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濃いめのカルピスは薄かった

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たま~にカルピスを飲みたくなる。体、咽喉が要求するからだが、科学的にはカルピスの味を記憶する脳が、「カルピスを飲め!」と命令を出す。そのことを我々は自らの意思という。意思は自発的のようだが、実は脳に命令されたものに過ぎない。水を飲め、何か食え、本を読め、女とやれなど、我々は脳の命令で生きていると思えば、何とも不思議に思える。

我々は脳が出す命令で被害を被ることがあるが、どこに言って行けばいいのだろう?「お前はもう生きてる意味はない、いっそ死んでしまえ!」という自殺の命令も脳が出す。そうした脳の命令に困った我々は、心を通わせる友人などに助けを求める。それを相談という。昨日は、「死ね!」という命令を出しながら、今日は「生きろ!」と、脳も気まぐれだ。

他人の命令であれ、自身の脳による命令であれ、人は命令に対して無意識に拒否感を抱くが、そうした命令と戦うのが人間の頑張りである。その時、理性と感情が対立し、その結果として選択された行動を「思慮」という。理性による歯止めを無視した感情行為を「情動」という。これら二つの交差の葛藤をするが、人間は感情に殉じる方が楽なのだろう。

自殺する人は、停止命令に抗うよりも、死ぬことを選ぶ方が楽なのだ。浮気や不倫の静止命令をきかない方が楽なのだ。これが自殺や不倫を止められない理由である。政治家や官僚の汚職も単純明快、お金を貰えという脳の命令だ。法を取り締まる警察官や教師のよる少女への猥褻行為も脳が命令のままの行動だ。となると、自制心をどう鍛え養っていくか?

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自制心とは「力」である。自身の感情や欲望などを抑えたり、コントロールしたりする気持ちや精神力のこと。ある人とない人の差を比べるといろいろ見えてくる。まず、自制心のない人の特徴は何か。単純にいえばデブが多い。人の自制心のあるなしを判断する際、もっとも分かりやすいのが「食」である。言われて気にしないはともかく、デブは自制心なき証明だ。

ちなみにマツコに、「あんたは自制心がないね。体が示してる」と言うと、ムキになって怒るだろうが、怒ろうが怒鳴ろうが、それで自制心がある事にはならない。「あたしは好きで太っているの、文句ある?」というかも知れないが、好きで太ることを自制心のなさと言う。好きなことにひたむきになるのはいいことだが、熱中するのは自制心のなさである。

スポーツなどの技能向上に生かされるが、反面彼らはそれによって新たな自制心を自らに課す。この二律背反が面白い。2月で50歳になるサンカーの現役選手三浦知良は、体重が72kgで体脂肪率が9.2%という。ハリルホジッチ日本代表監督が求めるのは、「体脂肪率12%以下」だから、圧倒的にクリアしているが、その面でカズは日本代表に選ばれてもいい。

プロバスケットの田臥勇太はあるテレビ番組で、「かつ丼や天ぷらのような高カロリー食品を何年も食べたことないです」と言っていた。彼の体重は63kgにして体脂肪率8%である。余談だが、彼らは裸になるとペニスが長く見えるハズだ。男は痩せて下腹部の脂肪がないと棒の標高が高くなる。デブ男は埋もれてどこにあるのか分からない。相撲の力士はミクロペニス。

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土手の高さが2~3cmもあれば厚みも邪魔して子宮に届かない、だから主婦の浮気相手は細マッチョ?というのはデータではなく想像なので悪しからず。ペニスの周りに脂肪がついて埋もれていいことは何もない。ED等の機能障害は肥満によって起るケースもある。これは肥満によって血管内に脂肪がたまってしまう事によって、血流が悪くなってしまうからだ。

勃起とは、ペニスへの血液の流入で、この血液がドロドロになってしまい、海綿体に十分な血液が送り込まれないと、興奮しても勃起できないというED状態に陥る。さらに肥満の人は下半身の筋肉が衰えている傾向があり、勃起の筋肉であるPC筋が弱くなっていることも挙げられる。だからか、デブのおかまは男色に走る。女性に対し、男の機能を発揮できないから。

というのも、科学的見地からの想像であるので悪しからず。「ペニス増大サプリ」というのがあるらしい。そんなサプリがあるとは耳を疑ったが、鍛えるのはチントレ以外にないと思ったが、サプリがあれば話は簡単。といいつつも、増大サプリの原理は、血流量の増加によってペニスの成長を促すものゆえ、体内の血流が悪い状態でサプリで栄養を補給してもダメ。

小太り程度の肥満ならいいが、血流量が気になるレベルのデブはすでに成人病レベルである。マツコのような圧倒的デブを見ると、機能障害を想像してしまう。見た目重視の女性は多く、デブに浮いた話はあまり聞かない。陰でコソコソといっても変装のしようがない。と、カルピスの話がペニスになったが、ペニスが埋もれていいことはないと男諸氏への進言だ。

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デブは見た目以上に問題あり。そりゃ人間は、誰も美味しいものを沢山食べたいが、セルフコントロールをできる人は、食事の量も制限するし、「腹八分」というところでストップできるが、コントロールをしない人、「誰がどう見ても食べ過ぎ」というデブは、自制心がないと思われてしまう。いくら食べても太らない人は、幸いそのように見られない。

衝動買いの多き人も、自制心に問題がある。入ってくるお金は決まっているゆえ、出ていくお金もその中に納まるように、さらには貯蓄できる計画性を持たるべきだ。「あ、いいな」と思うと、後先考えずに衝動買いする人は、自制心とは無縁であろう。自慢話の多い人も、自制心のなさである。なぜなら、人の自慢話は聞かされて楽しいものではない。

したがって、聞かされる相手の気持ちを察して、自慢話を避けるのが自制心のある人となる。悪気のない自慢話であれ、内容が単に事実であっても、人にはそう解されないことは多い。また、感情の起伏が激しい人も自制心の問題である。短気な人を脳の小さい爬虫類の凶暴さというが、そうまで言わずとも子どもを見ればいい。子どもは自制心の鍛錬がない。

泣いたり、わめいたり、はしゃいだり、すねたりなどの感情の起伏が激しく、喜怒哀楽をそのまま表現する。大人になると自制心が備わり、それほど影しい感情表現はしなくなるのが一般的だが、「あいつはまるで子ども」、「何ともガキのようだ」と烙印を押される大人は多い。特に、勝敗を決するようなゲームやギャンブルなどは、自制心が失われ本質が見える。

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いうまでもない、人間は社会的動物だから、衣類を纏うように(これはまあ、防寒のためでもあるが)、本質を自制心によって抑えて生きている。親しい相手と会話をしたり、親しい相手でなくともサプライズ的に相手の反応を見たり、書き物をしている時に、自制心を失うというより、自制心という箍(たが)を外してやろうかいな、と思うことはしばしば現れる。

自制心満タンの書き物が、道徳的でつまらないと思うからで、その辺の境界線は書き手よりむしろ読み手によって基準値は作られる。人によって許容範囲は違うし、それが社会ということになる。だからか価値観を異にしない人間同士が気が合うという。Aに言う同じことをBに言うと嫌悪されたりする。そうしたさまざまな人間をくぐって行くのが人生である。

こういう場合の対応も身につけておくのが、人間としてのそつのなさであろう。「そつがない」とは、「抜かりがない」、「あわてるさまがない」の意味だが、そつを、「卒」と表記するのは正しくなく、単なる当て字のようである。「卒」とは、「卒業」、「卒園」、「卒寿」など、「終わる」とか、「締めくくる」とかを意味し、どのように考えても、「そつが無い」という言葉に適応しない。

以前、「そつがない」の、「そつ」を軽率の、「率」とし、「軽率でない」という意味だと言った奴がいた。当時は説得力があったが、どうやら間違いだった。「そつがない」という言葉を評価として使うことが多い。が、よくよく注意するに、「そつがない」という言い方は、確かにある場面において抜かりはないが、「それ以上の能力を有す」とまではないと受け取れる。

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受け取りかたは人それぞれで、自分はこのように感じられる。だから、「あいつはそつがないね~」の言い方は、自分的には褒め言葉での使用でない。こうしたグレーゾーンの言葉の多い日本語は難しい。「要領がいい」などは、良くも悪くも取れる言葉の代表だろう。「調子がいい」も本来は良い意味の言葉だが、「あいつは調子こいて何やってるんだ」などと悪く使う。

などと、書いてて発見が多いのも書く愉しみである。常々思うのは、表題を決めて書くとき、どうも道草が多くて、「これはイカン」と思いながら修正するから、表題は後でつけることが多い。が、それでも表題に困ることが多い。洋画や洋楽の邦題は意味不明が多くて気にはしないが、中学時代にビートルズの邦題を原題と比べて、「何じゃこりゃ?」を思い出す。

本日の表題、「濃いめのカルピス」は、ウォーキング中にコンビニで発見した、「濃いめのカルピス」にインパクトを感じたからで、そもそも希釈飲料であるカルピスは、家でしか飲めない点がカルピス好きの自分にとって不便このうえなかった。カルピス社も敬遠された時代遅れの希釈飲料から消費拡大を狙って、「カルピスソーダ」を発売したのが1973年だった。

炭酸入りにした理由は、当時の製法技術では普通の水による希釈で長期の品質維持に問題があったためである。ところが、飲んでみるとカルピスらしい味はするが、あの濃厚なるカルピスにはほど遠い。咽喉ごしのよいほどの炭酸ともいえず、これなら子ども時代の定番炭酸ラムネの方がいい。さらにはラムネの大人味のコーラが断然いいと、以後飲まなくなった。

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氷と冷水が必要な希釈飲料は、その面倒くささもあって消費者から避けられ、1980年代後半頃から、原液カルピスは一般家庭において敬遠されて行った。1991年に希釈で長期の品質が保てる技術が考案され、発売された、「カルピスウォーター」は発売とともに大ヒット商品となった。これも自分には不満であった。希釈カルピスは2倍の濃いめ愛飲者の自分だ。

「これのどこがカルピス?」という不満から騙された気分である。そうして2017年、発見したのが、「濃いめのカルピス」だった。二度の不信から、今回はあまり期待をせず、それでも、「濃いめ」とはどの程度の、「濃いめ」かの調査も含めて試飲したが、やはり期待外れ。通常カルピスは5倍希釈だが、これは3倍程度の味か、だから、「濃いめ」と謳っている。

それからすれば表記に偽りはない。が、二度めはないとしながら、やはりカルピスは自宅に限る。自分で濃さを調整できてこそカルピスである。その自由度を尊重しながら、今後も冷水と氷を用意し、手間暇(大層な時間でない)かけてカルピスを飲むと誓った。「初恋の味」とのキャッチフレーズに惹かれた少年期、早く飲んでみたいとせかされた記憶はトラウマか。

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