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横浜市・震災いじめの結末

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今の時代いじめは当たり前のように多発し、むしろ問題にすべきは、「いじめ自殺」である。いじめ関連のレポートをいろいろ読むなか、いじめの原因は、「学校の指導力不足」とする声が圧倒的に多いのはいうまでもない。学校内であってはならぬことが発生するなら、当然学校に大きな責任がある。が、いじめ問題を解決できない教師はいじめを積極的に黙認する。

「知らなかった」は、「対処しなかった」でない。都合の悪い事は知らないフリに限る。こんな無能教師が蔓延する時代である。いじめの解決は面倒で骨が折れる。昔は、「焼きを入れる」といった壮絶ないじめも多かった。1987年10月30日に東大阪市立新喜多中で起こった事件は、昨今のいじめとは比較にならない惨忍さで、当時のいじめはそういうものも少なくない。

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当時新喜多中1年生のA子さんは、同日学校の休憩時間中の教室内で、同じクラスの男子生徒3人に体を押えつけられ、焼けた金属片を頬に押し付けられた。それによってできた火傷の傷跡の回復は思わしくなく、その後に入院して形成手術を受けたが、それでも約3cmの傷跡が残った。この事件の前日も花瓶の水を飲まされる、頭からお茶やマヨネーズをかけられるなどされた。

A子さんは発達障害があることで、小学時代から常習的にいじめを受けていた。両親はA子さんが新喜多中に進学するとき、校長にいじめ防止などの配慮を求めていたろいうが、いじめはエスカレートするばかりで、担任教諭にも被害事実を訴えたが、担任教諭は火傷の後に、関連生徒に反省文を書かせただけで、抜本的対策を講じない無能教師であった。

両親は、「学校教育の場で生徒の安全に万全を期すべき義務を放棄し、いじめの実情を知りながら対策を講じなかったと、市側の管理責任を追及、同市を相手に両親を法定代理人とした慰謝料などを含む損害賠償請求訴訟を大阪地裁へ起こした。これに対して当時の東大阪市教委指導室長は、「学校の管理下で起こった事故だが、賠償責任はない」と答えている。

頬に焼けた金属片を押し付けるなど、いじめを超えた傷害事件だが、当時はいじめに対する学校の管理責任が緩く、教委も事故だと言っている。判決はいじめ被害側の全面勝訴となる。どこの学校にも、クラスにもいた不良が、いじめを行っていた時代と違って、昨今はどこの学校にも、クラスにもいる普通の生徒がいじめを主導している。昔、不良はあぶれ者であった。

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そうしたあぶれ者が気分晴らしにいじめをやっていた。そうした不良は、熱した金属片を頬に当てるくらいはゲーム感覚だろう。不良が行ういじめから、普通の子が普通にいじめを行う昨今は、傷害事件に類するいじめは少なくなった。「何がいじめなのか?」も多岐に渡って解釈される時代にあるが、教師を守る教育委員会のいじめ定義は、民意から大きく乖離している。

横浜市の小学校でいじめが発生し、恐喝された金額は合計で約150万円にも上った。この問題は、原発事故で横浜市に自主避難してきた中学1年の男子生徒が、転校してきた小学校でいじめを受けていたもので、転校してきた男子生徒は小学5年の時、同級生から、「賠償金をもらっているんだろう?」と言われ、自宅から現金を持ち出して1回5万~10万円を渡していた。

言われるままに自宅から金を持ち出しいじめの相手に手渡していた金額は150万円にも上った。生徒側の代理人などによると、保護者は2014年7月、県警に同級生から金銭を要求されたことを相談。県警がゲームセンターの防犯カメラ映像などを調べたところ、加害者側が1回あたり10万円単位の金銭を、交通費、飲食費、遊興費などに浪費していたことが分かった。

 生徒は保護者に打ち明けられず、生活費を持ち出していたことも問題と言えば問題だが、善悪の狭間で板挟み状態に陥った生徒は、精神的葛藤から不登校になった。保護者は県警の調査結果を学校、市教委に伝えたが、学校側はいじめ防止対策推進法に基づく、「重大事態」とは捉えず、問題を放置していた。これに対し横浜教育委員会は2017年1月20日、取材に以下の回答する。

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「男子生徒が小学生の頃、同級生に総額約150万円を払わされていたとされる行為について、いじめと認定することが難しい」という考えを示した。男子生徒は転校してきた直後の小学2年生からいじめを受け、金銭授受は5年生から始まった。また、両親の訴えでは持ち出し金総額150万円に上るが、学校の調査では8万円しか確認がとれていないとズレもあった。

横浜市教育委員会の諮問を受けた第三者委員会は、学校側の対応について、「原発事故からの避難で内面的な問題を抱えた生徒への配慮に欠け、積極的に対応する姿勢が伺えない」と指摘。金銭の授受そのものはいじめと認定していないが、いじめから逃れるためだったと推察できるとし、事態を把握しながら指導しなかったことを「教育の放棄に等しい」と批判した。
 

また市教委に対しても、「重大事態と捉えず調査の開始が遅れ、生徒への適切な支援が遅れた」とした。第三者委員会の調査は我々傍観者と異なり、当事者からの事聞き取りなどを初めとした事実調査を行うものだ。したがって、「150万を払わされていた行為がいじめと認定されなかったに保護者も我々も、"情緒的"には「納得できない」、「オカシイだろ」となる。

自分の経験をいえば、無用に人に媚びる奴は男女ともにいた。何ら強制を受けたわけでもないのに、相手やその場に取り入れられたいためか、愛想を振りまき飲食などの歓待をする。人の金で飲み食いできる奴にとっては都合のいい人間であろうが、冷静に見ていると憐れとしか言いようがない。強制がなくても媚びるのだから、強制すればこういう人間は奴隷になる。

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人の払いで飲み食いすることにどれほどの罪があるかは分からないが、「それは嫌だ」というのは明確な理由になる。他人の批判をすることで正義ぶるなどどうでもいいこと。嫌なことはただ、止めればそれが自身の問題である。自分は何かにつけて他者への批判を自己の正当化にした行動規範を好まない。先ずは、自己への批判が大事でそれがあれば他者批判など無用である。

若い頃は「正義」という言葉に憧れていたからか、他者批判によって自己の正義を触発したが、一種のナルシシズムでしかない。人の金で飲み食いを当たり前のようにする人間は少なくない。そういう人間を批判する事にどれだけの意味があろう。批判が行動であるべきなのは、そういう人間の意図に自分が嵌らないこと。だから、そういう種の人間に自分は驕らない。

驕って困るような人間なら驕るが、人の金で飲み食いをするような人間は識別できよう。同じ意味合いで、男性に驕ってもらって当然という女を彼女にしないのはそのためだ。思いあがった心卑しき女などと一緒にいる理由すら感じられない。自分は人に媚びない生き方を、「了」とする以上、相手に媚びさせることも拒否する。互いは互いにおいて自由であるべきである。

震災いじめと評された横浜の事件は、金額が膨大なことから、「こんなのはいじめというより恐喝だ。立件しろ!」の怒号がほとんどだが、男子生徒が然したる強制もないままに、相手に取り入られるために金を持ち出した可能性もある。回数が膨らんだのは、理性の欠片もない多感な子どもであり、降って沸いたように飲食・遊興できる金にいちゃもんをつける必要もない。

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横浜市教育委員会の岡田優子教育長の「(同級生からの)金銭要求をいじめと認定するのは困難。第三者委員会の答申を覆すのは難しい」と述べて市民から怒号と顰蹙を買ったが、確かに言葉だけでみればとげとげしい。子どもの転校そのこと自体に問題があるとは思わないが、今回のような震災非難に対する学校のケアは、親の転勤と違って特殊なものである。

級友から、「賠償金もらってるんだろ?」につても、子どもらしい悪気や悪意のある言い方とは思えないが、それを負い目と感じたのであろう。それ以前に同生徒が2年生からいじめにあっていたことが哀しい。最大の問題は、それだけの金額を持ち出せる家庭内の金銭管理である。子どもにとってお金は無縁のもので、それが自身の裁量で自由に工面できる家庭はオカシイ。

そうした家庭内部の不備一切をいじめにかこつけて被害者を気取る前に、反省すべきことは沢山あったはずだ。避けられる問題、早期に対処すれば解決可能な問題を放って置いて、事が膨らんだ時に責任逃れを弄して、それは違うのではないか?勿論学校側とて、校内で金銭授受を知りながら指導もしないのは、第三者委員会のいう「教育の放置に等しい」。

子どものことは、学校にも家庭に責任がある。が、こと躾に関する家庭の責任は、人格形成上の責任であることが多く、当面の問題として取り上げても仕方がないせいもあってか、第三者委員会などは具体的な文言を挟まない事になる。「〇〇君は、甘やかされて自由に育ち、親の財布から金を好きなように使えたのは親の教育の失敗」などと言ってどうなる?

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定義が曖昧であるがゆえにいじめの解釈は多岐に渡るもの。第三者委員会の判断も岡田教育長の判断もいじめに該当しなかった。教育長は、「おごり、おごられる関係がなぜにいじめ?」という発言もあった。この件は当月13日に動きがあった。生徒側の弁護士が市役所を訪れ、金を払わされた行為もいじめと認めるよう求めて生徒が記した手紙を林文子市長宛に提出。

この中で生徒は、「どうして教育委員会は一部だけを見て全体を見てくれないのか。学校は被害者側の言い分を聞かずに決めたのか」などと訴えている。子どもの声を無視するわけにいかず、市長が動き、同日横浜市教委の岡田優子教育長が会見し、「いじめの一部と認識する」と明らかにしたうえで、「生徒の気持ちを受け止められず、お詫びします」と謝罪した。


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