子どもの頃、まったく思わなかったこと、あるいはしなかったことなどが、なぜ大人になれば出来たり、やろうとしたりするのだろうか?それらは何か?と頭をめぐらせるといろいろなことがあるが、すぐに浮かぶことは掃除である。部屋の掃除、部屋を綺麗に、など考えたこともなかった。その理由を今考えると、自分が「ガサツ」な人間であったからだろう。
家庭内に「掃除の時間」はないが、学校では授業が終わると掃除時間。掃除当番といって、あちこちの割り当てがある。自分は教室や運動場や体育館周りや、あてがわれた掃除当番をよくサボった。掃除をする場面の記憶はあるが、サボっていなくなる、帰宅する場合の記憶はあまりない。記憶というのは映像である。頭の中にさまざまな映像として残っている。
その中に掃除を一生懸命にやる女子の映像がある。掃除映像は一つの場面で、なぜそれが残っているかを考えた。自分の視界からとらえた映像には、Kさんという女性が映っている。黙々と教室の掃除に勤しむKさんが、机を寄せたり運んだり、床をほうきで掃いたりの記憶の動画である。その映像は、自分の中で二つの「美」の要素として収められている。
一つは、「行為の美」、もう一つは「女の美」である。人の記憶には、絶やすことのできない美しい場面が残っている。他にも、苦悩の場面、悲しい場面、享楽な場面の映像も脳に収納されているが、当時の掃除の場面が自分に何かをもたらせたのか?あるようでないようで、定かにないが、トラウマという記憶は、のちに精神に「負」の影響を及ぼすという。
人間の過去の体験が人に何かを及ぼすことは間違いなかろう。「掃除をしない自分」と書いたが、黙々と掃除をするKさんは美しく清楚であった。Kさんに何ら恋心はない。ただ、掃除の姿が美しく彩られている。Kさんはクラスでトップ、全校でもトップテンの才媛で、そうした憧れがあったかもしれない。自分より上位であると自分が認識するKさんであった。
自分がやらない掃除を黙々と行うKさんに、「申し訳ない」の気持ちはあった。ゲスといえば言い過ぎだが、「なによサボってばかりで、ちゃんとやってよね!」文句をいう女子はいた。が、「うるせー、掃除なんかできるか!」と返す。文句をいう女子は当たり前にいたし、規則を守らない無法者への注意である。Kさんは、そんなことをいう女性ではなかった。
ばかりか、文句をいう女性と言い返す人との掛け合いを、笑みを浮かべながら眺めている。それにしても、あの笑みがなんであったか、今も分からない。思うに決して見下げた含み笑いではなく、それとは別の、「男にはどこを探しても見当たらない、とてつもなく大きな、女の無法男子に対するへの尊敬の念」であったようにも感じるのだが、なぜそう感じるのか…
男が女より優れている、偉いとされた時代があった。実際に男が優れていたのではないが、女性を虐げることで、バカでも男は偉いとされた時代である。軍国主義国家にあって、兵士となる者こそ崇められた時代で、それが男の偉さということだ。Kさんの笑み男を卑下するものはない。「掃除くらいしてよ!」と憤る女の、男への蔑視線とは明らかに異なるもの。
全校でトップの女性が、掃除もしないバカ男を許容し、あるいは尊敬(のように見えた)に類する視線とは、いかなる環境からもたらされたのか?容姿の美しい女性はいる。所作の美しい女性がいる。内面美しき女性もいる。Kさへの美観は容姿以外のもの。男尊女卑なる考えが残っていた我々の時代には、男子は女子に比べて体系的な優遇感があったろう。
天皇陛下を崇め、教育勅語を信奉し、軍国主義のただ中に育った昭和一桁世代人が教師であったり、親であったりの世代である。端的にいうと男女同権が持ち込まれる以前の、「男が男、女が女だった時代」である。ある文献に、「昭和一桁生まれといっても激動のあの時代は、一年単位で細かく見なければ把握できない」とあり、意味は理解できなかった。
同じ軍国主義世代といっても、実際に戦争体験のある「実践軍国主義世代」と、戦争に駆り出されることのない「観念軍国主義世代」という相違があるという。我々戦後生まれは、あえて言葉を設けるなら、「空想軍国主義世代」ではないかなと。戦前の軍国主義時代に少年時代であった人は、「戦争に負けたことは悔しかった」という言葉を述べている。
「お国のために死ね!」を洗脳された時代である。そして戦後の動乱、並びに大乱である。大乱とは、「お国のために死ね」と送り出しておきながら、戦争に負けたら手の平を返すがごとく口を紡ぐ大人だったというから、純粋無垢な少年の心の収め場所はなかったという。最も顕著だったのは、生徒を殴りまくった軍国主義的教師が豹変したという。
ばかりか、「あの時は悪かった。殴りたくて殴ったわけじゃない」とこうべを垂れて謝罪する姿に情けなささえ抱いた。さらには裏切られた、そう実感したという手記も目にした。国の命とはいえ、社会の末端において、戦争を指導したものが、敗戦でどう身の処置をすればいいかを悩んだのかもしれない。確かに、負けた時に身をどう処するかは難題であろう。
「天皇の戦争責任」について論じられた時代もあった。広島、長崎の原爆投下の前、昭和20年5月にあった東京大空襲の後、昭和天皇は車で焼け跡を視察して回った。その時に、「もはやあ白旗を揚げよう」と宣告すれば、広島・長崎はなかった。天皇陛下の命にて行う戦争だが、天皇陛下が旗を降ろせない二重構造があったのはいうまでもない。
戦艦や空母をほとんど失った海軍は、「戦争中止もやむを得ない」という現実主義であったにも関わらず、戦車や火器を失っても歩兵は竹やりで戦えるという陸軍の理想主義の狭間にあって、「朕が戦争終結を言えば陸軍の立場がない」という天皇であった。何にしても日本の権力構造は、責任を取らなくていいような、用意周到たる二重構造が蔓延っている。
天皇を守るという名分をタテに責任問題をボカシ絵にした。遡ると、江戸時代においても、京都御所の権威と江戸の実験のズレもこの国を支えた二重構造である。「ポツダム宣言」を受諾するのかどうか、御前会議をやるにはやるが、天皇の御聖断がセレモニーであったのは知れたこと。すべては、「空気」が支配するというのが日本的決裁である。
戦争映画を日米合作する際にあったことだが、日本語に頻繁に現れる、「黙殺」という言葉は英語にない。「ポツダム宣言」の際も、当時の鈴木貫太郎首相はひと言、「黙殺」だった。あれこれ説明するのだが、アメリカ人に、「黙殺」はどうにも伝わらない。仕方なく、「サイレント・キリング」という直訳にしたが、それでも、「これは何だ?」、「黙殺だ」と、まさに漫才。
黙殺とは結局、「見て見ぬふり、聞いて聞かぬふり」ということだが、こうした態度が外国との交渉には障害になるが、日本国内においては「阿吽の呼吸」並みに重要となる。土建屋同士の談合さえ、狭い国土に多くの人間が生きていかねばならぬ知恵である。日本的な「談合」や「村八分」の論理は、遠藤周作には一連のキリスト教作品が知られ、読まれている。
その遠藤はこのように言う。「日本という国は女系であり、マリア信仰が軸になっている」確かに日本は天照大神(あまてらすおおみかみ)という女性の国。素戔嗚尊(すさのうのみこと)は暴れ回るだけだった。二重構造とは、国家や体制だけではない。不倫天国日本にあって、既婚者の多くは若い女と関係を持つ。ばかりか、オヤジと中高生のSEX動画など珍しくもない。
何ゆえ中高生とオヤジが頻繁にいたすのか?どこに出会いがあるのか?何のことはない。ネット社会がそれを当たり前にした。つまらん社会だが便利この上ないということか。主婦は主婦で5割、6割が夫以外といたしている。何にしても、簡単にそれができる時代であるなら、しないでいる理由がない。ましてや、それを秘めておくならまだしも、不倫文化と公言する。
不倫や援交はもはや病巣というより普通の出来事である。人間の根源は否定しないし、できもしないが、人間を宗教や神の力、神の名のもとに支配・強制するから人間は争うことになる。エルサレムで三つの勢力が争うように、宗教がある限り戦争はなくならない。一神教は相手を抹殺する怖さがあるが、大乗仏教のように、いい加減である方がいいかも知れん。
「水には水の神がいる」みたいな…。神も仏もみんな一緒、お天道さまのような「自然が神様」と、そんな日本的宗教観でいいかなと。一神教というのは人間に容赦ない残酷さがあり、人間にとって苛烈すぎるのではないか。子どもの頃に母に連れていかれた宗教場だが、あれは映画で見る外国の家庭の日曜参拝のようなものなのだろうか?以下は宗教体験者の言葉。
「小学校から高校にかけてボーイスカウトに入っており、活動場所がキリスト教の教会だった関係で、毎週日曜学校に通っていた時期があった。日曜の朝の礼拝で賛美歌を歌い、それが終わるとモーセの十戒や福音書を読み、信者のレクチャーがある聖書の読書会(日曜学校)だった。特定の信仰を持たない私の、キリスト教との唯一の接点がこれだった。
子供時代の原体験とは強烈なもので、聖書の引用を読んだり外国人と西洋文化について語っていると、いまだに日曜学校のことや礼拝で語られていた内容を思い出す」。なるほど、そうであろう。掃除をサボる自分が、熱心に掃除をするKさんに美的価値をいだくように、子どもの素直な感受性は大人に花開く。それが宗教であれ、日常の事象であれ…