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愛と性に悩む青春期 ③

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不倫、略奪愛は今に始まったものではない。男と女の世界には切っても切れないものであろう。誰が誰を愛そうと、愛自体に罪はないが、制度に反することになる。さらには、習俗に対する世間の目に怯えることにもなる。だから、陰に隠れてコソコソやる。それを営利週刊誌に暴かれ、型通りの謝罪となる。悪いことをしでかしておき、バレたら謝るって何だ?

ベッキーはなぜ謝ったのか?乙武はなぜ謝る必要があったのか?彼らは悪いことをしたから謝ったのか?そのように見えるが全然違う。彼等はバレたから謝る必要があったのだ。おそらくバレなければずっと続けていたろうし、人間は悪いことをするもの、悪いことと知りながら行為するもの。それが暴露したなら、交通違反同様、「バレたか!くそったれ!」である。

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バレたことで謝罪という芝居をする。それをしなければ習俗社会から叩かれるからで、自分はそこを見る。謝罪の言葉など聞いてない。叩かれるようなことをしておきながら、叩かれることを怖がるのは、社会に依存しているからであろう。ベッキーの身は彼女自身のものであって、それでいて所属事務所という立場もある。習俗に反した行為は今後の食い口が阻まれる。

正確にいうなら、習俗に反する行為がバレたら…であって、行為そのものは自身が自身に許容している。自身が許容しても社会が許容しないのを習俗という。ベッキーや乙武は型通りの謝罪で世間に許してもらおうとした。成宮寛貴が、江角マキコの場合はどうか?事務所も止めて芸能界から足を洗ったのは潔さか?吊し上げ謝罪会見が嫌だったのか…?

江角は不倫疑惑だが、成宮はドラッグという脱法で、二人の違いはあろう。江角が不倫というじめじめしたものにそぐわないというのが彼女の持つ性格的事実なのか、キャラという虚実なのかは不明だが、芸能人は虚実(イメージ)を大事にし、それが壊れるような事実を暴露されたら、会見で無様な応対するよりも、突っ張って死ぬ(引退)を選択したことはあり得る。

虚像と実像の狭間で悩む人間はおおいが、芸能人はそれらの最たる人種であろう。ベッキーも爽やか健やか良い子のイメージだった。乙武も彼の身体的特殊性から、努力の人、障害者の鏡、さらには元小学校教師であり、東京都教育委員の任にあった。そんな彼がどろどろ不倫男では、世間は彼の肩書やこれまでの発言を許さない。さらに彼への同情を許さない。

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健常者が障害者に抱く共感は、障害者同士が抱く共感、健常者同士が抱くとは違って、いささかではあるが、ある種の同情心が働くものだ。健常者が障害者でないかぎり、それは仕方がない。同情して共感をしなければ真に障害者の生活などを想像することは不可能であり、その意味で見下げ、蔑む同情ではなかろう。それが不道徳人間とあらば、「同情を返せ!」となる。

江角マキコは「女王様キャラ」で売っていた。バラエティ番組を見ないが、彼女の強弁はYouTubeなどで見たが、不倫に寄りかかるしおらしい女のイメージはない。が、そうした彼女のキャラとは別の、小心者で臆病な、あるいは時には「女」の弱さを利用するしたたかさという実態は、ママ友からいじめ被害を受けたとブログに告白したなどからして明らかだ。

そんな江角の怒りを抱くママ友有志は、女性誌に2000文字を超す抗議声明を掲載(女性セブン2014年8月21・28日号)して反撃した。普段は気の強いことを言ってはいても、いざとなったら女の弱さをひけらかせ、同情を買おうとし、味方につけようとする女は多い。我は被害者と言わんばかりのこの手の発言には嘘が多く、こういう女の浅ましさ加減を男は知っている。

普段は偉そうに、いざとなれば被害者となる女に対し、普段は偉そうにして、いざとなったら被害者という男を世間は笑うし、足蹴りにされる。つまり男に逃げ場がないが、女には「女」という逃げ場が用意されている。最近、それをもっとも感じたのが、高畑裕太の強姦事件である。自分は警官の親を持つ女性とのある問題で、これが警官かという言葉を吐かれた。

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「男と女の問題では、どうあがいてみても女が勝つようになってるんだ。どんな言い訳をしても男の言葉は弁解とされ、聞き入れられないことを知っておけ!」と、半ば脅迫気味にいったが、こんなことを言わなければならないこと自体が惨めでバカである。母親との言い合いで、「お前なんか産むんじゃなかった」、「誰に大きくしてもらった」というと同等である。

女に甘く男にからいという司法の裁定は、女の弱さを軸にしたもので、該当もあるだろうが、すべてに当て嵌まらない。どうしても先入観が災いし、男が襲った、女が襲われたという受け身な図式となる。レディファーストの国アメリカで、世間で逞しく生きて行けない気弱な男はオカマになるしかなかったと、アメリカにおけるオカマ大量発生理由がそう分析された。

そもそも人の悪口、陰口を叩く人間に逞しい種はいないだろう。最近、芸能人が芸能人をこき下ろす番組を飯時にやっているが、他人の褌で相撲をとる芸能人が、「ああいった」、「こういった」などくだらんアホ番組だ。「他人の不幸は蜜の味」、視聴率がいいのはそういうこと。自分がママ友の悪口の根源で、それが孤立の原因とされた江角は墓穴を掘る。

自分だけが正しく、いかにも正義感であるが如く立ち振る舞う人間は、最後は間違いなく孤立する。その事をやっとこ実感した江角の引退は、遅きに失すである。女王様気取りでチヤホヤされても、する側の腹の中はうんざり。そこに気づかぬ人間ほど憐れなバカはいない。バカがバカと気づくのは遅いことが多いが、早く気づけばバカではないということだ。

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世間にはこの手の人間が多い。自分もこの手の人間を多く身近で見てきた。彼等の末路はすべて同じであったし、この種の人間においては方程式のようなもの。自分も同じような人間だった。中学1年の時に、クラスで一番バカなMに言われて気づかされた。代表委員の選挙の時だった。「お前に入れると自慢するからな」この一言がどれだけショックであったか。

周囲は自分をそんな風に見ていたことに気づかされた。小学校時代は特殊学級を行き来した知能の遅れ気味のMから、教授されたと感謝している。賢い人間はバカを見下すが、賢いならバカを見下す必要がどこにある?それでも見下し、見下げるのは、自分が愚かな人間であると気づいてないだけ。人は人のいいところを見つける方が双方にとってプラスになる。

長編小説は表題以外のことの方が多く書かれる。長文ブログもそうなるのは必然だ。愛と性だけで人間は生きていないし、生きられない。が、愛と性は人間の、「生きる」の根幹だ。言わずもがな恋愛は感情である。されど恋愛に於いて、精神がぶつかる難関は沢山でてくる。精神は惑溺から肉体を解放するゆえに、先ずは外にではなく中に肉体を投げ込む必要あり。

それくらいに危険な橋を渡るのでなくして、恋愛は生活においてはバカげた現象ではないか。恋愛には理性が何かの役に立つのだろうか?理性が完全に肉体を支配する恋愛感情を恋愛とは言わない。伊藤野枝という女性は、崇高なる恋愛感情に長けた女性である。彼女は淫乱女として故郷を失った。死んで100年近いのに、未だに地元では、「あの淫乱女」である。

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そんな野枝の結婚について以下の一文がある。「結婚を親たちの都合や取り決めで行うことは屈辱であり、したがって両親の望む従順な子ではなかった」。野枝が17歳で上野高女を卒業し、帰郷したときには親が勝手に結婚相手を決め、婚約が成立し、仮祝言までなされていた。野枝はしぶしぶ嫁いだものの、8日後には嫁ぎ先を飛び出し、東京に戻る。

そうして在学中に想いを寄せた教師の辻潤と同棲を始める。この破天荒な行為によって、野枝の親はどれだけ顔に泥を塗られたことかは想像がつく。野枝の行為を自分は責めない。なぜなら、本人の意志を無視して結婚相手を決めた親に、野枝がひれ従う理由はないからである。従う者が正しいわけではない。そうされることが、親にとって都合がいいだけである。

本人もそれでいいならいい、諦められるならそれもいい、が、野枝のように許せないと思うのもアリ。野枝はこの時のことをこう綴っている。「私の両親を初め関係者たちは世間に対する立場を失った。私の相手として選ばれた男も、その両親も、面目を潰した。嘆きの中に、また多くの因習の擁護者たる多数の人々の嘲罵の中に身を置かねばならなかった。

殊に、私自身を絶望のドン底にまで導こうとした事は、肉親の嘆きに対して感ずる不思議に強い苦痛であった。しかしながら、僅かに自分を支えたものは、私を屈せしめようとする習俗に対して、かなり確実に、自分を警戒している真実に対する信条であった。しかも、その信条が持つ理論の権威よりもさらに力強いものは、恋愛に対する熱情であった」。

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親の権威が強い時代に、真っ向から抗った伊藤野枝という女性に魅力を感じないでいられない。「強いられた結婚」というのはこんにちにおいては陰を潜め、お見合い結婚というのも死語になるほどに自由恋愛の世の中である。野枝は、「強いられた結婚」を不条理とするが、自由意志に反する結婚は惨めであるというのは、今では誰とて野枝に賛同するだろう。

少し前までは、自由結婚(恋愛結婚)より、お見合い結婚の方が離婚率が低いなどと奨励されたが、離婚しないために結婚するのではなかろうし、自然発生する離婚ならそれは仕方がない。離婚というのは、ある場合ににはどれほど必要なものであるかも、考えればわかること。かといって、「一生の契り」という約束が、誰においても重荷ということでもない。


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