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他人の悪口をいう絆

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最近のテレビがつまらない理由は人によっていろいろで、理由を説明しないまでも「面白くない」、「みる番組がない」については共通する。中でも自分がアホ臭くて見ないのは、芸能人が寄って集って芸能人の不祥事をコキ降ろす番組だ。ゲストに意見を言わせて正しい方向にもっていくような構成で、もっともらしいことを言ってるようでも所詮は他人の悪口。

脳科学者の茂木健一郎が13日のツイッターで、フジテレビ系「バイキング」でMCを務めるタレント坂上忍批判を行っていた。宗教法人、「幸福の科学」に出家した女優清水富美加に対し、「芸能界の悪習からようやく逃げた人を、芸能村の人たちがテレビであれこれと非難するのはほんとうに見苦しい。日本のテレビがオワコンであることを益々感じさせる。

人間、フェアじゃなくては、結局人々の心から見捨てられる」というものだったが、他人の批判はメシの種にするが、自身への批判には目くじらを立てる坂上が、茂木にこう噛みついた。「芸能村の人たちって、おれたちのこと?じゃあ、茂木さんってナニ村の人なの?(テレビ番組に)しょっちゅう出てたけど。最近見ないけど」と皮肉タップリに口撃した。

坂上には突っ込みやすい相手とそうでない相手、突っ込みやすい話題と、そうでない話題があるのだろう。素養や知識に長けた言論人とか、ホリエモンやヒロユキのような論客とは違って、毒舌自負だけの芸人であって、現に茂木の指摘に対し、場違いな批判で開き直っている。「芸能人が芸能人を肴に非難するでなくそっとしておいたら?」と茂木は言ったまで。

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茂木の発言の要旨を、「村」にすり替え、「俺たちが芸能村なら茂木はナニ村?」と、批判とはまるで無関係の突っ込みである。これに対して茂木は、「坂上さんのお仕事ぶりは、『バイキング』でご一緒させていただいた時から尊敬しています。ツイートは個人の尊重についての問題提起で、現場でがんばっていらっしゃる方を揶揄する意図はありません」と釈明した。

坂上にこの意味が分かるか否かは分からないが、個人の尊厳や選択について、他人からとやかく言われる筋合いではないということ。それについて、「分かりました。そうですね」と応じるようではあの番組は成り立たないし、さらに言えば、人の悪口を言う事が正義であるはずはない。「他人の自由や尊厳は冒すべからず」だから、利口な人間は他人の悪口を言わない。

結局悪口好きとは、自分の狭い了見の中に他人を封じ込めようとし、さらにはそれに対する同調を求めようとする。したがって悪口好きには視野の狭い人間が多く、視野の狭さは知識のなさ、知識の少なさは頭の悪さという図式となる。したがって、頭の悪い人間であっても、自分の考えに同意してくれる人を求め、存在感を示そうとしているわけだ。

自分は狭い了見で同調を求められた場合、「お前の考えは分かった」と捨て置くことに決めている。批判意見を言う相手かどうかを判断しなければ、批判意見をいう意味さえなくなるからだ。もっとも狭い了見の持ち主に、批判意見は実らぬことが多い。それでも若い頃は無節操に批判意見を述べたりした。経年でズルくなったというより、人が見えるようになった。

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世の中には様々な対立がある。若者は大人とは違う。男と女は考えが違う。親と子もその目的において「生」の意味が違う。そんなことを言った時、「なんで?お互いが幸せを求めるという点では同じでしょう?」といった奴がいた。これは、「幸せ」という便利な言葉で肯定せんがために理屈を言ったつもりだろうが、「幸せ」に対する観点が人によって違うことを考えていない。

なぜに違いを問題にしてはいけないのか?ムキになって、「違わない」とする意味がどこにあるのか?対立は、「社会のパラドクス」と考えればいいし、若者と大人、男と女は違うにもかかわらず共存しなければならない。それがパラドクスである。自然と文明も同じように対立しながら、それでいて共存していかねばならない。「違い」を嫌がる人は深く物を考えないようだ。

人間の幸福の中にある多くの、「幸福感」なるものは、実は教え込まれたものが多く、だからか、「あなたは幸せですか?」と問われ、「とりあえず幸せです」とうつろに答える人は意外に多い。それらのことから現代人が生の実在感を失なっているように感じるのだ。教え込まれた幸福であれば、そこに倦怠はでてこよう。真に幸福を実感する人は、「幸せです」という。

うつろでなく、決然と明るく言う。その言葉にほとばしる幸福感を感じさせられる。若者は若者として、彼らの内部に矛盾を持っている。大人は大人として、同じように内部に矛盾を持ちながら生きている。それが若者と大人の隔たりとなる。男と女も、「性」が違うが、性の違いは大変な違いでもある。大きく異なるのは脳の働きの違いであり、「女性脳」、「男性脳」と言われている。

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科学が発達する以前、「女性脳」、「男性脳」なる言葉はなく、男女は、「異性」と呼ぶに留まった。彼氏と彼女、夫と妻、それぞれは違っており、それぞれはまた同じでもある。若者と大人は、「異世代」とし、世代対立はあるにせよ決定的に分裂してしまうなら、社会は平衡を保てなくなり、人間は自滅するしかなくなる。なぜなら、社会ナシに人間は生きられない。

男と女においても、社会が保ちうるギリギリの限界のところまで内部に対立があるとき、それがもっとも理想的な関係であり、ひいては理想的な社会といえまいか。大人は、老人は保守的である。が、ゆえに若者が保守的であってはならない。大人も若者も同じ保守的になり、内部に矛盾を含まなくなったというのは、どちらかが死んでしまったということだ。

若者は死んではならない。メリハリをつけて生きて行くべきである。確かに、「幸福である」ことはいいことだと教えられてきた。それだから、「幸福でない」というのは恥ずかしいことになる。幸福について考えることはないが、それでも、「幸福とは?」と尋ねられると、「今日一日、したいことが普通にできること」と答えよう。数日前にインフルになった。

当然ながらしたいことができない。風邪や病気はその意味で、「幸福感」を奪う。が、人間はまた、我慢をしなければ生きてはいけない。もし、生まれた子どもに何の我慢をさせることなく、欲しいものは買い与えて、我がまま気ままに育てたとして、彼(彼女)は決して幸福な大人になるのだろうか?「人間は我慢しなければ生きて行けない」は、親が知るべき大事なこと。

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自分が勝手なことをやれば、その分だけ他人が我慢をしなければならない。自分が我慢するより他人に我慢をさせる方がいいという人間に育つか、自分が我慢する人間に育つかであろう。他人を我慢させても自分の我慢は嫌だという人間、他人を我慢させるのは忍びないという人間、どちらがいいのだろうか?その人の生き方の中に答えは存在している。

どちらを目標に生きるかも人によって異なる。他人の迷惑など考えないで好き勝手に生きる人を良しとするならそういう人を真似、とてもそんな風には生きたくないならそういう人を真似る。これは選択だが、それとは別に、親が子を過保護に育てると、自分のことしか見えなくなる。20年間も甘やかされて育った人間に対して、「他人の気持ちを考えろ」と言って見れば分かる。

毎日何十回と100年言い続けても分からないだろう。「三つ子の魂」は百年不変である。犬に言葉を教えるために、どのように工夫してもダメなのは、犬にはそのような能力がないからだ。同じように、過保護で甘やかされた人間にも、他人の事を思いやる能力はない。そういう能力を身につける時期に過保護であったために教えられず、身につけさせられなかった。

子どもの頃にうるさく言わなくても、大人になったら分かる、欠点は直ると子どもの生活習慣に無頓着な親は多い。そういう子は20歳になっても30歳になっても部屋を綺麗に整頓できない。豚小屋であることの責任は親にある。人間の生活の基本は、受験勉強とどちらが大事か?これも親の判断によって子に伝承されていく。純粋無垢な子どもは親からメディアから影響を受けまくる。

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「宗教や精神面の問題で芸能界辞める女優に寄って集って砲火を浴びせる傍ら、電通問題で高橋まつりさんが自殺した時は、「死ぬくらいなら、なんで会社を辞めないんだ?」と矛盾したことを自分が言ってるなどと思わない。その場バッタリの芸能人である。彼の一言一句をネットが見出しにして取り上げるから、テレビは観なくても目に入ってくる。

坂上に怒りの書き込みを見るが、腹を立てるなら番組を見ないことだ。自分は、林修、坂上忍、マツコの番組は見ない。理由は女性がいうところの、「彼らの顔が生理的に受けつけない」という奴だが、その言い分は冗談半分で、基本はテレビを観ない。さらには、『幸福の科学』の大川隆法も、テレビには出ないが、永遠の仏陀などとイカレタ人だとしか思えない。

『幸福の科学』は開設当時から、オカルト、超能力、霊界・テレパシーなどを謳う不思議宗教で、信者数は1200万人と言われるが、数字は教団発表のもので疑わしい。病気治しなどの現世利益を売るわけでなく、先祖供養も他の教団に重視しない。それでいて多くの信者を獲得した『幸福の科学』は、作家の故景山民夫、女優の小川知子らの激しさは凄まじかった。

宗教とは真実なのである。信じる者にとって唯一無二の真実である。信じない者にとっては戯言にも劣るものでしかない。『幸福の科学』は、GLA教団の開祖高橋信次の流れをくむチャネリング宗教という扱いであったが、最近は動向すら興味が失せた。景山民夫や小川知子が、「フライデー襲撃」と息巻いていたが、景山は幸福になって死んだのか?そこは謎だ。

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