スポーツの監督は主にチームを指揮、コーチはその名の通り指導・訓練従事者。名監督といわれた元阪急の西本幸雄氏は、しつこい指導で有名だった。難しい技術はこなせても簡単なことは徹底しないと身につかない。コーチが許す些細なミスをわざと強くしかった。選手は、「コーチを差し置いてうるさいオッサンだ、まったく…」、それでも怯まず声を荒げた。
うるさく、しつこく言い続けることで、人間はそのことの大事さを知るばかりか、うるさく言われたくない自尊心も湧き上がり、「言われないようにやっておこう」となる。これが西本の狙いであった。逐一、言い続ける側も面倒で大変だが、それがベストと知っていた。「簡単なことはいつでも身につけられる」といった母親を無知と言ったのは、物事は簡単ゆえにしないことが多し。
子どもが起こした大きなミスは強く𠮟らない方がいい。そのことは子ども自身が分かっているからで、本当に分からせるべき、身につけさせるべくは、見逃されやすい小さきことであって、それでこそコーチとしての親の役割であろう。友人は妻に対して、「もう何もいうまい」と決めたことがあったようだ。強く言った時に妻がキレてこんな風に言い返されたという。
「あなたってホントうるさい。親にも言われなかったことをグダグダ言わないでくれる?わたし、命令されるとダメだから」。なるほど。よくある口ごたえだ。命令されてもされずともしない。甘やかされて育った子どもの典型で、大人になっても批判や注意を嫌がる。どういう批判であるのか、受けた注意がどういう迷惑をかけているのかを思考する前に感情が立ち上がる。
子ども時期の反抗に親が屈したということだ。そういう親は、子どもに嫌われたくないから、子どもが反抗するようなことに神経を尖らせ、言わないようにする。子どもに気を使うような親は親ではないが、得てしてそういう親は子どもにとってはいい親である。その代わりに、生活習慣が身についてない。まあ、大人になれば至らぬ点も分かり、自己啓発もする。
躾をしない親というのは本当に怖ろしい。たとえ躾をしたところで、自分の楽な、安易な方向に向かう事もあるが、躾をされていないことの一切が、「これでいいんだ」と内面化され、自己正当化されるのが本当に怖いことである。親として責任を痛感するしかない。神戸連続事件の少年Aのような、大罪を起こした息子の親が、「責任を痛感する」などと世間に詫びたりする。
そのような大罪を起こす子は特別として、生活習慣などの躾を怠り、周囲や配偶者に迷惑をかけることにおいても親には責任がある。親の義務とは産んで大きく育ててるだけではなく、体格のようには目にみえない、心や情緒の成長にも大きく関わり、社会に恥じぬ子を目指す。子を産めば誰でも親だが、子を社会の一員として考えるなら、果たすべく役割は多すぎる。
厳しく躾けをされた親こそが、「本当にありがたかった」であろう。それでこそ知る親の恩である。恩というより義務と思うが、たとえ我が子に嫌われても身につけさせたいモロモロは多い。人から笑われない子を育てようという愛情こそが何より大事である。可愛がるだけの子どもはペットである。「『親にも言われないこといわないで』と言われて、何も言わずに黙ったのか?」。
「これ以上言ってもダメと感じた。この言葉が俺への最後通告と感じたかも知れん」。「ふ~ん。まあ、お前はお前だからいいが、俺ならそんな言葉は絶対に許してないね~」。「そうか?」、「しかし、躾がされず増幅された短所を正当化し、それで親にも言われないことを言わないで、ってそれはないね~。だったら、うるさくない親のところにとっとと帰れと口にでる。
豚小屋がいいなら、親子で豚をやってろ!と、自分はいいそうな気がする。欠点は直そうという前向きさが人には必要だが、それがない」。「そこまで頭が回らんよ」。「そうかな?あまりに言ってることがアホくさくて、言い返せそうなものだが…」。これって、自堕落を正しいと親に容認されたようなもの。親に言われないことを正しいと信じる、あるいは正当化する奴はいる。
親に言われた、言われないが、善し悪し(正しい正しくない)に内面化されるのが怖い。だから、「親にも注意されなかったことをうるさく言うあなたって何よ?」という言葉が出るんだろう。うるさく言われ続けたことが正しかったと、その時は分からずとも、大人になって分かればいい。親の影響は大きいから、躾けられなかったことを他人が善悪を言っても分からないところも怖い。
夫の妻のどちらに感情的な加担はしない。思考に感情を入れると、シビアな答えが出せなくなる。何が善くて何が悪い、何を改めると問題が解決するか、それが重要だ。離婚が常態化され、「プライチ」などと呼ばれるようになった背景には、夫婦が加害者と被害者という観点で語られるからだろう。例えばある夫婦が、男性側の浮気や暴力によって離婚した場合。
加害者はもちろん男、被害者は女性ということになるが、話を聞けば、誰がみても悪いのはもっぱら加害者の男ということになり、被害者である女性は周囲や世間から温かい同情の目を向けられる。だから、被害者女性も離婚に際し、「自分はなんにも悪くない」などと自覚する。それどころか、世間の同情を集めるうちに悲劇のヒロイン意識まで芽生えてくる。
自身へのうしろめたさがまるでなく、周囲も自分に味方してくれるわけだから、離婚した自分には何ら原因を感じることもなく、そのことが恥を感じない離婚が増えたの原因か?だから被害者意識として離婚経験した者は、その後も堂々としていられるのか?客観的に結論できない難しい問題である。が、離婚した女性であれ、あまり被害者意識を口にしない人がいる。
一見、自分に大いに原因があるように受け取れるが、それも人による受け取り方の差異というものだ。が、得てしてそういう女性には明晰で頭の良さを感じる。如何なる視点であれ、不法行為の離婚の基本は五分五分であろう。人につまびらかにしたいなら別だが、原因は誰よりも自分が分かっている。こういうところで感情を抑えられる理性的な女性もいる。
とかく人を悪く言いたがる女性にあって、相手の言い分を洞察して尾ひれをつけないのは聞いていても清々しい。夫婦関係が破たんした原因を自分は夫から聞いたが、双方から聞かねばならない複雑な問題は何もなく、妻が片づけをできない自堕落さにもう我慢をしないと決断しただけ。そんなことで離婚か?というが、これが7年間我慢をした結果である。
妻には、「話がある」と外に呼び出した。豚小屋に入りたくないという理由もあったし、相手も嫌がろうとの配慮もあった。滅多に行かない茶店だが、そこで落ち合った。遅れはしないが彼女が先に来ていた。最初の切り出しをどういうかだけは決めていた。自分は率直なので、最初から率直に言った。「どうやら離婚した方がいい雰囲気らしいが、そっちはどうなんだ?」
「毎日帰りは遅く、でも仕事というのは嘘みたいで、どこかで時間をつぶしているのは分かってます」。彼女も率直なO型なのは知っている。「ゴルフの練習場だよ」というと、クルマにゴルフバッグを見ました」という。「ずっと口を聞いてないし、その辺のストレスはどうだ?」、「主人の顔もまともに見れません。押し黙ってる感じが顔に出ていて、それで分かります」。
「食事も以前はリビングでテレビ観ながら食べてたけど、今は自室にもっていって食べています」。「そうなんだ。なぜだと思う?」、「当てつけに思えます」。「違う。オタクのダイニングテーブルって、崩れそうなくらいに物を置いてるらしいが、テーブルって物置なんか?」。「そういうもののように使ってます。便利なので。だからですか?」
「床の上に物が散乱していても平気なんだろ?衣類まで散らかってるらしいね」。「片づけができないんです。昔から…」。「奴がそれを嫌がってるのは知ってるだろ?」。「知ってますけど、あまり言われなかったし」。「まあ、人に言われてできることじゃないしな」。「私は批判とかされるとむかつくんです」。「なるほど…。親も言わないように遠慮していたんだろうね」。
「掃除しろとか言われたことなくて、だから気になりません」。「こういう風に考えられないか?相手が喜ぶことをするのが愛情」。「部屋のことは普通に我慢の範囲と思ってました」。「してあげたいもなかった?」「できないんです。しても彼には気にいられない」、「なるほど。可能性ってものは、努力に裏付けられるが、『直らない』という断定は、『直さない』だからな」。
「だと思います。やっても続かないんです」。「やりたくない掃除を、我慢して今後7年間やってみるとかも無理だろな」。「多分…。私の性格を理解してくれてると思ってたところはありました」。「我慢も慣れることはあるけど、そうではなくて、どんどん蓄積される我慢もあるってこと。彼の場合はそっちだったということになる」。「はい。相性からいっても離婚ですね」。
「だね。奴の我慢も限度、君も直らない。このままの状態で共同生活は互いプラスにならないだろう」。「ですね」。「うるさく言われるのはダメっていったんだろ?」。「いいました」。「本当は親がうるさく言うべきだったかもね」。「うちの親は言いませんでした。無断に入室されて部屋を荒らされてキレたことがあります」。「以後、二度と部屋に入るなって言ったんだね?」。「はい」。これは想像つく。
「とりあえず離れてみる方法もある。実家に帰るってこと。自分を見つめるための別居ってプラスになるかどうかわからないが、親と話したりで変わろうとの意識が芽生えればだが…」。「多分、無理です」。「なるほど。さっきから直らないと言ってるし…」。と、概ねこんなやり取りだった。夫の気持ちを知る以上、あとは妻の方向性次第で、婚姻継続か、離婚かの答えはでる。