「えっ、えっ、えっ、まさか?なんで?どうしてだ?」というのが率直な気持ちであった。森内九段の英断ならびに行為から、これまでの森内俊之という人間の、別の新たな森内俊之像が芽生えた。会ったことも話したこともない将棋棋士の森内だが、名人経験者で十八世名人の称号を持ち、A級在位連続22年の棋士である彼は、我々にとっては雲上人である。
その森内九段が、フリークラスに転出したという(連盟の発表では3月24日に届け出を受領)。将棋関係者(趣味のアマチュアも含めて)で、これに驚かぬ者はいないだろう。森内九段の英断の最大の理由は、先の順位戦にての敗戦でB級1組に降級したことと察したが、森内九段本人は以下のコメントを出した。「A級順位戦で降級となったことを受けて出した結論です。
順位戦での歴代連勝記録更新(26連勝)や、名人戦での数多くの対局など思い出深い経験をたくさんさせていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。今後はその経験を生かして、対局者とは別の立場で順位戦・名人戦を盛り上げていければと思っています」。今回、彼の決断に触れ、今まで知らずにいた別の森内俊之という人間の側面を伺い知ることになる。
今回の英断を一言でいえば、「矜持」という言葉が相応しくも言い得ている。難しい言葉だが、年代者には普通に使うし、浸透している語句である。「矜持」=自信と誇り。自信や誇りを持って、堂々と振る舞うこと。きんじ。 プライド。などと、「難読語辞典」に記されている。本人が心情を述べているわけだから外野が騒ぎ立てるのも慎ましからずだが…
そうもいかないのだろう。記事が出て少し時間も経てば驚き桃の木が引いたけれども、森内九段のこの英断から、これまでの同種の事例などが思い出される。まずはとっかかりとして中原誠十六世名人のB級1組陥落の時のことが思い出される。時は1999年3月2日、第58期A級順位戦最終局において中原永世十段(当時の肩書)は、加藤一二三九段に敗戦、2勝7敗となる。
最終局の時点で自力残留の目はなかった中原永世十段だが、もし勝っていれば3勝6敗となり、中原より順位が下の田中寅彦九段が、対局相手の森内八段(当時)に負けると残留確定だが、中原は負け、田中は勝った。第58期順位戦は名人挑戦も最終局までもつれ込み、森内が田中に勝ち、丸山忠久八段(当時)が、郷田真隆八段(当時)に負けると6勝2敗で並んだ。
結果、丸山は郷田に勝利し、プレーオフにならなかったが、マスコミは名人挑戦者の行方と同時に、中原陥落の際の去就で賑わっていた。当時は対局終了までBS放送中継があり、自分も固唾を飲んで中原 - 加藤戦を追っていた。永世名人保有者がB級に落ちるのかどうなのか、名人挑戦者以上にこちらの興味が大きかったのは、多くの将棋関係者の共通するところ。
中原の負けが伝わると、どっとなだれ込むカメラマンと主催紙毎日新聞(当時)の記者のあまりの多さに事情を知る中原は、マイクを向けられて事もなげにこう答えた。「指しますよ。B1で…」。あまりにあっさりの言葉に拍子抜けしたが、周囲のやきもきとは裏腹な中原の意思だった。これによって、永世名人資格保持者がA級から陥落という史上初の事態となった。
A級陥落後の中原のB級1組での成績は、第59期が6勝6敗、第60期が4勝8敗と一度も勝ち越すことなく、翌61期からフリークラスに転出した。永世名人資格保有者がB級1組で指すのも、フリークラスで指すのも前例がないことであった。言い方は悪いがフリークラスは雑魚の集団、B級1組はA級昇級を狙う生きのいい精鋭たちで、「鬼の棲み処」といわれている。
中原は7年間フリークラスに在籍、第67期を最後に引退した。名人経験者がA級以外で指すのは名人の権威を汚すものとの不文律があった。名人保有18期、A級在位は連続44期大山康晴15世名人は、A級陥落すれば即時に引退することを表明していた。それほど名人の地位の重みが棋士内にあった。大山はA級在位のまま1992年7月26日他界した。
あくまで憶測だが、中原永世十段も大山が存命であったなら、A級陥落でB級で指せたであろうか?陥落当時の1999年当時、中原はまだ52歳であり、大山が目を光らせていたとあってはB級ではとても指せなかったのではないか。将棋界にあってはそれほどに大山の威厳は強力で、連盟の会長職を14年間も務めながらのA級在位も凄いの言葉に尽きる。
さて、森内九段のフリークラス転出は、永世名人保有資格者としてのこれらの思いもあろうし、他にも種々の理由もあろうと思われる。近年の森内の勝率を見ても、勝てなくなったのは衆目の一致である。3月末日現在における今年一年の成績は、12勝22敗で勝率0.3579と落ち込んでいる。また、同じ永世名人保有資格者の谷川浩司9段の落ち込みも目立ってきている。
谷川の本年度の成績は、11勝18敗で勝率0.3793と森内と拮抗している有様だ。これをどう見るかは人様々で、将棋への情熱が薄れたという見方もできる。いずれにしても数字というのは具体的であり、言い訳が利かないものである。谷川と森内という棋士には、共に将棋に対する美学があり、将棋通なら誰でも知るところだが、それが森内の今回の潔さに通じる。
将棋の美学とは、勝負・勝敗以上に、それこそ矜持という言葉を借りるならそうであろう。闇雲に勝てばいいという棋士もいるが、アマチュアのヘボ将棋のように、優勢になったからと、気分を良くして相手の不要な駒を取ったり、ゆったりと至福の時を過ごすなどはアマではいいとしてもプロ将棋ではない。自分に言わせると、アマでもみっともない臆病将棋である。
いかに大優勢といえども、肉を切らせるくらいに踏み込んで、一手違いで勝てばいいという考えこそが将棋の醍醐味ではないかと考えている。どうでもこうでも勝てばいいという人も中にはいるがそれもその人の将棋である。プロの美学というのはいろいろあるが、かつて小林健二九段が、合い駒が利かないのに中合いを三回程打った事があった。意味が分からん。
プロ将棋の至芸があまりに深すぎ、難解すぎてアマチュアが意味を理解できないことは珍しくないが、合い駒が利かないところに中合い三回というような、棋理に反する手はアマでも指さない。将棋は弱い自分だが、あえて達観した言い方をするなら、こんな将棋をやっていれば自身が惨めになり、次から勝てなくなる…。プロはこのように感じるのではないか?
たとえ負けても大差の安全勝ちより、踏み込んで失敗する方を自分は心掛けている。商売ではない趣味の領域なら、勝率・勝敗より度胸を試したい。森内九段は引退をしたわけではないが、それでも騒がれるのは永世名人資格者だからである。今回の森内の英断には同じ経験を持ち、同じ永世名人資格保有者の谷川はいささか後れをとったと感じたのでは?
大山15世、中原16世、そして谷川17世と続くが、谷川がA級陥落の時はどうであったか?元『将棋世界』編集長で、『聖の青春』の著者である作家の大崎善生氏によると、大崎は谷川陥落の危機の際、「落ちたらどうする?」と心情を聞いていたという。「さあ、困りましたねえ」と谷川はこの質問に答えなかったが、大崎は谷川を、「潔さを信条とする美学の人」と捉えていた。
したがって、大崎にすれば谷川は一気に引退もあるかもと、捉えていたようだが予想は外れた。降級が決まった時谷川は、「来期はB級1組で頑張ります」という簡素な談話を発表した。自分が中原に拍子抜けしたように大崎も、「拍子抜けするほどあっさりとした、実直な谷川らしいもの」と表現している。事が事だけに、さりげない言葉を余計に感じ入るのだろう。
谷川は少し世代が上だが、同世代でしのぎ合った羽生や佐藤康に感慨はあろう。佐藤は現在連盟会長だが、「大変、驚いた。(フリークラス宣言は)森内九段の一流の流儀なのかなと感じた。今後も同世代として頂点を争えるようにしていきたい」と、コメントをした。おそらく羽生も似たような思いであろう。森内の言葉を何度も何度も眺めていると、こんな気持ちに襲われた。
森内九段の棋理について、さほど勝敗に拘らないところが、これまでの彼の言葉に現れていた。そうはいっても、勝敗を否定しているのではないし、羽生や佐藤らを見据えて高みを目指して争ってきたろう。が、今後は以前よりは気楽な気分、気楽な立場で将棋というものを追求したいと感じたのではないか?順位戦という切羽詰まったリーグ戦から離れる気楽さかと。
誰が上がり(昇級)、誰が下がる(降級)。ばかりか、順位にさえ一喜一憂する棋士においては、自身の棋力向上に向けた研鑽も大変であろうが、少し楽な気持ちで将棋に向かえないか?盤に向かえば気分高揚はあるが、順位戦から離れることで、気ぜわしい精神を解放する。独断で勝手な推測だが、これまでとは異なる視点で盤に向かう。こういう棋士がいてもいいだろう。
それくらいの心境でなくば、順位戦を指さないという決断には至れない。武士が切腹をするのを、「なぜにそんなことをする?戦って討ち果てればいいではないか?」との考えもある。どう死ぬのも同じというが、そこに美学が派生する。棋士の早い投了も美学の一つである。自分の命は二十手先に尽きている。それなら悪あがきせず、相手のミスを期待もせず…。
自ら腹を切るのが棋士の美学。投げないのを、「悪あがき」と見るか、「執念」と見るかは人による考え方の違いであろう。「悪あがき」を美しいと感じないなら投了し、「執念」を美しいと感じれば頭金まで指す。善悪についての答えはない。棋士もそれぞれであるように、傍観者(ファン)もいろいろだ。ただし、「形づくり」という言葉は美しい響きを持つ。
他人の気持ちを推し量ることはできないが、森内の心情をいろいろ推察してみた。彼の言葉にある重要句は、「思い出深い経験」、「感謝の気持ち」の2つであろう。言葉通り彼は今、「思い出」の心境、「感謝」の心境にある。つまり、そういう域に達したと自分には読める。過去、彼の強さを沢山見せてもらったが、今後は彼の将棋の楽しむ姿を、一ファンとして共に感じたい。