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「孤独」を楽しむ

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一人でいることの世の中のイメージはネガティブだが、誰にも会わずにいることは、有り余る時間を好きに使える点で楽しい。自分は、facebook、skype、mixiはやらない。ブログもSNSだが、目的は交流のためにではない。コメントには応対するが、大勢の相手との交流を楽しむ人もいるように、コミュニケーションを楽しみたいなら大いに楽しめばいい。

人と関わることは重要と思うが、現代社会ではどんな形でも簡単に人と繋がり続けることができるためにか、常に誰かを意識した行為・行動をする人は多い。人はなぜ他人と繋がりたいのか?なぜコミュニケーションをせずにいられないのか?について、SNSに場合においては、手軽ということ以外のメリットは、見当たらない。出会いも離別も手軽で楽ということか。

孤独に耐えられないからと言った奴がいたが、彼にはネットの相手との表層関係であれ癒しになるのだろう。かつて自分も対話相手はいたが、話の内容よりもロジカルシンキングを楽しんでいたし、SNSでのコミュニケーション自体が性質上、本当にコミュニケーションといえるのかどうかにおいては疑問もあり、結論抜きのディベート的で良いと考えていた。

受け手を特定できない以上、送り手には注意がいろうし、相手は相手で、こちらを特定できないゆえの注意もいる。それが基本的なマナーかも知れない。あまり立ち入ったことを話すのは、好む好まぬの問題もある。また、誰が読んでいるかわからぬ、そうした見えない怖さもあるが、別の考え方でいえば、気にしないスタンスでやれる。気にすればキリがないからだ。

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「この人は何を書いているんだか…」と、相手を見定めている方が自由にやれる。バカの強さは気にしない強さであろう。なまじ自尊心や虚栄心に蹂躙されると、自己を縛ってしまい、自由な書き込みが損なわれる。完全に自分を開放する自由は不可能だが、自由が楽という気持ちに向かうことはできよう。SNSは文字が示すよう、ソーシャルな場ではある。

が、本当に意味のある双方向コミュニケーションが成立しているとはとても思えない。おそらく不可能であろう。もっともそういうものを期待していない人も多い。見るからに「義務」という拘束を受けたり渡したりを感じるものも多く、いかにも日本人的だがああなると止めることも難しくなる。止めたくても止められない義務感も見ていて辛さが伝わってくる。

全ては自己の責任ゆえに、周囲が憂慮することもない。現実社会でも付き合いを止められないで、苦慮する人は多い。始めた時は、なんとなく人とつながっていたいとの理由だろうし、親和欲求というより、孤独感の回避欲求である。その程度の理由であるからマンネリ化し、義務化すれば負担となる。手軽で便利なSNSの行き先は必然的にそこに行き着く。

将棋仲間のFさんは73歳。大概奥さんからの電話で、帰りをせかされる。どうしたっ利用時間が5時までのコミュニティーセンターゆえに、4時半でお開きするようにしているのだが、なんでか電話がかかってくる。うるさい女房だと、誰もが思っているのに、本人も強く言えないから奥さんも最速電話を止めない。これはもう、どっちもどっちとしか言いようがない。

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「いちいち電話なんかすな!」を最初に言わないから、永遠に言えない。思慮なき女は同じことをしつこくやる。周囲だけが、「うるさい嫁だ!」と思っている。周囲にそう思わせないようにできないFさんの不甲斐なさであろう。ま~、余計なことだが、いつも同じことを何でするのかは誰もが思うこと。熟年夫婦は互いが、「ひとり遊び」のクセをつけた方がいい。

夫婦間でも、「ひとり」は大事で、それぞれの社会があるわけだ。であるなら、相手の社会に立ち入るのは控えるべきである。うるさい妻は夫を委縮させるし、男社会にあっても周囲に気まずい印象を与えてしまう。場合によっては本意ではなくとも、バカにされたりの言葉をあびせられたりもある。「パチンコしてるわけじゃない、将棋の何がいかんの?」

と疑問を呈す人もいる。むしろ妻の方が孤独に耐えられないのだろう。70歳も超えて面倒くさい妻と思うが、最初の躾がなかったからだろう。かつて、「男は敷居を跨げば七人の敵がいる」と言われた。あまり聞かなくなった言葉だが、七人とは多くの意味だが、以下の七つの指摘もある。①借金とり、②女、③人災、④暴力、⑤盗難、⑥出世の敵、⑦ギャンブル。

女性の孤独がどんなものかは分からないが、夫を亡くして一人になった女性は、「案外と淋しくない」という。年代にもよるのだろうが、60歳も過ぎれば、妻を亡くした夫よりもサバサバしているのではないか。男にはあまりないが、女性には、「些事」というものがあり、それが孤独を忘れさせてくれたりするのではないか。「些事」とは、日常の小事のこと。

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小事とは、取るに足りないような細々としたことで、男にはあまり縁がない。些事を楽しめるのは、家事をしていたという事もある。男でも料理が好きな人間は、例えば自分などはその部類だが、結構、日常を楽しめるものだ。お好み焼きを食べに行こう、かつ丼を食べに行こうとは思わない。なぜなら、自分で作る方が美味しいからで、これが料理好きの醍醐味。

自分で作る方が美味しいから、面倒と思わない。どうせ食べるなら美味しい方がいい。なぜ料理が好きになったのか?女を喜ばすツールでもあった。「俺の作るカレーは世界一美味しい。間違いなく虜になる」などと、よく言ったものだが、期待を裏切ったことはなかった。やはり、味を研究したのかもしれない。市販のレトルトなども、必ず手を加えて美味しくする。

ふわふわのだし巻きやオムレツなどは、数をこなしたから自信の一品でもある。男で料理ができると、一人暮らしの相手や、同じく自宅に呼ぶ口実になるが、それを口実にさせない料理の味は重要である。料理は自分にとって些事である。芥川龍之介はこんな言葉を置いている。「人生を幸福にするためには、日常の些事を愛さねばならぬ」。強要ではない自主的に。

「スーパーの男」を自負するくらいに、買い物もすきだ。これらを人は、「マメ」というが、これらの源泉は、「好奇心」である。スーパーほど好奇心を満たしてくれる場所はない。ウォーキングも健康のためといっても、歩いているといろいろな発見が楽しく、そうでなければできないだろう。人は人と接することで、一人ではいられないさまざまな刺激を受けたりする。

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が、現代社会は、そういう形でのインプットはもはや十分過ぎるほどあり、今ほど必要なのは、「ひとりで過ごす時間」ではないか。ひとりでいることで、自分の中のあれこれの心が静かに燃やされる。人から情報や知識を得るのは、手っ取り早いし、便利だし、自分の生き方のプラスになると錯覚するが、実際は自分の潜在能力を発揮させる妨げになっている。

キルケゴールが孤独について書いた一文がある。「たしかに人は孤独を愛する。それは愛と友情の行方の知れぬ幸福を、孤独のうちに発見するためで、星を眺めて賛嘆したいと思う人が、暗い場所を探すように…」。と、この意味はよく分かる。タモリは、「友達なんかいらない」と公言する人だ。SMAPの中居が、「友達は必要でしょ?」にこう答えている。

「俺、あの歌が大嫌いなんだよ、小学校に入ったら、『ともだち100人できるかな』って。そんなことで人生決めんじゃないよ」と、断固として反対していた。さらに、「どんどんどんどん減らしていってるし、切ってく」と、友達を厳選しているという。自分はもうずいぶん前から年賀状を書くのを止めた。来た相手に返事も出さないから、それならと相手も出さなくなる。

連絡くれよと携帯番号まで書いているのも無視をする。多少なり心が痛むが、相手の都合よりも自分の都合を重視したと思えば気分も晴れる。基本は、「好かれる人にならなくてもいい」というスタンスでいれば、自由に生きられる。自分が相手の都合で利用されたくないなら、相手も自分の都合で利用しない事。友達というのは、案外と利用し、利用される関係だ。

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空気みたいな存在で友達なら真の友達だが、それが友達なら友達って何?という問いに対し、「心の友」ということになる。無意識に、「他人にどう思われるかが、自分の行為の基準」となっている人がいるが、卓球日本一の平野美宇が、「嫌われても良いんです」と、試合に勝つことだけに専念できたのは、彼女がその事のみに目標を置いているのが理解に及ぶ。

同じようなことは若き日の羽生善治三冠にもあった。彼は同期の森内俊之や佐藤康光と仲良しで、個人的往来もあり、一緒に研究会を開いていた。が、そのことに疑問を抱いた羽生は、「戦う相手と仲良しでいいものか?」と、私的交流を断ち研究会も止めた。森内も佐藤も理解を示す。ネガティブな孤立でなく、自ら選んだ積極的な孤立であり、平野美宇もそれを言った。


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