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管理教育と主体性 ①

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我々は戦前の、「修身教育」世代ではないが、「決まりは守る」、「年長を敬う」、「親の言いつけを守る」を厳しく教育された。それでも地域によって硬軟あり、儒家思想が厳しかったのは愛知県、山口県、愛媛県と言われていた。愛知は三人の天下人、山口は三人の宰相を出した保守王国であり、愛媛も、「自民にあらずんば人にあらず」と言われている。

保守とは排他的をいい、革新的なものを嫌うこと。愛知の若者が保守的なのは、「トヨタのせい」という見方もされる。トヨタはなぜに本社を東京に移さないのか?世界の疑問らしいが、こうした排他思想がガッツリ愛知を守っている。高校までは愛知として、大学で愛知を出なければ生涯愛知県を出ないことになり、愛知県民の県内完結生活が固められるという。

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トヨタこければみな、「こける」。このトヨタ依存体質はトヨタを世界一に押し上げた。製造業とは製造ラインを無駄なく効率的に運用すること=競争力であり、その実現のためには革新的な従業員より、保守的で忠実な従業員が必要となる。改善はあくまでその範囲内でのこと。公立中学校で教師に従順となり、スパルタ高校でさらに従順さは3年間延長される愛知県民。

同じような思想背景で大学生活を過ごせば排他は必然。「親孝行三県」といわれる愛知、山口、愛媛では管理教育の影響も大きい。高校の校則に、「女子の黒いストッキング禁止」とあり、その理由が、「不良」であると愛媛県の友人から聞いて笑ってしまった。おそらく黒いストッキング⇒娼婦のイメージだったのだろう。校則なんて、所詮は無根拠の決まりである。

愛知県民の保守性はトヨタのせいというより、いまだに残る根強い管理教育だと考える。1987年に岡崎市であった丸刈り校則反乱事件を思い出す。「男子は丸刈り。長さは9ミリ以下」。そう指導していた愛知県岡崎市の中学校で同年4月、坊ちゃん刈りで登校する生徒が現れた。「誰かが勇気を出して言わなければ、いつまでも変わらない」という親の決意からだった。

生徒は、愛知教育大教授森山昭雄・浜子夫妻の三男。「丸刈りのない中学に進みたい」という希望を叶えんと夫妻は85年、「髪は体の一部。丸刈り強制は人権侵害に当たる」と学区の中学に直談判した。当時の校長から、「強制ではない。親の強い希望があれば特例を認める」との言質を取ったが、校長が交代。丸刈り指導は、「学校側の強い要請」として残っていた。

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三男の長髪は黙認されたが、教師を始めとする他の生徒や保護者の反発など、周囲のプレッシャーは強く、森山夫妻は息子を守るために、「頭髪自由化」の署名活動を行う。新たな住民らの共感を得て、市民運動に育ち、県外からも支援の声や情報が届き、その輪は全国へと広がった。88年には文部科学省が校則見直しを促すと、各地で丸刈り校則を巡る議論が活発化する。

丸刈り賛成派は、「生徒指導がしやすく、勉強専念や非行防止に効果がある」といい、反対派は、「根拠がない」と批判した。ある母親は、「これまで丸刈りしてきた子どもたちに説明ができない」などバカなことをいう。改革というのは、旧態依然のこれまでの事を変えることだというのがわかっていない。反対の論理というのは、何かにつけてこの程度のものである。

各地で校内暴力が吹き荒れ、「頭髪や服装の乱れは心の乱れ」と校則を強化する動きが相次いだが、子どもの締め付けが問題だった。さらに学校が荒れ始めた80年代後半になって、やっと管理教育の行き過ぎが批判を集めるようになる。89年に森山氏は、『丸刈り校則たった一人の反乱』を刊行、岡崎市で頭髪自由化が実現したのは90年、森山家の三男が卒業後であった。

森山氏は、「みなが一緒にやることは正義とでもいうような同調圧力が地域や学校に根強くあった。それが自由化の障害になった」と振り返る。「正しいものは一つ。それ以外は認めない」という思考が異端なのは、今なら誰でも分かるが、集団主義に毒された人間には分からない。そういうところから、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というパロディも生まれた。

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こういう思想教育は軍国主義と同じで、人間の自由さや柔軟性が、初期段階から毒される。そういうものが保守的な県民性を生むのではないか。周囲はどうでもお前はお前という欧米の個人主義ならともかく、「人間は考えない葦」などの思考停止に陥った人間は、付和雷同礼賛である。丸刈り強制根強く、熊本県や兵庫県神戸市にも同じような問題があった。

その神戸市が丸刈り廃止になったきっかけは、六甲アイランド外の地域から引っ越してきた新住民が、島内に新設された中学校での丸刈り校則に反発したことだった。「ダメ」に従えば変わらないが、「ダメ」に抗えば変わる。問題なのは、「丸刈りで学ランって何にも考えなくていいから楽」という中学生の声。これが大人の作り出す理想の子どもなのか?

同じ愛知県にあっても名古屋地区は管理教育がゆるい。それより以東の三河地区には歴史のある私立高校もなく、それが公的管理教育のベースになっている。過日、岡崎市内の市道で横断歩道を渡っていた集団登校中の小学生に対し、軽ワゴン車が突っ込む事故が起きた。この地区は集団登校を行っているようだが、「横断歩道はみんなで渡れど怖い」ということになる。

「純潔教育」を施された我々の世代は、婚前交渉などはとんでもないことで、強姦された女性がクビをくくるなどもあった。「処女にあらずんば結婚相手として認めない」など、男中心主義的で身勝手な、「処女信仰」は、今に思えばバカげたことに思うが、当時は、「処女膜再生」施術などが整形外科医のキャッチコピーにあった。これは精神的な、「縫合」であろうか。

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また、出血=処女というのがまことしやかに喧伝され、新婚初夜に疑念を持たれた妻が、言い訳も認められず離婚の原因となったなどは、今に思えば笑い話では済まされない悲喜劇であろう。多様な価値観を認めない排他性の誤謬は、正しいものは一つという信仰である。誰もが自分たちの受けた教育を正しいとし、疑うこともままならかった我々の世代である。

何度も何度も何度も言い尽くせども、人の事は理解できない。理解したと思うことはできるが、相手の話す(あるいは書く)言葉の意味を理解したに過ぎず、心の中を額面通り理解するなどあり得ない。自分は親に虐待され、自我が芽生えたと同時に親から下される精神の崩壊を守った。それを平易な言葉で、「反抗」というが、自我とは自己を守るために生み出されるもの。

しかし、自分が体験した事実を誰に話しても理解は得れなかった。同情や同意を求めたのではないが、あった事実は理解すれど、心の内面理解はできないようだった。ネットには同じような鬼母体験の記述があるが、どれを読んでもあった事実を理解できるが、自分も同様に他人の心の理解には至らない。同じような体験をしているにも関わらず、人の苦しみの神髄は分からない。

だから他人の体験談は、「そういうことがあったんだ」という程度である。分かろうとする必要がないからかも知れない。自分に照らして考えればいい事だから、何も他人の事に深い思考で巡らすこともない。ましてや、体験なきものなら一分の理解もできないだろう。同じように、「そういうことがあったんだな」程度である。「他人事」は所詮は他人事で、理解はできない。

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爆体験者や、戦争体験を聞いても真の理解には及ばない。神戸児童殺傷事件の少年Aは、「被害者の気持ちがだんだん理解できるようになった」と被害者遺族宛てに書き送り、被害遺族はそれならと、「許す気持ちになりかけた」とあった。許すというのは一方的な、「許し」ではだめだ。相互が理解し合ってこそ真の、「許し」となり得る。それは自分もよく言われたことだ。

「まだ親を許せないのか?」などと、人は簡単に言う。悪いことをしたと思わない人間を許す必要がどこにあろう?そういう人間を許して自分の人格が向上するとでも?謝罪なき人間を許す必要を自分は感じない。しかし、謝罪もまたいい加減である。少年Aの謝罪がいい加減なものであったのは、手記の出版で理解できた。最も理解したのは被害遺族であろう。

あの手記には慄然とし、強い怒りを持った。これほどまでに人の平穏を踏みにじるなどは糞人間である。書かれてる中身や内容などより、行為が問題にするなら、中身などは見る気も起らない。自分の怒りは、中身を読んで能書きを垂れる評論家の心情にはとてもならない。被害遺族はその生ある限り、少年Aを許すことはないだろう。加担した出版社も同罪である。

自己を欺くごごとく他者を欺く謝罪の多きこと。それに比べれば、『愛を乞うひと』の母親のような、ばっくれた態度の方が、子どもに何が真実かを教えることになる。誠実とは言わぬが正直かも知れない。一方的な、「許し」というのは自己満足である。確かに人間は自己満足に生きるところがある。善き事・悪しき事、それらの否定も肯定も自己満足で成されている。

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