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友人の離婚にかかわる ①

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離婚経験者に言わせると、離婚とは結婚以上にエネルギーを要するらしく、それも想像に難くない。もとは赤の他人といえど、何年も生活をともにして来、財産分割や、子どもの問題など、これまで夫婦の共有とされたあらゆるものに新しい方向性を見出さねばならない。これらすべてをいったんリセットするためには、解決しなければならない問題が多すぎる。

にもかかわらず、近年離婚率は上昇している。厚労省発表のデータによると、2000年代の離婚率は高度経済成長期時代の約2倍にあたる。自分の周辺でも、離婚経験者は何にも珍しくないばかりか、離婚歴を隠そうともせず、どこか堂々としているのが特徴的で、少し前とはかなり様相が違ってきている。いつのまにか離婚は、恥ではなくなったのかもしれない。

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離婚を恥と感じない人が増えたということは、「すべての離婚が必ずしも悪とも言い切れない」ことを意味しているのではないか?少なくともそうと考える人が増えたように感じている。つまり、事情と経緯によっては、「離婚やむなし」とならざるをえない場合もあれば、離婚したほうがお互いにとって最善だ、と肯定的に考えられるケースも少なくないのだろう。

「バツイチ」ならぬ、「プライチ」なる言葉もある昨今だ。言葉の遊びだが、プライチとは、離婚で人生経験がプラスされたという意味で、これすら離婚をネガティブに考えなくなったという表れか。本当にそうなのか?自分は友人の離婚に携わったことがある。「離婚について打ち合わせ」という表題がいいかと考えたが、打ち合わせらしきものはしていない。

「結婚についての打ち合わせ」なら普通だろうし、「離婚についての話し合い」も普通になされるが、「離婚について打ち合わせ」といっても、片方が離婚を決め、それを念頭に別の相手と話をするのが本件。これができたのは、夫婦双方が自分にとって共通の知人であったからだ。知人といっても友人に近い関係で、つまり二人をめぐり合わせたのが自分であった。

めぐり合わせた男女が結婚したことも、離婚に及ぶことになったも、自分は責任を感じていないし、そんなことの責任はない。「責任」という事を自分はすごく重視し、重みを感じているが、社会にあってはこの、「責任」というものの存在や、分担ほど難しい問題はないのではないか。なぜなら理由は簡単で、人間は自身の責任を採りたがらないからだろう。

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なぜ責任を採りたがらないか?これが社会を難しくしていることかなと、だからか自分はこのことを穴が開くほど考えた。どこに穴が開くのかはともかく、まずは、「人間はなぜに責任を採りたがらない」と、いうところから始まる。これが分かれば後は難しいことではない。「心理学」という分野は、人間の表に出る言動の裏に潜む情動の本質を探る学問である。

別に大学の心理学部で学ばずとも、多少の素養をもって人間を深く追求すれば見えてくるものは多い。学問の熟達者よりも、人生経験の手練れた者や、人の心を読む、探る必要のある営業などに従事する人間の方が、人の心を読めるだろう。もっとも、自分が人間であるわけだから、犬の心を理解するよりは簡単だ。離婚を先に決めたのは男の友人だった。

ここに何度か書いたが、妻の自堕落さにはもう我慢の限界を超え、それで離婚の腹を決めた男である。「もうダメなのか?」、「これ以上、一緒にいてもよくなることはないからいいよ」という顔にも声にも迷いや後悔はまるで見られなかった。事情を知る自分は、絶対悪という見方を離婚にはモテないからか、止めるべきとの気持ちも、無責任に奨励という気持ちもない。

夫婦の終焉というのは、「離婚届」という用紙一枚と署名と捺印で簡単に済んでしまうが、これは様式であって、実際の夫婦の終焉はそれ以前に終わっていたりする。離婚がなされて夫婦が終わるではなく、夫婦が終わっているから離婚をする。ほとんどがこちらではないだろうか?夫婦にはさまざまな形の愛の終焉がある。想像するに三つのケースが考えられる。

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一つは、壮絶なる喧嘩。もしくは言い合いから、相手に並々ならぬ憎悪を抱き、その場で即離婚を口にする。二つは、長い年月なかで慣れ合いから少しづつ溝ができ、愛情も消滅して一見、「可もナシ不可もナシ」状態でありながら、「終わり」の選択をする。三つ目は、日々の会話がない。必要なことさえメールで行い、とにかく口を閉ざす。今回の場合はこれであった。

このような陰湿な状況下で、夫は家に帰るのが嫌になってしまう。かといって、他に寝床もない。甲斐性ある男なら彼女や愛人宅に拠点を移動するのだろうが、いたって真面目な男である。家に帰りたくないために始めたのがゴルフであった。まったくの初心者で一度もクラブを握ったことのない彼は、仕事帰りに、「打ちっぱなし」練習場に通うことになった。

持て余す時間をどう使うかを考えた結果、それがゴルフだったということ。パチンコ浸りの夫もいるが、ゴルフの方が賢明であろうと、彼には言っておく。「仕事が遅くなるから食事は済ませる」と、普通なら電話で伝えるところだが、会話のない夫婦はメールでやる。こうした夫婦にとって、メールは便利であるという。話したくない相手と話さなくて済むわけだから…。

帰りたくない自宅があり、顔を合わせたくない妻がいる。こういう事態は、気まずいを超えた苦しみでなかろうか。会社内で口を利きたくない、顔も観たくない同僚や上司がいても、会社を出れば解放される。仕事上の我慢はビジネスと思えば割り切りもできるが、寝食を共にする夫婦はそうもいかない。ゴルフ練習場という逃げ場を作れども、最後は家に帰る事になる。

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そうした友人の心情を推し量れば胸がつまされる。「これはもう拷問か」と、そんな感じもあった。「もうオワリでいいんだな」と念を押す。「いいよ」。これが彼との短い離婚の打ち合わせである。深刻な夫婦であるが、二人の共通の友人として間に割って入るも他人という気楽さか。二人をめぐり合わせたのは自分だが、破局の責任は自分になく、感じてもいない。

運命論者なら、性格の合わない二人を出合わせた責任を感じるかも知れぬが、バカげている。全宇宙が神によって創られ、一切の法則が神によってなされているなら、すべての運命の責任は神にある。何事も責任転嫁の人はいるが、運命などと言うのも押し付けられるべく責任の類であろう。バカげている。「運命」は、「道」と同じ、人の歩いた後にできるものだ。

以前から彼ら夫婦仲について聞いていたが、どうすれば修復できるかなどの相談はない。人に相談するほどのことでもなく、とかく男は他人に相談などしたがらない。自分で考えれば済むことだからである。彼の不満の要因はここにも書いたように、妻の自堕落な性格その一点に尽きる。部屋はいつも豚小屋状態でありながら、彼は豚にはなれなかったようだ。

掃除をしない、片づけができない妻への対処は、我慢をするしかないのか?救いがあるなら、妻の心機一転の心変わりを待ちわびる。これが一般的であるなら、自分はどちらでもない。自分は自分のやり方で解決する。彼は温厚で真面目な男である。が、別の言い方をすれば、言いたいことを言えないで溜め込む性格で、ゆえに突如としてブチ切れる。

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普段は人当たりがよく、大人しい男にこのタイプが多い。なぜ溜める?なぜ我慢をする?他人には分かり得ない、長年沁みついた人の生き方なのだろう。溜まった時は、怒りも交えて吐き出すように言葉にするし、おそらく妻に向けて、「掃除くらいしろよ!」など言ったろうと想像する。その辺を聞けば、「そうだ」と言った。これには妻も面食らうだろうが、怒る夫には従うしかない。

夫婦の一方のキツイ物言いが、相手の機嫌を損なうなどは珍しいことではない。自分の記憶では一度だけあった。もう30年以上も前のことだが、妻が子どもたちの前で、「ああ、疲れた」、「しんどい」などと頻繁にこぼしていたのを、ある日妻に強い口調でいった。「子どもに同情を買って欲しいのは分かるが見苦しい。二度と子どもの前で愚痴はいうな」。

妻は以後、二度と口にしなかった。要するに言われた事をシビアに受け止め気を付ける。物事は気を付けただけで直るものではないから、言われた注意は自分のものにする努力が大事。人からの注意を直すというのはそういうもの、生半可な気持ちで直るハズがない。母の愚痴に子どもは同情を寄せるが、子どもに心配をかけ、同情を乞う親がいいと思えない。

妻は夫から注意を受けて止めたのではなく、親の本分として子どもの前で愚痴をいうまいと決めたのだろう。楽に生きるなら本能のままでいいが、自らを自制するというのはしんどくも、上に立つ者の姿勢でもある。時に親子は友達気分でいいが、そこには境界線も必要だ。夫婦は対等だが、自分は自分が見えてない点において、身近な人間の言葉は貴重となる。

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「寝坊の専業妻ゆえに、夫が先に起きて朝食を作る」という話を平気でいう同級生がいた。新婚時代のことだが、男同士の会話でもあり、自分は、「信じれん。それを何で許すんだ?」と言ったことがある。彼は、「しょうがない、起きないんだから」と言葉を濁したが。人前で愚痴ともとれぬ笑い話ができる夫なら、妻も許されると思うだろうと、そうしか理解できなかった。

他人の家庭であり、夫がいいならお好きに。人の妻に他人が文句をいう筋合いはなかろう。どうにかしたいなら夫がいうべきだが、「しょうがない」なら、それも夫婦である。妻の自覚、夫の自覚、いずれも他人から植えつけられるものではないが、自分の妻のように言えば理解する者もいる。言えば反発する者もいる。感情的になる前に、何が正しいくらいは考えるべき。


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