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遺族にとって「風化」とは?

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何気に使う、「風化」という言葉だが、改めて考えてみた。「風化」とは、「風化作用」ともいい、地殻の表層にある岩石が太陽光や風雨にさらされることによって破壊され、物理的、 化学的に変質する作用のこと。それを、記憶や印象が月日とともに薄れていくことと置き換えたのが意識の風化で、人が抱く意識や関心の度合いが、経年などによって低下すること。

なぜ風化するのか?災害も事件も事故も、「意識の風化」に言及されることは、むしろ日常的ですらある。月日が経つに連れて人々の記憶と関心が薄れることで、徐々に風化してゆく未解決事件が最終的に迷宮入りしてしまうこと、これも風化と時効制度との関係性ではなかろうか。災害についても、あの関東大震災は完璧に風化してしまった感がある。

完璧にという言葉は、強めていう場合に使用したい語句だが、厳密にいうと使用には問題がある。関東大震災は1923年(大正12年)のことだが、被害にあった人、惨劇を目の当たりした生存者が健在ということもある。1995年(平成7年)に起こった阪神神戸大震災は、人によっては風化、別の人にとっては風化になっていない。つまり、風化というのは影響の有無とも関係する。

いつ頃、どこら辺りを風化とするかは、個々の問題であろう。例えば、1833年に(天保4年)にあった、「天保の大飢饉」あたりになると、万人共有の、「風化」といえるが、「人の噂も75日」、「十年は一昔」という言葉になぞらえるなら、事件や災害の風化は「100年」くらいかも知れない。となると、関東大震災は2023年で100年となる。それでも生存者はいるにはいる。

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阪神大震災の記憶が冷めあらぬ2年後の1997年、神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件から20年が経過した。不遇な死を遂げた当時10歳の小学4年の山下彩花ちゃんが襲われた16日を前に、兄の幸太さん(33)が初めて取材に応じたが、思うにこれも遺族にとっての何がしか、「風化」の兆しかも知れない。と自分の判断である。これまでは一切口を閉ざしていた兄。

自分などは、今回初めて兄の存在を知った。33歳という年齢に年月を感じるし、10歳で時間の止まったままの彩花ちゃんだが、存命なら30歳である。33歳の兄はいるのに、30歳の娘の姿を目にできない親の気持ちを慮るしかない。彩花ちゃんはどんな彩花さんでいるのだろうか?それを何よりも思いめぐらすのは彩花ちゃんの両親であろう。兄であろう。

人の命を無造作に、あるいは無慈悲に奪うことが、どれほど酷で許されざることか、そんな気持ちなどとっくに風化したかの如く、犯人の元少年Aの手記出版には強い憤りを抱いた。が、あれを買って読みたい人、読んだ人の言い分は、著名人も含めて理路整然と述べられていたが、それらの言葉を読み、出版の意義を理解したい気持ちさえ起らなかった。


戦争を起こすべく正当な、いかなる理由にさえ興味が沸かないと同様に、無慈悲な殺人者の独善論などまったくといって興味がない。犯罪者の心理を紐解き、「理解するうえで貴重な手記」…のような文言を並べる人と一言何かを話したいという気さえ起らない自分である。手記のタイトル『絶歌』とは、出版社のアイデアだろうが、このタイトルも気に障った。

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著者である少年Aの造語との説もあるが、辞書にない語句の、「思わせぶり」に腹が立つ。気取るんじゃない、いかなる表題にしようと、「ワシの起こした犯罪」だろが。そんなことを切実と書いたからと、そのことで少年Aがあの卑劣な犯罪を人間として見つめたとは到底思えなかった。読みたい奴、読んだものの感想も無用、勝手に買って読みなさいである。

自分はこの件において、加害者から知りたいこと、聞きたいことはなに一つなかった。さらに腹が立ったのは、長谷川豊というインチキ野郎の、「『絶歌』を批判する人に決定的に欠けている視点」という表題に至っては読んで反論する気にもならない、いかれた妄言と切り捨てた。長谷川の言葉には、「男の一言」という重みがない。ころころ都合ですり抜ける。

彼の一切の発言は、自身を都合よく利するだけの抗弁である。これほど信用できない男は自分的には無視で、彼のこと、彼の発言は一切触れないとした。今回は、名を出したが単に回想である。同じ未成年者であり、「連続ピストル射殺事件」永山則夫には大きな興味を抱いた。彼の出自のこともあり、何より彼はいたいけな幼児を殺害していない。

成人を殺すも幼女や少年を殺すも、犯罪には変わりないが、自分の尺度として幼女・少年を歯牙にかける犯罪は断じて許せない。いかなる理由も見いだせないし、理解はしたくない。幼児や少年を殺すいかなる正当性も認めない。そんな奴の凝り固まった手記など虫唾が走るのみだ。犯罪心理学の視点からみた貴重な加害者の手記というのもある。

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それすらまともに読めないほどに、少年A直々の心理に興味が抱けなかった理由は、彼と検事によって作成された検事調書を読後していたからでもある。彼があれ以外に語る本心はないと即断し、なぜに被害者の心情をかき回すような手記をあえて発表したかを断罪した。これはもう、読む以前の問題である。被害者に同化する一人として、手記は抹殺である。

山下彩花ちゃんの兄は当時13歳であった。13歳の兄があのような形での妹の死をどのように受け止めたか?彼はこのように述べている。「(理不尽な妹の死を受け入れきれず)『元から一人っ子だった』と考えるようになっていた」。と、これは心的ショックによる記憶障害と同様の現実逃避であろう。彼は障害を発症しなかったが、出来事を意識的に追いやった。

そのことでショックの軽減を図り、ストレスを抑えることで自我崩壊に至らなかった。短期間の記憶がなくなる、「限局性健忘(局所性健忘)」、短時間の間に起きた出来事の一部しか思い出せない、「選択性健忘」といったものもあるが、それらを発症しない強い意志と精神力があったと解する。兄は事件当日のことをしっかりと記憶し、以下のように具体的に述べている。

「彩花ちゃんが大けがをしたので病院に行っています」。97年3月16日夕刻、部活(野球部)の練習を終えて帰宅した幸太さんは、玄関の張り紙に目を疑った。活発だった彩花ちゃんのけがは珍しくなかったが、不安になった。近所の人に付き添われて病院に向かったが、対面した彩花ちゃんは顔が腫れ上がっていた。変わり果てた姿に泣きじゃくった。

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妹の回復をひたすら信じ連日付き添ったが、1週間後に亡くなった。引っ込み思案な自分とは正反対だった彩花ちゃん。けんかもよくしたが、頼もしくも感じていた。ただ、印象的な思い出を頭に浮かべることができない。「事件を消化できず、彩花とのことを記憶に残さないようにしていたのかもしれない」。これが、彩花ちゃんの兄が体験した真実である。

真実とは何とも残酷であろうか?彩花ちゃんの真実、彩花ちゃんの親の真実、そして兄の真実…。三様であるが、それぞれにとってかけがえのない真実である。子どもは誰を恨んで死んでいくのか?彩花ちゃんの真実は、親や兄にも受け入れがたい真実であった。加害者少年Aとは年齢が一つ違いで、当初は彼に対し、「同じことをしてやりたい」と憎しみを持った。

しかし、「自分の生活を大切にしたいと考えるようになり、次第に何の感情も持たなくなった」と兄はいう。こうした経験は自分にもあった。思春期時期には殺したいほど憎い母親であったが、殺すことの利益はその場の感情を解き放つ以外の何もなかった。殺さないことの利益が大きく勝ったことが、母を殺す抑止力となった。血が上っただけでは正しい判断はできない。

正しい判断とは、「殺したいほど憎い相手を殺すのが正しいか否か」である。正しいとは、自分の人生において不利益を排除することであろう。その場の感情は、のちの自分の壮大なる人生とは無関係であると、あの時にハッキリを考えた。バカは感情にかまけて無益なことをする。バカか利口かというなら、あの時自分はバカを排除した利口であった。

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バカであったなら、別の新たな人生があったろうが、それは言うまでもない規制された人生である。少年Aも規制された数年間の人生を強いられたが、手記といえば聞こえはいいが、なぜ事件を世間に蒸し返す必要があった?自分は金のためとしか思えなかった。人は人の美名とという策略に乗せられるものだが、自分がそう判断した以上、バカの策略には乗らない。

彩花ちゃんの兄は、「彩花の分までがんばって生きてほしい」と母親の押し付けから、そうした親の期待と自身の独自の人生観の狭間で葛藤し、母をうっとうしく思うようになったという。「こちらの思いを押しつけすぎた。つらい思いをさせた」と母親も改悛するが、兄には兄の受け止める真実があり、母親は自分の真実を兄に押し付けるべきではなかった。

「僕より前を歩く女の子。生きてたら、どんな大人になってたかな」。と彩花ちゃんを思う兄の気持ちに事件の風化は見られないのは当然だろう。ただ、少年Aに対して、「今は何も思わない。憎んだところで彩花は帰ってこない」と話したことは、憎しみの風化というより、憎しみの浄化であろう。淳君の父は少年Aの手記に、「裏切られた気持ち」と述べていた。

父は少年Aに対する憎しみを風化させようと努力していた最中の裏切りと感じたようだ。ひたすら憎悪を捨てることに努力する被害者家族にとって、何の益もない手記である。憎悪の風化を望むべく淳君の親にとっても、彩花ちゃんの親においても兄も読んではないだろう。『絶歌』の話題は風化したが、遺族の子どもたちが世間に晒されたのは忍びなかった。

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