「文とは何か?」ある国語の先生によると、「文とは、まとまった内容を表して言い終える一続きの言葉のこと」と定義する。文は、最後に句点(。)がついているかどうかで見分けられるという。ならば、メールなどの句点のない文字は文ではない。あれは言葉なのかもしれない。確かに文である必要はないし、当人も言葉のつもりで話して(書いて)いるのだろう。
だから、句点が煩わしいものになる。会話言葉とはいえメールは読むものであり、文字の羅列であるなら、句点を付け加えた文が悪いということもない。会話主体のメールが文章でないとも言いきれない。今は廃れたが、手紙はどうか?句点のない手紙はキモチ悪く読みづらく、そういう手紙文は読み手を意識しているのか?書き手の都合や自由さのみで書かれている。
句点はやはり文の整理であろう。例えば、「僕は時々コーヒーを飲むしブラックコーヒーが好きだしだからミルク砂糖は要らない」。これは国語表記上、正しい文ではない。以下のような特徴ある文を書く知人がいる。日本語であるゆえ普通に読めるし、意味も理解できる。確かに下手な文章ではあるが、下手な英会話であっても、基本は意味が伝わればいい。
「今日は、世の中はもう秋となっていますが、元気ですか、私も風をもらいました。喉せき、たん、夜のせきが、きっいでした。昨日から、声が出ているとしのせいです」
「俺もついに、キィボードつきのパブレットを、買って、ボケ防止に役立てみたい、出納帳を、前してたので、インターネットも、しますので宜しくでわ」
「1年過ぎるのが早い!若いころは遅く感じてたふり帰ったら、いい人生を、過ごしたかな?これからわ付録だから、楽しみながらと思うまだ、期待している貴方は、家族に囲まれ、過ごしてください」
こういうつたない文章を笑う人もいるだろうが、笑ってどうなるものでもない。自分にとっては大事な知人でであるし、いかにも彼らしい。「文が下手で申し訳ない」などと謙る必要もない。これが彼の個性である。他人を笑う人の笑う理由は想像し得るが、人にはその人なりの表現手法があり、彼がいろんなことを彼なりに表現しようとしているところが、微笑ましい。
確かに美しい文で書かれた手紙もある。美しい文章には、単に文章力とかよりも、その人の感性が伝わるもので、感情が伝わらない文字がいかに美しく、整然と並んでいても心は伝わらない。高校のころに母が息子に宛てた手紙を読んで感動した。その手紙とは、野口英世の母シカが英世に宛てたもの。母から一通の手紙をもらったことのない自分にはあり得ない世界である。
野口英世は医師として名を馳せたが、現代の母親が、息子の意思など差し置いて医者にすべく狂奔するが、そういう時代でもなければ、英世の母のシカはそのようなことを考えてもいなかった。英世が1歳半の時だった。シカが畑仕事に出た後、ハイハイしていた清作(英世の幼名)が囲炉裏に転げ落ち、左手が焼け爛れてしまう。泣き叫ぶ清作をシカは抱きしめるしかなかった。
シカの昼夜分かずの懸命の看病で清作の火傷は 治ったが、医者に見てもらう機会のないまま、左手の指はすべてがくっつき、農機具が持てる状態でなかった。鍬も鋤も持てない清作は、百姓の道は閉ざされたも同然で、シカは清作を学問で身を立たせようと決心した。昼は畑仕事、夜は子供たちを寝かしつけた後に、近くの川でエビなどを採り、翌朝売りに歩いた。
シカの生家から会津若松までの行商の距離は片道30キロメートルだった。しかも、重い荷を背負ってだから、子を思う母の強さというのはそれほどのものである。我々の時代、子どもの頃に読んだ伝記は、『野口英世』や、『松下幸之助』などの立志伝人物が定番で、どちらも感銘を受けたが、父がそれとなく置いてくれた、『雷電為右衛門』も記憶の一冊である。
こんにちなら、『どらエモン』かもしれないが、我々の時代は、『ためエモン』であった。野口英世のあらすじを知る人は多いだろう。母シカの手紙は読んで理解するのが難儀な文章であるが、それでも母の気持ちはヒシヒシと伝わる。まさに文は心である。手紙の中の印象的な言葉、「はやくきてくたされ」は六度も書かれ、文中四度も連呼されている。
学問もないシカは字が書けなかったが、寺の僧から文字だけは習ったものの、文房具を買うこともできないまま、お盆の上に灰を薄く乗せ、その上の文字をなぞったり、囲炉裏の中で文字を書く練習をした。英世に一目会いたさに、必死の思いでしたためたシカの手紙は、物のない時代にあって、満ち足りた時代よりもなお心は伝わるものであろう。
先に書いた子ども三人を置いて心中した翠川秋子。彼女の生に賛辞を贈った自分である。彼女の遺書にある、「子供たちはもう大きくなつたから私も安心だ」とある。これは、彼女なりに自身の責任を果たしたということだろう。その上で、「生活に疲れた私は死の家出をする」と、記している。シカのように子どもに依存し、執着する母もいれば、秋子のようにしない母も母である。
どちらも人の人生であり、個々の生の全うであり、比較すべきものではない。彼女たち独自の人生観である。邪推でしかないが、磐梯の麓、蒼き空の下に、生活は苦しくとも純朴に生きてきたシカ、騒然とした都会の空の下、嫉妬や風当たりという、人間関係の軋轢に苦悩した秋子。男社会の中で生きる女の過酷さは彼女の精神を病み、死という安寧を求めたと察する。
人の文章はその人の心の声である。はからずも、その人固有のものである。自分の知人のメール文も、英世に宛てたシカの手紙も、無責任と揶揄された秋子の遺書も、犯されざるべきその人の生の表明である。近年は自筆の手紙を書く機会がなくなった。パソコンが便利すぎる時代である。したがって、字の上手い下手もなくなったし、それはそれでいいだろう。
かつて、字下手はコンプレックスであったという。下手な字を笑うものも少なくない。上手くなろうと密かに練習したり、ペン字通信講座などで努力した人もいた。それを思えば、字を書かなくとも均一な文章が出来上がるのは、何という便利な時代であろうか。字は練習で上手くなるのか?は、愚問である。昔から、絵は遺伝、字は訓練といったもの。
練習量にもよるが、何事も意識を持って努力をすれば、ある程度には到達する。能力の限界、上限はあるにはあるが…。すべてのことは、「しない」に勝るし、あれほど練習したのに、「それだけか?」というのは違う。練習したからこそ、「それだけ」になれたと、ポジティブに考えるべきだ。ブログは字の練習にならないが、字の練を省ける時代である。
ある理容師が、「昔はお客さんのヒゲを剃るカミソリを砥げるようになるまで2年も3年も要したけど、今はどこの理髪店も替え刃である。研ぐ技術が不要で、それをすぐに剃る技術に宛てることができる」。料理人の和包丁に替え刃式はない上に、長いこと切れ味を保てない上、頻繁に研ぐ必要がある。ヘンケルなどのステンレス製洋包丁は切れ味が長く持続する。
ホリエモンが、「何年も下積み修行している寿司職人はバカ。親方に搾取されているだけで時間の無駄。そこに気づけよ」と切り捨てたが、彼は怯むこともなく寿司以外の料理人についても同じことが言えると主張した。この考えに賛否はあるが、自分が思うのはテクニック重視の短絡思考であること。空き巣をやるのに修行はいらないと同じ理屈の暴言である。
板前も寿司職人も、ステンレス製洋包丁などで刺身を造らない。また、彼らは、「刺身を切る」と言わず、「刺身を引く」という。刺身包丁の特徴は刀身が長く、これには理由があって、長さが足りないと一気に引き切れない。一気に引けないと必然的に前後に動かすことになり、壊さなくてもいい細胞を沢山壊し、結局生臭く見映えの悪い刺身になってしまう。
壊れる細胞の数を最小限度に抑えるため、美味しい刺身をいただくため、鉄製の和包丁を必要とする。また、鉄製和包丁には、適宜な厚みや重みもあり、力を入れることなく一気に引き切れる。が、よい刃がついていてこそだ。修行段階では来る日も刃研ぎをし、先輩や親方に研いだ包丁を試してもらう。「ダメだ、こんなんでは!」と言われながらも、さらに研鑽の日々。
「屋に出せば済む」という合理的思考で、「匠」の世界はありえない。堀江は単に無知にすぎない。「修行」はまた、「心構え」の習得でもある。合理主義の現代人は、効率重視の論理を優先する。「包丁一本さらしに巻いて、旅に出るのが板場の修行」という歌があった。包丁に刃をつけることから始まり、生涯の仕事として板前に向き合うものだと修行を通じて学ぶ。
修行の重要さは、料理人を生涯の仕事と悟ることでもあり、企業も会社も長く続けることが社会的使命であるように。「嫌なら辞めちゃえばいい、パッと咲いてパッと散るもよし」を地で行く堀江が、料理人のことにまで口を出すなどおぞましい。何でもカンでも知識の泉、俺は偉いぞ、物知りぞ、という自負はいいが、テレビで発言する人の影響力というのは怖さでもある。