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『群青の夜の羽毛布』 ①

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  国中のお父さん お母さん達よ 
  理解できないからと言って批判は止めなさい
  息子や娘達は もうあんたの手に負えないんだ
  昔のやり方は急速に消えつつあるなら
  新しいものを邪魔しないで欲しい 
  手を貸すことも必要ない


『時代は変わる』はいろいろに訳されているが、語彙はどうあれ言いたいことは一つ、「子どもの自己形成」。いかなる自己形成が成されるかにかかわらず、親が障害となってはならない。が、親は自分の価値観を押し付けることが子どもの自己形成にプラスになるとでも?おや、そんなことすら考えていないただの親の自己満足を、子の幸せと思い込んでいるだけのようだ。

何気にこんな記事が目に止まった。「先日、娘と大ゲンカをした。お互い強情なので、それぞれの部屋に引きこもってしまった。その時、ふと手にとったのがこの本。ずっと前に買ったまま読んでいなかった本なのに、こんな時に読むことになるなんて…。それは、神の啓示だったのかも知れない。なぜなら本書は、母娘が奏でる、あまりに怖ろしい狂奏曲なのだから。

山本文緒の小説ということで多少の恐ろしさ、おぞましさは覚悟していたが、まさかこれほどとは思わなかった。(中略)娘とケンカをした私にとって、この小説はこたえた。親と子どもは、人格も人生も別々と頭では分かっていても、つい自分の望む人生を歩ませようとし、少しでもはみ出そうものなら、ついカッとなり、自分でも驚くほど意地悪な言葉を子に投げつけてしまう。

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ああ、私はこの「母親」になる素質が充分にある。このままでは子の人生を、家族の人生を殺してしまうではないか。ページをめくりながら私は全身の震えが止まらなくなった。ここまで異常な事態になることはないと思う(思いたい)が、もし子育てにイライラし、その原因が「自分の理想と子どもの現状との齟齬」にあるならぜひこの本を開いて欲しい。この母親を見れば必ず心が鎮まるはず。「さすがに、こうはなりたくない」と、ね。」

真摯に自省をする母のようだ。反面教師に良いと勧めているが、確かに反面教師は即効性がある。良い人の点は感動できても、なかなか実践はできない。頭で分かっても、実践できないなら身につかない、「絵に描いた餅」。この母は、「親と子どもは、人格も人生も別々だ…そう頭ではわかっていても」と言っているが、分からないより、分かっている方がよいのだろう。

と、誰でも思うが、「しない(できない)」ことを何十、何百知っていても、できないことは知らないと同じこと。自分はいつもそのように啓発する。「知ってること」、「良いと思うこと」は取り合えずやる。これを、「知行合一」という。とにかく、知識と行為は一体でなければ何の意味もない。ゆえに、「しなかったこと」、「できなかったこと」についての言い訳はしない。

言い訳を許してしまえば、いつも、「しない」言い訳を得意にしてしまう。「すべきこと」は、「すべきこと」、それ以外に何もない。さらに、言い聞かせていることが二つある。一つは、「あの状況ではああ言わざるを得なかった」。もう一つは、「自分の立場ではこう言わざるを得ない」などの言い方は絶対にしないこと。では、後でそのように言わなくていいようにするにはどうすればいいか?

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「どんな状況でも自分の心の中にある事以外は言わない」。「立場よりも誠実を大事にする」ではないか。果たしてそういうことが真に可能か?本音と建前は社会の常識だろうに…。確かにそうだが、だったら、自分の心にないことを曲げていうくらいなら、黙っておけばいいのでは?それと、嘘を言う必要が生じるような精神状態に自分を置かなければいいのでは?

ありがちなのは、あまり考えずに流れに乗って、引くに引けなくなり、つい心にないことを言う羽目になってしまう。これを防げばいいのであって、その防ぎ方を知っていればいいことではないか。セールスマンと相対しても、相手におもねらず、なびかず、相手の口車に乗るのではなく、己を信じればいいのよ。よく、セールスマンに相槌を打つ人がいる。

相手が一生懸命に説明したりする。話したりもする。だから、聞いてあげなきゃ悪い、信じてあげなきゃ悪い、相槌を打ってあげなきゃ悪い。…って、オカシイだろう、そんなの。人のいうことをすぐに間に受けるのは、自分に誠実とはいえないのでは?すぐに信じる前に、自分で調べ、確かめなくていいのか?そんな時間も余裕もないなら、とにかく鵜呑みにしないでとりあえず保留。

相手は、その場ですぐに信じさせたいわけだし、顧客の頭が冷えないうちに、即決させようとするのが彼らのテクニックである。こちらがバカになることで、必然的に相手が有能になるのだが、何で自分がバカになってまで、相手を有能にさせる必要があるのか?「何でそんな高価なものを買ったんだろ?」と悔いる人は、「何か買わなければいけない雰囲気だったんだよ」という。

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「高価なものを雰囲気で買うなよ」と思うが、思うだけで相手を責めたりしない。相手が自身の軽率さを責めたらいいこと。自分に悔い、自分に文句を言えばいいこと。などと、しっかりしたようなことを言うが、つい先日は自分も将棋の駒で失敗した。失敗には必ず要因がある。あの時の自分は、駒についての油断があった。それは画像を信じたこと。これが軽率だった。

駒の材質である黄楊は、経年で飴色になるということを知っていながら、つい画像の色に見惚れてしまった。理性で思考すればあり得ない事だが、あの時は何十年ぶりに駒を買うということもあって、大切なことが抜け落ちていた。画像の色だけを信じてしまったのはあまりに軽率でバカであった。久しぶりということが、思考に足りないものがあったという事。

お店が提供する画像の色合いに文句をいう事ではなかったのである。見栄えのいい女と付き合ったはいいが、中身はとんでもない女だったと同じか?いや、違う。それはこじつけ。画像のインパクトで思考をしなかった点は似ているが…。人間の場合、考えてすぐに分かるものではないしな。知識はあっても、油断がある。いつも完璧に生きるなど難しい。

ただし、自身が犯した明らかなミスの言い訳は無用。でないと癖になる。言い訳する奴は、あれはもう無様な癖である。セールスマンの口車に、「水を差す」のが抵抗があるなら、黙っていればいい。相槌もしないことだ。すると、セールスマンは気にし始める。この客は自分のいう事を理解したのか?半信半疑なのか?どう思っているのだろう、不可解だ…。

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それでいい。愛想する必要はないのよ。その場の、「空気感」という拘束を断ち切るためには、「水を差す」のが最善だが、そういう勇気のない人は愛想をしないこと。相槌を打たぬこと。そうすると、相手はたたみかけてくる。自分は、納得いかないこと、信用できないこと、事実か否かを確かめる余裕がない場合は水を差すが、こんなのは当たり前のこと。

相手ばかりが知識があって、自分に知識がないからとて恥じることもないし、相手の知識が正しいと確信を抱く理由もない。信じる根拠がないというのは水を差してみるとばよくわかる。相手の言葉が単なるセールルストークか、本当に本物の知識か。つまり、「水を差す」という行為は、「あなたの言ってることを100%信じるものではない」という態度の表明である。

山本文緒は名前くらいしか知らない。2001年、『プラナリア』で直木賞をとっている才能ある作家のようで、テレビドラマにもなった、『恋愛中毒』は代表作であるらしい。ドラマも観てはないし、本も読んでもいない。彼女の作品とはまったく縁がなく、新聞記事のコラムを読んだ感想をいうなら、否定されるべく事象の中にある肯定的な部分を見つける人のようだ。

周囲に流されず、彼女独自の視点で事物を捉える慧眼は女性的というより、女性離れした女性かも知れない。いい子でいたい、人から良く思われたいという欲の深い女性にすれば、彼女は、「女性が女性として認めたくない点、性質的に嫌な部分」を何ら躊躇うことなく書く人であろう。自分もそうしたところがあり、共通するのは利害に蹂躙されない正直さか。


『群青の夜の羽毛布』をわざに買って読もうという気もないが、YouTubeで映画が全編観れるので鑑賞した。本上まなみと玉木宏が主演で、お目めの大きい本上を、自分は知り合い女性をイメージしながらシーンを追った。教師であり、厳格な母に洗脳されて働くこともできず、家事一切を任された心弱き長女が醸す恋愛ドラマのようでもあり、母娘問題でもある。

さらに驚くのが、部屋から一歩も外に出ないで引きこもり状態の父親の存在も異常だが、かつて父は若い女性を恋人に持ち、彼女宅に出入りしていた。ある日、そこに妻と娘が押し掛け相手女性を詰る。「あなたが父を諦めるまで、私は何度だってくる。それが家族なのよ!」の言葉に女性は言う。「あのひと、家族なんていない」そう言うとナイフで手首を切り割いた。

父親の不倫の相手女性は、幸い命を取り留めたが以後は父の前から消え、消息不明となる。それが原因で父は引きこもりとなり、精神に障害をきたすが、娘は部屋に食事を運ぶ毎日となる。そんな父がこんな告白をする。相手は先生というが、映画ではよく分からない。「確かに家族から逃げていました、先生。妻は私のことを本当には愛してくれませんでしたからね。

誰も私を待っていない、あの坂の上の家…。帰らなきゃいけませんか?恋をしてはいけませんか?傷の癒えた彼女がいなくなったのも、すべてあいつらのせいなんです。あいつら…、妻と娘…」。山本は、家族に必要とされない男の、ささやかな恋愛感情を肯定的に描いているが、世の中そういう夫はいる。家の中で引きこもるくらいなら、羽ばたけばいいのよ。

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