ネット上でヘイトをまき散らす、「あらし」は当たり前に存在するが、ネットユーザーの5.6%は、「あらし」との報告もある。研究者が1200人のインターネットユーザーを対象に調査をしたところによると、「闇の特性」なるものが見つかった。それはサイコパシーやナルシシズム、そして特にサディズムであった。つまり、「あらし」は他人の痛みを喜びとする人々であるということになる。
先に実社会のモンスタークレーマーらについて記したが、企業側に対策が確立されているように、ブログの、「あらし」にもそれなりの対策法があるのかも知れない。が、自分は自分で考え、それが自分にあった方法と思っている。さらに自分は、人の「あしらい方」にはリアルもブログも基本的な差はないと考える理由は、そういう荒んだ人間の性格的傾向は、変わらないと見るからだ。
大きく異なる点は利害関係の存在であろう。つまり、実社会でクレーマーとは顧客であるが、ネットでは何の利害関係もないただのやじ馬である。であるから、実社会の方が対応的には難しい。自分はクレーム処理などの対応を得意としていた。誰もが嫌がるクレームだが、嫌がる理由が分からぬほどに、「好き」が高じていた。好きの理由は、人を説得・納得させるのは、自分の能力と考えていた。
能力を持っていたというのではなく、処理をすることで能力が得れる、高められると思うなら、率先してやる以外にない。何事も挑戦することをプラスと考える、これがポジティブ思考の神髄である。どんな経験であれ、「する」は、「しない」に勝るであるから、買ってでもしたいものである。当時、「へたれ」という言葉はなかったが、「逃げる」などは「へたれ」の極みと考えていた。
人対人、相手と自分、敵と味方、人間の関係にはさまざまな状況や場面があるが、どちらにしても「個」対「個」という関係ほど、人と人との関係が鮮明な状況はない。将棋をしながらそれを感じることもあれば、クレーマーと対峙しながら感じることもある。彼女と二人で何かをしながら思うこともあれば、親と向き合い涙する場面もあった。相手と自分、自分と相手、これほど切実な場面はない。
さまざまな「個」対「個」の場面にあって、「心中」というのは、人間と人間の関係の極みではないだろうか。経験はないが想像で思考はできる。「心中しよう」と、そう決心したとき、世界からすべての色が消えていくのではないか。白黒か、セピア色か、分からないが、世界がぼーっと翳んで色がなくなるように思う。おそらくそれは「死」という前触れを、脳が率先して判断しているからだ。
つまり、「死後の世界には色がない」という先入観であろう。自分はそのように考えている。その時に自分が確実に関わりを持とうとする相手、それは共に死のうとする相手である。そうした切迫もしくは緊迫場面をできるなら経験してみたいが、「自死」に関しては、「せざるを勇」の自分である。心中場面で人間は、目の前の相手以外の、一切の人間から解放されるであろう。
これまでは自分を眺めることで、その自分に対して何らかの影響力を持っていた他者が、その影響力さえ失って、ただの風景と化す。太宰はそういう場面を経験したのだろう。地上にたった二人の人間しかいなくなったとき、人殺しというのは犯罪であろうか?心中とはまさにこの状況、この地上に人間がたったの二人になった瞬間であろう。翠川秋子(みどりかわあきこ)という女性がいた。
1889年(明治22年)9月生まれにて、1935年(昭和10年)8月20日没と履歴にある彼女は、日本人初の女性アナウンサーだった。女子美術学校(現在の女子美大)を卒業、普通の銀行員と結婚し、1男2女をもうけるが1922年に夫と死別。東京中央放送局総裁だった後藤新平の目にとまり、彼の推薦で1925年東京中央放送局入りし、アナウンサーとなるが、局内での風当たりは強く1年たらずで退社。
以後、美術教師などを遍歴したが、新宿に屋台のおでん屋、「みどり」を開店し、細々と暮らしていた。35年8月6日、翠川の子女3人が7月25日に母が家を出たきり帰って来ないと警察に届出る。直後に部屋から以下の内容の遺書が発見された。「子供たちはもう大きくなつたから私も安心だ。生活に疲れた私は死の家出をする。死体は絶対に判らないやうにするから探すのは無駄だ。
海の底から子供たちの幸福を永遠に祈つてゐる。私の家出した日を命日としておくれ」。直ちに捜索が行われ、8月20日午前8時30分安房郡西岬村(現千葉県館山市)坂田海岸で翠川らの心中死体が発見される。相手はおでん屋の客だった東京都蒲田区役所職員藤懸羊次(29)と判明した。彼は中央大学法科を卒業後、役所に勤務したが、大学時代はラグビー部のキャプテンを務めた。
現場にかけつけた羊次の父重次氏は、「羊次は7月25日朝海水浴に行くと言つて着換へを1枚持つて出かけた儘今日まで消息がなかったが、今朝突然館山局の消印で『どうにもならない事情で死ぬから』といふ遺書が届いたので吃驚して駈付けて来た。翠川女史とは先年大阪から帰る車中知合ひとなり、おでん屋を開業してからも時々行ったやうですが、之以上の交渉は父親の僕も一寸も知らなかった。
羊次は普段は朗らかな子でしたが、本年2月頃から多少精神衰弱気味でふさいでゐました。若し翠川さんと情死したとすれば女の方から引摺られたのでせう」。息子の早過ぎる死を翠川の仕業と恨み節。彼女の生を身勝手とする者もいようが、彼女は紛れもない自身の生を全うした。死なねばならぬ人生だが、自らの生に死をもって答えた彼女に、僅かばかりの拍手を贈りたい。
石原慎太郎をかつて尊敬していたが、理由の一つに現早稲田大学理工学部名誉教授加藤諦三の一言があった。1975年に石原が東京都知事選に立候補した際、「彼はタレントだ」と嘲笑する政治家に加藤氏は、「自らの票は政治を分かった人の票であり、タレントの票はそうではないと、これは民主主義を知らぬ政治家の選挙民をバカにした言葉」と批判した。
今でこそ、タレント議員は別の尺度で批判されるが、当時にあって、「金や義理で集めた票が、タレントの票より上質では断じてない」とする加藤氏の発言には説得力を超えた感銘があった。『太陽の季節』で文壇に躍り出た石原は、現在晩節を汚すか否かの状況にある。何にしても、仕事をしなかったことが問われているという他ない。発言は勇ましいが、何と心が浅ましいことか。
石原が得意とした、「人のあしらい方」も、メッキが剥げ、錆びついたと感じるのは自分だけでなかろう。「攻めるに強き人間は、受けに回るともろく弱い」を実感する人物。厚化粧と揶揄した小池都知事に嘲笑され、返す刀で斬ろう発言に都民や世論の多くは、耄碌爺々の戯言とそっぽである。実直な仕事をせず、派手なパフォーマンスで都民を愚弄したツケは払うしかない。
かつて自分も、「人のあしらい方」を得意にしていた。「得意」というのは誤解を招くが、別の言い方をすれば、「あしらい」を能力とみていた。能力は高い方がいい、したがって率先してクレーム処理に殉じた。嫌がって手をこまねくようでは能力不足を公言しているようなもの。石原も、「逃げるのは性に合わない」といいながら、美辞麗句で誤魔化し、逃げようとの算段が丸見え。
「人あしらい」が好きで困ったことはないが、うまくやれない人に苦悩はあろう。ネット内のそうした問題は結構耳にした。最近、その手の客人がきた。例えば何かについて意見の述べ合う場合、宗教者が聖書や仏典を引き合いに出しながら会話をするのはうっとうしい。「自分の言葉で語れよ」と思うが、彼らにとって、聖人以上の言葉はないのだろう。だからか、それで事足りるとの考えだ。
昔、そうした宗教家に、「壁に向かって話したら?苔が生えた言葉は聞いててつまらん」といったことがある。やはり自力で考え、答えを探ろうとするから凡人同士の対話となる。今回もそうだが、「正しい日本語って何?」だと?自分でできることをせず、相手に言わせ、それに突っ込みを入れる暇人は、一種の、「あらし」である。斯くの相手は、「自分で調べ、自分で知る」との道理で提示でいい。
自分の意見を否定されて逆恨むタイプは、気が収まらずしつこい。若き頃は、こういう人間の対処に要領を得ず、立腹し言い合いとなるが、経年で事物の道理が分かると些細な事はエネルギーの浪費となる。それを見切ることも重要で、見切り方は上記したように、道理をいってそれに順応するかどうか。賢い人間なら、道理には抗わない。が、「あなたの考えを聞いてるんだ?」には無視をすべし。
それが道理でないのは、以下に提示した、「自分の正しいは自分のもの。あなたに関係ない」とされると返す言葉がない。つまり客人は、返す言葉がないほどにバカなことを聞いたことになる。「自分で知りたいことは、自分で調べ、他人に聞くものではない」そういう道理を知れば、斯くの愚問に返答義務がないのも分かる。つまり、そういう問自体が愚かであるを知るのが賢さ。
それも分からぬ無知の輩は墓穴を掘る。端的にしつこい人間はバカである。自らが興奮し、相手の発言を冷静に見つめ、分析し、判断をしない。「しない」ではなく、「できない」。頭に血が上り、自分以外は見えなくなっているからだ。男にもいるが、女性特有の感情である。だからか、こういう場合の、「ギャーギャー」に男は閉口するが、それを、「無視した」と追い打ちをかける。
答える義務はなく、答えるか否かの判断はこちらの裁量だが、「人が聞いてるのに無視するのか?」と、追い立てる側に道理の欠片もない。答えたくないことを答えない、無視する自由こそが道理である。それでも感情的な輩は、「答えられないんでしょう?」とあの手、この手で畳みかける。我利通すためには道理もへちまもない、見境なき人間は浅ましい。