愛の解釈はさまざまあるように、性とて性行為そのものだけではない。相手に寄り添ってみたい、手をつないでみたいなどの淡く微笑ましい感情も、性欲の初めの一歩であろう。いや、それこそが愛情の第一歩なのかも知れない。分けるのも難しいが、性欲と愛情の出発点が同じなら、どこかで枝分かれする事になろうが、「どこか」が、どこだかよく分からない。
愛の定義も難しい。異性に抱く恋愛感情というのは、誰もが経験あるだろうし、そちらの方が分かり易い。恋愛の動機をつき詰めると、「人間同士が幸せになるためにはどうしたらよいか」の答えではなかろうか?これこそあらゆる動物が本能的に知る幸せの根源であろう。そういった根本的な問いかけが恋愛感情というものなら、人間に限ったことではない。
恋する者たちを周囲から見れば、狭い世界に閉じこもっているようにみえるが、恋する当人たちは、人生を深く深く、追及し合っているのかも知れない。恋愛を哲学的に突き詰めるなら、恋愛こそが凝縮したかたちの人生を見ているのではないか。したがって、恋愛は心身を最高の状態に保とうとし、それ即ち、生きて行くために必要な方向づけの原動力となる。
「恋愛のパワーは強烈だ!」という言い方をしばしばされる。恋愛中の男女は恋愛という舞台が生活の中心となる。もちろん人には恋愛の世界以外に、仕事、家族、友人、趣味などの世界があり、舞台もあるが、中でも恋愛のパワーから湧き出る愛の世界は何よりも増して自身を圧倒する。人は恋する相手との永遠のつながりと、その世界を疑いようもなく夢見る。
愛や性が不確実であることを知らない恋愛経験浅き者は幸せなのか、不幸せなのか。恋愛の終焉は悲しいことだが、それはある日突然に訪れる。そういう体験を重ねるうちに人は、愛の不確実性や性の不確実性を、自覚もしくは無自覚に知ることになる。無自覚に知るというのは言葉を変えると、予感というのか予知というのか、恋の永遠性を自らに問う。
「わたしたち、ずっと続くのかな~」と、彼女の不安めいた独り言を耳にすれば、「大丈夫!きっとそうなると思う」などと彼は答える。恋人たちの日常会話だが、それでも独り寝の不安から、「今の二人の幸せや陶酔感は、いつしか終わりがくるのだろうか?という不安に襲われる。映画や小説において、なぜに獲得できなかった永遠の愛を描くのだろう。
悲しい恋の結末を悲恋という。結末とは別離である。この世でいちばん素敵なことが恋愛なのは誰もが認めるところだが、なのに恋の終わりはなぜに来るのか?恋の終わりはなぜに心が痛むのか?失恋の喪失感はどうして起こるのか?失う恐怖という見方もできるが、「拒絶される恐怖」であろう。拒絶の恐怖から逃れられない状態こそ失恋の絶望感ではないか。
拒絶されて平気な人などいない。太古の時代、集団からの孤立は死を意味した。一族からつまはじきにあうと、人間はその後の生涯を一人きりで生きていくしかなく、そんなことはほとんど不可能であり、死に繋がることだった。近現代においても「村八分」という排除の論理は存在する。そもそも「村八分」の語源ろいうのは、なかなか面白い言葉である。
言語学者楳垣実の説によれば、「地域の生活には十の共同行為がある。成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行、葬式、家事の消化活動。このうち、葬式と火事の消化活動を除いた一切の交流を断つことを10-2=8だから、村八分という。葬式と火事の消化活動が除外されないのは情ではなくちゃんとした理由がある。
死体を放置すると腐臭が漂い、また伝染病の原因となるためとされる。また、死ねば生きた人間からは裁けないという思想の現れともいう。火事の消火活動が除外されるのは、延焼を防ぐためである。村落の中での掟や秩序は、合法的・客観的で公明正大なものとは程遠い。その地域の有力者の利益に沿うためのものも多く、公平な秩序維持活動とは言えない。
1909年の大審院判決で、村八分の通告などは脅迫あるいは名誉毀損とされたが、それでも第二次大戦以降も村八分的ないじめは消えることはなかった。戦後で有名になった村八分事件は、1952年(昭和27年)に、静岡県富士郡上野村(現富士宮市)で起きた、参議院補欠選挙での村ぐるみの不正を告発した女子高校生一家が村八分にされた(静岡県上野村村八分事件)。
つい最近では、2013年(平成25年)7月21日に、山口県周南市金峰(旧鹿野町)で発生した高齢者5人が殺害された、「山口連続殺人放火事件」が、村八分による対人トラブルが原因とされている。「孤独死」が無縁社会のリスクというならば、有縁社会ののリスクというのは、近隣との人間関係のトラブルであろう。「孤独死」は何ら罪ではないが、村八分は許しがたい。
人に死があるように、多くの恋愛は終焉する。が、恋愛を死滅させない唯一の方法は「結婚」であるのか?結婚は恋愛の終焉といい、この言い方は、結婚を機に恋も愛も終わるニュアンスがある。確かに結婚は、愛だ、恋だよりも、今日の夕食何にするかといった日常である。日常とは夢やロマンと違って現実である。結婚は愛を永遠に確実なものとする行為か?
そうではないから離婚がある。しかし、こんなに多くの離婚があるなら、結婚とは何なのか?といいたくなる。恋愛にも結婚にも愛の確実性は存在しないが、愛そのものは存在する。その愛が当人同士の努力によって永続的なものになるということか。それを永遠の愛などというのか?愛が確実に存在するから、人は何度も人を好きになる。ということは…
愛は、「一瞬」に存在するもののようだ。男が女を抱くときの、一瞬に愛は存在している。女が男に抱かれるときの、やはり一瞬に愛は存在している。一瞬だが、愛であるのは疑いようがない。永遠の愛でなくとも愛は愛。「確実」と、「永遠」は全く別のものであるのに、錯覚させたのは誰であろう。「永遠」の愛というのは、努力によって育まれるものだ。
「出会いは別れの始め」と昔の人は言ったが、言葉がこんにちまで続いているのはそのことの裏付け。熱烈に愛し合った二人も、四季の移り変わるがごとく、時の流れとともに徐々に変化をするものだ。変化は誰にも止められないし、変化がよくないと誰も言えない。相手の嫌な部分が目につき、欠点が鼻についてくる。人間が飽きやすい性向であるのも一因だ。
漫然と愛に身を任せていては、破局の種が二人の間に宿すことになるから、互いの愛情を維持するためのさまざまな努力が必要である。それもある程度意識的に行う必要がある。それが自由意志で選んだ相手への奉仕であり、義務と言うべきかも知れない。伊藤野枝は1917年の「婦人公論」9月号に、『自由意志による結婚の破壊』という題目で論文を寄稿した。
その中に以下の一節がある。「熱烈な恋愛をもって一緒になった二人が、恋愛の消滅や、理解の欠乏などと言うような理由から、冷たく未練なく別れてしまうというような事を、彼等は、最初の馬鹿気た情熱にあやまらされたものとして侮蔑している」。28歳で絞首台に消えた伊藤野枝は、本能に忠実に生きた女性であり、男は多情淫奔女性に惹かれると安吾はいう。
不安で、心配で、ハラハラドキドキさせられるほどに男を困らせる。困らせるけれども、困らせられる部分で魅力を感じている。日本の女性は愛妻になる教育を受けていないばかりか、物理だの数学だのができる才媛であれど、人間に対する省察のない女性のどこが魅力的?魅力のない妻は決定的に悪妻であるが、魅力によって夫を惹きつけるのが良妻。
したがって、そういう種の悪妻は実は良妻である。これが、安吾流弁証法的、「悪妻論」である。なるほど面白い。善意で従順な妻をいいことに、幼稚でマヌケな男は我が物顔で好き勝手をする。気のいい良妻賢母女性を踏み台にしようとする。これでは従順な妻とて踏んだり蹴ったりである。男の幼児性を逆手にとり、多情淫奔である方が男を悩まませ惹きつける。
安吾はまるで伊藤野枝を述べているようだ。『自由意志による結婚の破壊』を書いた当時、野枝の身辺状況は前年4月に辻潤との家庭を捨て、子どもを捨てて離別し、秋にはアナキズム運動の大杉栄と同棲を始めた。大杉には妻の他に神近市子なる愛人もいて、彼の苦し紛れの『自由恋愛論』は批判の対象だった。そこに21歳の野枝が割り込み、四角関係となる。
それが元で大杉は市子に刺されて瀕死の重傷を負ったが、自業自得というしかない。なにぶん市子は大杉に経済的援助を与えていたのだ。神近市子は投獄され、妻の堀保子は大杉と絶縁し、伊藤野枝が恋の勝利者となる。勢い大杉は野枝との間に5人の子を産ませる。時は関東大震災の混乱の中、憲兵隊に虐殺される最後の瞬間まで、栄と野枝は一緒だった。
恋愛は個人的な問題だが、当時の時代背景もあって、栄と野枝の恋は社会的な事件となった。不倫・略奪愛、勝手気ままな自由恋愛思想に対する世間の批判に耐え抜いた二人。世間が自分たちをそれほどに悪魔と呼ぶならと、最初に生まれた子に魔子と名付けた。大杉は、「生は永久の闘い」という。自然との闘い、社会との闘い、他の生との闘いであるという。
永久に解決しない闘いであるという。闘いは生の花、実り多き生の闘いという。これらの言葉は彼の一篇の詩、『むだ花』に記され、詩の最後にはこう結ばれている。「むだ花の蜜をのみあさる虫けらの徒よ」。大杉はむだ花の蜜を吸ったところで何の滋養になるといっている。少数派を志し、少数派に属し、少数派を生きるためには闘う決意が必要だ。