さまざまな色が混じり、溶け合って一つの色になるという考えは、日本人のような単民族社会にあっては、皆が黒い髪、黒い目、黄色い肌であることからして育ちにくい。したがって、森山氏の三男についても、校則を承知で入学し、誰もが守っているのに自分勝手とする非難は当然にあった。が、丸刈り強制が憲法違反ということには意識を払わず、規則違反を非難する。
なぜに丸刈り強制が憲法違反なのか?頭髪は身体の一部であり、髪形は本人が決めればよい事と言うのは大人なら分かろう。親権者が存在する子どもなら、本人と親が決めればいい。髪形の自由は憲法で保障された基本的人権である。さらには、憲法第13条の、「幸福追求に対する国民の権利」にある、自己決定権(個人の事は自分で決定する権利)に属すと考えられる。
となると、髪形の自由を制約するためには同第31条により、国会で制定する法律の定める手続きによらなければならないが、学校で行われる頭髪規制は法律によらず、単に校長が定める校則によりなされているに過ぎない。よって丸刈り強制は同第13条と第31条に違反しており、生徒は従う義務がない。にもかかわらず、校長や教師はなぜ丸刈りを強制するのか?
大きな理由は、「髪形を自由化すると生徒が非行化する」というが、これは恣意的で根拠はない。また、管理しやすいというのも、学校が教育の場であるとは断じて言えない。教師が頭髪検査をし、指で髪をはさんだ時に、髪が指の間から出ると切ることを強制され、従わない者にはしばしば体罰も加えられたり、校内で強制的に坊主頭にされるなどもあった。
頭髪ごときでこういうことが当たり前に行われていた時代もあったということだ。こんにちではまさに笑い話となるこうしたことが、子どもたちた、子どもを人質に囚われていると感じる保護者からの苦情もないままに横行していた。体罰の怖さもあるが内申書という不利益を恐れつあまり、従わざるを得ない。こうした鬱積感が子どもたちの反乱に駆り立てていく。
岡崎市の丸刈り問題は親の尽力だったが、常滑市鬼崎中3年の杉江匡くんは、朝日新聞 ≪論談≫ に、「先生、僕は髪を伸ばします」を投稿して話題になった。杉江くんの経緯はこうだ。名古屋弁護士会が岡崎市に、「丸刈り強制は人権侵害」と勧告を出した87年10月の翌月、常滑市鬼崎中三年の桐原教諭が頭髪検査で、「髪の伸びた者は切るように」と注意をいい渡す。
それに対して杉江くんは担任である同教諭に、「僕は切りません。伸ばします」と申し出た。杉江くんは職員室に呼ばれ、自分の意思かどうかを聞かれた。自分の意思と答えたが担任とは堂々巡りが続く。11月30日、杉江くんは自分の意思を綴った作文を学校に提出する。12月7日に校長、担任、両親の三者が話し合った結果、学校は、「静観するも指導は継続する」と決定した。
朝日新聞の ≪論壇≫ には、教諭とのやり取りや提出した作文が骨子で、①中学入学時から丸刈りは嫌だった。②憲法を勉強し、丸刈りは人権侵害と確信した。③制服は着脱可能だが丸刈りは制服とは別。④担任は「地域の特性」と言うが、憲法で保障された人権に地域差はない。などと主張する。杉江くんには同学年から、「すごいね」などの称賛や激励が寄せられた。
特に女子生徒が多かったといい、家には保護者からの激励の電話も舞い込んだ。「一人の長髪登校の真意がハッキリし、特別扱いでないのが分かった」。「今の子どもたちがこれほどハッキリ物をいうことに感動し、思わず座り込んでしまった」などの激励もあった。杉江くんはバスケ部のキャプテンでもあり、「物事を深く考え、真剣に捉える生徒」と、評価を与える教諭もいる。
校長は己の体面が気になるのか、こんな言葉を吐く。「あと60余日ですよ。たった60余日。卒業すればすべては片付く」。ようするに、杉江くんだけの問題という考えでしかない。杉江くんも自身だけの問題なら、この時期にあえて内申書が傷つくようなことをするはずがない。彼は、「内申書問題に余計な気を使いたくない。自分は東京の私立高に行く」と腹を決めていた。
なるほど…。学校の規則や規範に盾突く生徒が内申書に響かぬわけがない。自己主張の裏には学校への依存も期待もない。子どもたちのホンネは髪を伸ばしたいし、思春期の女子とて男子の丸刈りは嫌なはず。が、校則と内申書のためにか、口を閉ざして従っている生徒をいいことに、教師や学校は生徒を管理し易いとの理由で丸刈り強制の校則を課している。
子どもの反乱とはいえ、それが正当なものであり、周囲からの支持もあれば、何かを変えることはできる。多勢に無勢と諦めることなく信念を貫くような子どもを育む学校こそが国家のためである。「地域の特性」など誤魔化す担任に、「憲法は特性を謳ってはいないのでは?」と言われれば閉口するしかない。誰かが立ち上がるから物事が変わるが、その誰かに誰がなる。
一方、公立中学校すべての男子生徒に丸刈りを義務づけていた神戸市にあって、唯一、長髪を ≪黙認≫ していた東灘区六甲アイランドの私立向洋中学校は、1989年度入学の生徒から正式に長髪を認める方針を打ち出した。決定の大きな理由は、向洋中が88年4月に新設された学校であり、生徒のほとんどが丸刈り規則の無い阪神間や他府県からの転入生であったこと。
丸刈り強制などと古い話だが、これも「温故知新」である。今にして当たり前の事が、10年、20年前になぜ当たり前でなかったか?これらを紐解くと見えるものもある。向洋中の当時の校長は、「生徒が生活や態度に責任を持てるのなら、頭髪は自由であっていいはずで、なぜそれが強制され、また規制が外れると注目され、意識されるのでしょうか」と話していた。
規制から規制解除に至る過程に ≪黙認≫ という曖昧な期間がいかにも日本的である。白か黒かをハッキリつけないで決着するのを「玉虫色決着」という日本語があるが、外国語に訳すのは難しかろう。外国人に日本語を教える際に、「実はこのyesは本当はyesではなく、noの意味合いの強いyesだ」と言えば、「だったら、noでいいんじゃないか、noといえば…」となる。
日本人が曖昧なのは言語によるところが大きい。英語は最初に、「no!」、または「yes!」と否定や肯定の意思を表示し、そのあとでキチンと理由を述べる言語体系だが、日本語と言えば、最後まで聞いてみても、正しい意思表示をしない言い方をせず、語尾を曖昧にする事が多い。これは内向的な民族だからであり、その内向性も実は言語による部分が大きいのだろう。
「いやよいやよもいいのうち」というのは、伝承される女性の言葉だが、危機管理意識という点においては危険である。また、「臭いものには蓋」。「面倒なことは先送り」など、いかにも日本的な、"事なかれ主義的対応"である。戦時中に同盟国であった日本とドイツで、正確にいえば、「日・独・伊・三国同盟」だが、同じ敗戦国ドイツはきちんと戦後処理をした。
ドイツの敗戦処理を一言でいうなら、「ナチスは悪かった。ナチスとにかく悪かった。ナチスは無茶苦茶に悪かった。 俺たちはその最大の被害者だ」 という自虐史観ばかりでもない。「周辺国に戦禍を招いた事は悪かった。それは周辺国が我がドイツ人を戦後迫害・追放したのと同じぐらい悪い行為であることを認める」などと、罪の相殺を図る言質を堂々述べるドイツ人。
処理を曖昧にした日本が、中国や韓国に毅然とできないのは情けない。竹島問題がくすぶる韓国、尖閣諸島問題が勃発した中国は、1972年以降45年にわたって喧伝されてきた、「日中友好」とやらが、所詮は、「欺瞞」と、「幻想」でしかなかったというのが明らかになった。話が飛躍したが、問題はその時、その場でキチンと解決しておかねば禍根を残すことになる。
ブログを始めて10年が過ぎ、自分の年齢が10歳増えたことになる。それらが記事に詰まっている。人間は成長し続けるというが、足止めも食うし、やがては成長も止まる。ただ、成長が後退するとか、晩節を汚すのだけは何としても避けたい。子どもの頃に見たお爺さんは皆優しく、誰もが、「花咲か爺さん」のようであったが、その域になると周囲に根性悪の高齢者は多い。
長編小説『火宅の人』(1975年)は、壇一雄の遺作である。これまで、「火宅」の意味について、自宅内外で家族や周辺に業を煮やす、そんな火種の持ち主と理解していたがWikipediaには、「仏教説話(正確には、「法華経 譬喩品」より)の用語で、『燃え盛る家のように危うさと苦悩に包まれつつも、それに気づくことなく遊び呆ける状態』を指すということであった。
テレビドラマ化(1979年)された後、映画(1986年)にもなったがいずれも観ていない。「自由奔放」は見るものじゃない、やるものだ。ブログを始める時、「映画」の書庫を作った。最初の数編は自身のなかで特別印象に残る映画を挙げた。真っ先に取り上げたのが、『櫻の園』 (1990年) である。原作は漫画家の吉田秋生だが、漫画に疎い自分は当初吉田を男と思っていた。