森内九段のフリークラス転出について前回記事で、降昇級などの制約のないクラスで自由に対局に臨みたい考えに傾いた?と邪推した。他人の心を正しく読むのは至難だが、「A級から落ちたこと」と本人がいったように、永世名人資格保有者のA級陥落は承服できなかったのは理解できる。ならば、中原16世名人や谷川17世名人のB1陥落に森内は批判的であったと思われる。
こういう場合における人間の行動は主に3つに分かれる。①彼ら(中原・谷川)もB級で続けたのだから何ら問題を感じない。②2人の前例はあっても自分的には批判を抱くが、諸般の事由からB級1組落ちを踏襲する。③他人がどうあれ、永世名人資格保有者はA級陥落と同時に順位戦は引退すべき。③を選んだ森内は、自身の価値基準が揺らぐことはなかったのだろう。
森内の選択は、大山康晴15世名人の意志を受け継いでいる。森内・大山は、中原や谷川以上に永世名人の重みを自負していたということだ。②の「諸般の事由」とは、収入のこと。いかなる理屈をつけようと、B1で指すことはいずれA級返り咲きを狙うということもあるが、別の理由として収入確保である。が、永世名人資格保有者がB2、C1と落ちてはダメだろう。
A級以外で順位戦は指さないとした森内、「A級以外はみな平幕」という大山の言葉を思い出す。大山はA級陥落は引退と公言して自らを鼓舞したが、森内もそうであるのは結果が示している。相撲の横綱や、将棋のA級は、地位としての魅力もあるが、仕事である以上、収入も現実的な問題であろう。棋士の主な収入源は、連盟から支給される基本給と対局料である。
どちらもクラスによって格差がつけられ、基本給は名人クラスで、約100万~200万、A級約65万、B級1組約50万、B級2組約30万、C級1組約20万、C級2組約15万、フリークラス約10万などとなっている。名人ではなく、名人クラスとなっているのは、タイトル保有者はクラスに関係なく基本給100万を超す。また、A級陥落でB級1組に落ちてもすぐには減額とならない。
徐々にB級1組の金額に近づいていくため、降級してもすぐにA級に復帰すれば、いきなりの減額とならない仕組みとなっている。 対局料はファイトマネーのことで、対局の重要性に応じて支給される対戦料のこと。 例えばトーナメント戦の場合、1回戦で負ければ対局料はその1局だけとなるが、勝ち進むほどに対局数も増える。以下は「竜王戦」の決勝トーナメント。
また、基本給・対局料以外の収入としては、タイトル戦などの賞金、アマチュアへの指導料、将棋大会の審判や講演料などが副収入となっている。大会の審判や講演料は棋士なら誰でもというわけにはいかず、実力・人気のある棋士に限られている。それ以外の棋士はそうした副収入はあまり見込めない。総収入から税金や社会保険などの天引きは当然にしてある。
これらから考えると、森内のフリークラス転出を他の棋士が驚くのは、権利としてB級1組の収入を放棄したこともある。相撲界に例えていうと、番付最高位は横綱ではなく大関である。昔は横綱という名称はなく、大関の中で横綱を付けられる者のことを、「横綱」と呼んでいた。このことから現在でも横綱になることを、「綱を張る」と表現し、横綱は成績が悪くとも降格しない。
負け越し即引退となる。森内は大関の地位から一つ下の関脇の地位が確保されているにも関わらず、それを蹴って小結⇒前頭⇒十両⇒幕下のさらに下、三段目という5ランク下の地位を望んだことになる。相撲界では十両以下の力士に給料はないが、年に6回支給される10万円の本場所手当、勝ち星をあげるごとに貰える2千円の、「勝ち越し奨励金」などがある。
相撲界では大関陥落者が自らの希望で、前頭や十両を希望しても制度として叶わないだろうし、希望する者もいない。将棋界も同様に、A級陥落棋士がいきなりB級を飛び越えて、C級を希望しても許されない(有り得ないので、だろうとしておく)。が、フリークラス転出は可能。今回森内は、B級1組の月給50万円を断り、月給10万のクラスに落ちたとことになる。
「落ちた」のではなく自ら希望し、「行った」が正しい。そうすることで森内は永世名人の権威を守った。フリークラス制度は1994年に作られたが、この制度がなければ引退である。名人経験者の米長が、A級陥落と同時にフリークラス宣言をしたことがあった。彼は名人一期で永世名人資格者ではなく、森内の行為は前例がない。いろいろ憶測もされ、自分もさらなる思考をした。
フリークラスはなぜ創設されたか?かつてなかった制度が新たに設けられたからにはそれなりの理由があろう。フリークラス創設の目的について公式には、
棋士が(自身の対局以外の)公務・普及を主眼において活動するために設けられた制度とされているが、順位戦参加棋士を減らすことによって、連盟の支出を抑制する目的が大きかったと言われている。
そこで前回とは別の考えとして、森内ほどの棋士は過去の実績から相当の蓄えはある。人の懐を勘ぐるは下世話といえ、現実問題として避けられない。収入面において森内は実績のない棋士とは違う。それは中原や谷川も同じだが、彼らは権利としての地位に甘んじたといえる。それにしても峠を越えた人間の坂道を転げ落ちる速さであろうか。一気に落ちていく。
肉体的なもの以上に精神的なものが大きく作用する。これを、「モチベーション」という。自信や闘志はあっても、それだけでは勝てない。加藤一二三九段もそうだが、盤の前で闘志むき出しの棋士は少なくない。彼らは駒音や所作や表情などから気性は伝わるが、激しい気性だけで将棋は勝てない。闘志を表に出さず内に秘め、それでいて強い棋士はいくらでもいる。
森内は割棋士(勝率)に落ちたが、46歳で3割棋士はあまりである。近年の不調原因は弟子の問題などがあったといわれるが、ファンや周囲は誰もが再起を願っている。森内にもその気持ちはあろう。中原にも谷川にもその声はあった。連盟会長の重責が谷川を弱くしたというが、大山ほどの精神力はなかったようだ。悪い序盤を終盤で跳ね返す圧倒さは今の谷川にない。
森内が自身の負けの多さをどのように感じているのかを知る由もないが、自信をなくしているとまではないだろう。名人経験者で過去にA級陥落した棋士といえば、中原、加藤(一)、米長、谷川、佐藤(康)、丸山、森内の7名。その中でB級に転出をせず、フリークラスを選択したのは米長一人。当時55歳という年齢もあったろうか、中原も55歳でフリークラスに転出した。
谷川は52歳でB1に転出後、3年間で15勝21敗で0.416の勝率である。名人経験者でC級2組まで指して引退した加藤一二三は異例と言っておこう。谷川も、佐藤も、丸山もC2に落ちてまで指すとは思えないが、実際は分からない。求道者加藤に、「晩節」の文字はなかったようだ。谷川はB2に陥落と同時に引退もしくはフリークラスとみる。永世名人がB2では指せないだろう。
指して欲しくない。これは将棋ファンの総意であろう。中原はB1の2年目4勝8敗で13名中9位となり、ここでは勝てないと判断したのか、翌年フリークラスに転出。近年森内も若手に星を落とすが、自信を無くす年齢でもないし、フリークラス名人以外のタイトルを目指す。もし、羽生がA級陥落したら?彼ほどの実力者は引き際も鮮やかであり、問答無用の引退である。
順位戦に縛られず、竜王、棋聖、王位、王座、棋王、王将のタイトルに加え、朝日オープン選手権、銀河戦、NHK杯将棋トーナメントなどの公式戦に照準を据えている。悠々自適で将棋を楽しむというのは早計で、自分は新たにそう考えた。羽生と並び、最強棋士との呼び声高き森内が、近年の若手に星を落とすさまは、「なぜ?」という信じられない思いもある。
劣化というより不調と解したいが、この先2年くらいの将棋を見ればわかる部分もあろう。谷川の見るも無残な負け将棋を見れば、明らかに劣化を感じるが、自分の目に森内はまだまだそんなではない。佐藤康光九段はある時期以降、それまでの将棋を壊し、負けが込んでも新たな自分の将棋を目指して行った。森内九段はそのような新境地を開いて行くのだろうか?
今期NHK杯決勝は、佐藤同士の対戦だった。結果は康光九段の勝利で終わったが、和俊六段は大健闘であったが、優勝の壁は厚い。新たな対戦トーナメント表ができ、早速森内九段を探す。一回戦はシードであったが、次の対戦相手は藤井聡太四段と千田翔太六段の勝者と当たる。聡太と翔太…、どちらも売り出し中の若手で、しかも手ごわい。放送日が待ち遠しい。
NHK杯と言えば、2014年11月30日に放映された3回戦第1局、羽生名人対森内竜王の対戦があった。対局前のインタビューで羽生名人は、「元気よく捻りあいを目指します」。一方の森内竜王は、「初心に戻って自分らしい将棋を…」であった。解説の藤井九段は戦形予想を聞かれて、「分かりません」。さて、対局は羽生の先手で初手7六歩で始まった。
戦型は後手の一手損角換わりに進む。これまでの対戦成績は羽生名人73勝、森内竜王57勝である。後手の森内優位に進み87手目、先手の9八玉に森内が9五歩を指す。藤井は、「駒損で攻めさせて、駒得から反撃で決める。受け将棋の理想形。後手だいぶ優勢」。100手目7九角を見て羽生が投了。完敗だった。羽生は敗因を、「初手7六歩ですかね」とは言っていない。
森内vs羽生戦で思い出すのは、1996年に森内が初めて羽生名人に挑戦した第54期名人戦第1局で起こった、「封じ手事件」がある。それは1日目の午後5時29分過ぎに起きた。記録係が指しかけの図面を書き込み、立会人が封じ手を促した直後、「え、指すつもりだったんですけど」。こう言って森内はさらりと、△9四歩を着手した。これまでの常識から言ってもこれはない。
「森内が羽生に喧嘩を売った」と誰もが考え、大盤解説の米長はこう述べた。「あの一手は、明日から個人的には口をきかないよ、という意思表示。少年時代からの友人関係と決別し、お前とは死ぬまで闘うぞという宣戦布告です」。ところが真相はまるで違った。「あれは単に封じ手をやりたくなかったからで、コッチが早い時間に指しちゃうと、また羽生さんが指すかもしれない。
それは困るから、私の時計で30秒前まで待って指したんです」。第1局が終わった翌日、反響の大きさに恐縮しながら森内は心境を吐露。喧嘩をふっかけるどころか、羽生への無礼を詫びた。そして、こう付け加えた。「あ、そういえば羽生さん、ムッとしてましたね。ちょっとだけムッとしてるのが、分かりました」。近距離で向き合う対局者はそうした機微を感じるようだ。