金を所持している。我々の時代は子どもがまとまったお金を持てるのは正月くらいしかなかった。その正月がなかなか来てくれない。子ども時代はなぜにあれほど時間がゆっくりと進んでいたのだろうか?時間のイジワルとしか言いようがない。

大人になると物事一切が思った以上の早いスピードで流され、手のうちからこぼれ落ちていく。少年、少女期であったなら、大切な何かを失っていくだろう。それが恋であったり、信頼や友情であったり…。ところが、大人になるとそうしたものは用済みと言わんばかりに大切でなくなってしまう。失おうが、失うまいが、とり残されるのは自分だけということもない。

傷つきやすい青春期。数多の経験や喪失感などの体験を経て、人は本当の自分を見つけていく。本当の自分を見つけることができた人は幸せかもしれない。探せども見つけられない人もいる。かけがえのない命を、見返りなきままに捨てた少女もいる。少年もいる。人間なら誰もが必ず行う自分探しの物語であるが、文字にすることで見えないものが見えてくる。

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この小説は心理学的考察が軸になっているが、それは山本文緒の学究的態度によるものであろう。愛されて育たなかった子は愛を知らない。人から愛されることがどんなものかを知らないで育った子は、人を愛することができない。愛とは信じることだから、人を信じることもできない。なかでも親子という関係は、人間が存在するにおいて、最も密接な関係である。

異性との恋愛関係は、日々寝食を共にする親子ほどに濃密でないが、深くなればなるほど相手の中にある激しいエゴイズム、独占欲が否応なく立ち上がり、これが双方の関係に深刻な影響を与える。親子であれば、子どもの情緒の成熟は妨害されるし、恋人同士なら、心と心が結ばれることが妨害される。親子は恋愛関係ではないが、男女の恋愛関係に性愛が加わる。

エゴイズムや独占欲だけで恋愛関係が壊れないのは、sexの御利益もあるかもだが、激しきエゴイズムや独占欲が両者の心の自由を奪いかねないばかりか、他方に抑圧からの義務感を与えてしまう。母のエゴイズムの被害者であるさとるは、母からの命令やの要求に逆らうことなく順応するのが義務となっている。支配は他方の心の自由を奪うが、奪われた側は気づかない。

この母親の謹みのない厳格さは、独占欲のなにものでない。なぜなら、指示・命令という形の一方的な独占欲は、双方の円滑なコミュニケーションを阻害する利己性の発露である。独占欲の強い母親が、夫との関係の不満から、子どもに並々ならぬかかわりを持とうとするのは、母という宿命的な、「病」であるが、ある精神医学者はこれを、「母原病」と定義した。

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過保護が問題なのも、問題と感じない病人が携わるからである。「保護」そのものが決して悪いわけではない。子どもが、「自分は守られている」という実感は、子どもの心の成長に不可欠だが、問題になるのは保護する母親の心の中の独占欲やエゴイズムである。保護する側は気づくことのない独占欲やエゴイズムは、気づかないばかりか、愛情と錯覚されることが怖ろしい。

娘を籠の中の鳥のように育てていた母親は、周囲からどのように言われようと、思われようと、自身の独占欲やエゴイズムに向き合うことはない。たとえ向き合っても否定することはない。さとるの不可解な性格の原因が母親にあることを確信した鉄男は悩み苦しみ、さとるを籠の外に連れ出そうとするが、さとるは今の環境から変えることはできなくなっている。

これが人間の心の弱さである。籠の鳥は、籠の扉を開けていると、必ず外に飛び出す。そこに広い世界があるかないか、求めているかどうかすら顧みることなく、本能的に外に飛び出すのはなぜであろう?鎖から解き放たれてていても、飼い主から離れない犬もいるが、解き放たれたことがまるで恩恵であるかのように主人を捨てる犬を果たして、"恩知らず"と言えるだろうか?

主人は近隣に問い、張り紙をして狂ったように我が子を探す。まったく可笑しな話だよ。子どもの家出、夫の家出、妻の家出を考えてみればいい。おそらく犬や猫もそうであろう。犯罪は別にして主体的な家出は、そこに居たくないから出ていくのではないのか?そうした気持ちを顧みず、捜索願いを出すことの滑稽さ。これすらエゴイズムの典型であろう。

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よくない事は先ずは、「よくない」と分かることだ。でなければよくする方法は見出せない。それが理性というものだが、怖ろしいのは女の理性の無さ。されど女が感情の動物とはいえど、理性の欠片もないなら鬼である。「さとるさんをおかしくしているのはあなたである。なぜ、それが分からない」と母にいうが、母は鉄男の頬をひっぱたく。これをヒステリーという。

情緒に障害がある人間は、自己に反抗する者一切を敵とみなす。分からない者には教えるべきと誰もが思うが、分かっていながら悪を行為する人間に何の手立てがあろうか?母は鉄男にいう。「あなたが私を鬼だと思ってるのは、分かってる…。でもね、あの娘は、私から巣立てないの。守ってやるしかないの…。母親なんだもん。違う?」と、母の心の闇に耳を傾ける鉄男。

張り詰めたものが崩れ落ちるときに、女は、いや人間は緊張の糸が切れる。鉄男という男はさとるにもそうであるように、女の感傷に振り回される男である。若い男が、女の情緒にやり込められるのは仕方あるまい。いつもはブラウスのボタンをしっかり上まで留めている彼女が感情をむき出し、「獣」化して娘の恋人に迫るシーンは吐き気ものだが、エゴイストの典型である。

恋人との母とのあらぬ関係を、原作者は躊躇うことなくあたかも必然的に描写している。こういうところが、女性に人気がある作家であろうか?が、こんなことは世迷い事である。「世迷い言」という言葉はあるが、「世迷い事」という語句はない。しかしこれは「世迷い事」である。結局のところ、ヒステリー女特有の情緒の乱れを、人間らしさ、斬鬼の念という錯覚であろう。

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青二才男に罪はないが、娘の恋人と関係を持つ大罪を犯す母だ。女の情緒に振り回される鉄男は、弱い女に性的に惹かれてしまう性向か。女がしたたかな魔物という視点のなさもあろうが、視点とは体験である。体験の場数以外に女を知る術はない。自分は自我の芽生えた時期に、はや情緒障害性向の母から、硬軟入り混じった女の業を見せつけられてきた。

女のヒステリーは狂ったかのような泣き方をする。親に泣かれると子どもはいい知れぬ罪悪感を持つが、幼児が泣きじゃくってわがままを通そうとするのと同じかと。大人があれだけ泣けば反省もし、その後の人生に新たな何かを持つのではと期待するが、ところがどっこい何も変わらず、騙された気分にさせられる。あれは単にその場の感情の発露に過ぎない。

こういう事を頻繁に体験すると男は学習する。騙されるどことか、泣かれると腹まで立ってくるようになる。母から学習したおかげで、そこらの女は、自分が涙に動じない事を悟ったろう。自分の達観した態度を見てある女がこういった。「すごいねあなたって…。女の涙に動じないね。女は、この場面では泣いた方がいいと思ったら、泣けるのよ。自然に涙が出せるのよ。」

率直でいい言葉だと思った。男と女は騙し合いの猿芝居を超えた、真摯な関係を望む女もいるのかと。さらに学童期にはこんな言葉も聞いた。「○○ちゃんは、嘘泣きが上手だから…」。女には嘘泣きというものがあるのかと。これも学習になるよい言葉だった。男にそんなものはない。この映画のクライマックス、見どころは、最後のシーンのさとるの言葉にある。

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さとるは自宅に火を放ち、すべてを燃やしたことで、自らの過去に決別した。そのことをさとる自身がおぼろげに感じ取る様子が、劇中のセリフにしたためられていた。原作にあったか否か確認していないが。「鉄男……、救急車に乗る時、いてくれたでしょう。あの時ね、鉄男の顔の向こうに夜明けの街が見えてた。わたし、はじめて見たような気がしたの…

まだ空は暗いブルーでね、遠くに山が見えるの。その下に街の灯りがイッパイ見えて、『あ~、朝になるんだな』って嬉しかった」。女性らしい感性豊かな誌的な表現だが、彼女自身の何かが変貌を予感させる、象徴的な言葉である。さとるは言った。「鉄男… 生きててよかった」。さとるは手を鉄男の腕に這わせる。それはさとるが鉄男を誘惑するときのいつもの仕草である。が…

このときさとるのまなざしは、これまでのうつろな性の欲望とは違った。人を愛することを知らずに生きてきた人間が、愛の息吹に目覚めようとする。人が何かに変わろうとするとき、今までとは違う何かが見える。穏やかな流れの中で人は緩やかに変貌を遂げるのだ。暗く陰鬱な性格のさとるの巣立ちを感じさせるラストシーンは印象深い。本上まなみの好演もあった。

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