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個、社会、親切について

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哀しいかな人は社会的動物である。とはいっても、人間が個人よりも社会を尊重し、社会という場で力を合わせて生きて来た歴史をたどれば、いかに人間が個人として非力であるかを現わしている。恐竜と戦い、大型哺乳動物を餌として確保するためには、集団という圧倒的力が必要であった。また、物々交換で欲しいものを手にし合うことも社会の論理である。

それはともかく、人間社会が複雑になるにつけ、社会の利点から一転し、社会と対峙しなければならなくなって行く。単純な例でいうなら、一人の女性を二人の男が見初めたにどうするのか?誰かに仲裁を頼んだところでどうにもならない。死をかけた決闘を編み出す以外になかった。これらの行為は「弱肉強食」と言われ、強い者が勝つという社会の掟である。

「弱肉強食」は体力の問題と思われがちだが、人間に限っては「良心」の問題でもある。人間の体力には限度があるように、人間の良心にも限度がある。したがって、良心を否定するような行動をとる人間が、すべて悪人とは言い切れない。女性を得んがために決闘で互いを殺し合うという行為は野蛮であるが、決闘者たちが悪人とは誰も言い切れないだろう。

無様な殺し合いなど止め、自分が身を引いて相手に譲ろうと考える人間が善人というより、理性的であるのはその通りだが、決闘を行う同士は良心の限界を知ったのだろう。限界を知るには力を尽くして倒れなければならない。良心を否定するか、相手を殺すか、自分が死ぬか、というところに追い詰められた人間にとって、上記の選択は自らの良心を問う行為であろう。

単に野蛮、単にバカと眺めるのは簡単だが、誰より良心的であろうとした人間であるからこそ、良心的であることの苦しみを味わうのだ。「決闘など愚かなこと」という人間は、別の見方をすれば、自身の良心に無関心に生きようという結果かもしれない。武士が責任を取るために腹を切る行為も、自らの良心に忠実に実行する行為であろう。三島がそれを美化した理由がわかる。

自身が正しいと信じた「理」が通らない時、それについて言い訳や言い逃れを用意すれば許される現代にあって、そうした殺伐な現代人を否定する証でもあった。三島は弱い人間であったかも知れない。が、それ故に死んで見せることで自らの弱さを克服した。負け犬は尻尾を足に挟んで、遠くから吠えるだけだが、自らの理念の敗北を知った三島はそれをしなかった。

弱い人間が、その弱さゆえに大っぴらに社会に反抗せず、かといって抑えることのできない人間的な欲求の中に生きる姿を、多くの犯罪の中に見る。小金井市女子大生殺傷事件の被害者には同情するが、これを機に路上パフォーマンスの演者は、ファンから安易に物を貰うという行為を考えなければならないだろう。断るのも難しいが、断り方を学ぶしかない。

素人であれ、ファンには崇める存在である。そこにはアーチストとファンという純然たる関係が成り立っている。そこに個人という自己をどのように持ち込むべきなのか?「アーチストは、ファンから頂き物は当たり前」という、誰もが身につけた道徳や価値体系では、どうすることもできない事態に直面した時、人間は個人の責任において態度を決定するしかない。

裏返していうなら、その時になってはじめて真の個人が生まれ、アーチストという枠を超えた社会的存在となる。人間と人間との社会的約束事は、アーチストとファンという関係を超えた、社会と個人という問題に突き当たり、双方は苦しみ悩む。冨田真由さんは頂いた時計に返却に悩み、贈った側の岩埼友宏被告は、返却されたことに怒りを増幅させた。

頂いた時計を返そうと思った理由を想像するに、そのことでファンという一定の原則を超えた何がしかのアプローチがあったと考える。贈り物で人の心や気持ちを支配しようとするのは、人としてはしたない行為だが、人は目的のためなら手段を択ばないというはしたない生き物である。物で釣るのが悪いのか、釣られる側が悪いのか、そのような思考は誰も持たない。

そういう事について思考を深めれば、それをしない、受けないスタンスに行き着く。人間がいかに欲であるかは、頂き物を都合の良い論理で正当化できる名人であることで分かる。相手に何かをしてあげたいというのは、自身の都合であり、論理ではあるが、時間の経過とともにその事は不純な汚れた考えに移行する。利害の及ばない純粋な人間関係を自分は模索した。

母親から純粋な愛情と与えられたものの一切が、交換条件となり、心を動かそうとする醜い動機になりつつあることに敏感にして気づいた自分は、人から頂くものを純粋と思わなくなった。したがって、自分が相手に贈り物を行為する場合は、そのことで相手にどのような仕打ちを受けようとも受け入れなければ、それをすべきではないという境地に至る事になる。

お金を生み出すことのできない子どもは、欲しい物ばかりである。それを良い事に親は子どもの心に誘惑を投げかける。与えることで信頼を得、人気を得ようとする。とどのつまりは行為の恩を着せようとする。こういう不純で汚い親子関係がありか?人間関係があっていいものか?幾度も親に裏切られ、嫌な気持ちにされられた少年は、二度とバカには従わないを決めた。

「親切とは何か?」、「純粋な愛情とは何か?」その答えをくれたのが坂口安吾であった。彼の「赤頭巾ちゃんについての親切の考察」に触れて、自分は自らの卑しさと格闘することになった。卑しさとは物をいただくことだけではなく、贈る卑しさも同等の卑しさである。「人を裏切らない」、「人に裏切られたくない」。早い時期から思考がプラスになった。


人間の集団への帰属意識は強烈だ。自ら属する集団であらば、たとえ自分の心が他人とつながっていなくとも、また、互いに信頼していなくとも、その集団に属していなければ自分の行く場所はない。現代人が不安解消の場としての集団は、たとえ形式的なものであっても、人間の集団への帰属本能である。人の不幸にお悔やみをいうのは、純朴な涙を誘う付き合いにおいてもである。

お悔やみの言葉を言わないと相手から非礼扱いされる怖さからお悔やみをいう、ただそれだけである。あらゆることに気を使い、細心の注意をもって、意味のない礼儀を行為する。そうんなにまでしても、人間は集団と共にいることを望む。自分が決してそれをしないわけではない。人間には「個」の顔と「社会」の顔があり、それを使い分ける必要がある。

昨日愛知の知人からコメダ珈琲についてメールがあった。なんでも「小豆小町」という新メニユーらしく、粒あん入りコーヒーであるという。お汁粉をコーヒーで割った感じの甘いコーヒーで、まあまあ美味しかったです。彼女は「コメダでコーヒーが美味しいと思ったことないです」というほどの「通」である。以前「小倉トーストmilky」も紹介いただいた。

彼女は社会と個のかかわりについて一文を寄せた。「寂しがり屋で人との関わりをたくさん持つことが好きな私でした。もちろん今も友人らや仕事関係などなど人との関わりは私なりに大切にしていますが、少し無理をしているように感じ始めていました。ブログに『ひとりでいることで、自分の心の中のあれこれが静かに燃やされる』という一文は、心の中にすっと入ってきました。

自分は以下の返信を送る。(要訳)「多分あたなも、変わったように思われます。あなたがブログを止めたとき、そう感じました。孤独を避けたい、孤独は淋しいと思うのが人間でしょう。が、他人が自分の孤独を解消してくれることはありません。一時的効用はあっても、根絶的な孤独解消はしてくれません。ならば、いっそ孤独を楽しんだらいいんです。

孤独から逃れるよりも、孤独を選ぶ方が、孤独を楽しむことになるんです。あなたも、人から、"いい人"と思われたい、「しょぼい自己満足」が軽減されたのではないでしょうか?他人に自分の貴重な時間を分け与えることを抑えれば、それだけで孤独を楽しむことになります。「独りで生きていける人が二人で生きていける」という言葉を随分前に聞きました。

大体の意味は分かったようでしたが、今はよくわかります。自分なりに思う、「二人」とは、孤独同士という意味なのです。それぞれの一人を大事にすることで、それぞれが楽しく生きていける。つまり、相手に覆いかぶさらない、束縛しない、尊重する、それでこそ人と人でしょう。二人は、個人と個人という分かり易い団体さんに思えます。最近はいろいろなものがよく見えます。

生きてるのが以前にもまして楽しい。これくらいになれて、やっと死ぬ価値がみつかりました。親子も個人、友人、知人も個人同士、互いが相手のことをよく分からない誰もが個人同士。こんなことが今までどうして分からなかったのか?おそらく、自分ばかり見ていたからでしょう。相手を見るとは、よく見る、観察するではなく、そっとしておいてあげること。

見ていながら見ていないフリをする、それ即ち『相手を見る』ということではないでしょうか。」ブログも長文だがメールも長い。これで要約だから本当はさらに長文。数か月に一通というやり取りだから、若い人にありがちな5文字、10文字メールとは意を異にする。たまにコーヒーを飲むときココアを混ぜるが、小倉あんコーヒーとはいかにも愛知。行ってみようか…


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