福沢諭吉の『学問のすゝめ』の冒頭、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は、あまりに有名な言葉であり、これを諭吉の草案と信じる人は多い。正確にいうと、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」であり、この「云(い)ヘリ」は、こんにちの、「云われている」の意味であるから、諭吉自身の言葉というより、出典は別の何かの引用であろう。
慶応義塾豆百科によると、トーマス・ジェファーソンによって起草されたといわれる、「アメリカ合衆国独立宣言」からの翻案であるとするのが最も有力な説であり、原文訳は、「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命・自由、および幸福の追求が含まれることを信ずる」。
福澤がこの独立宣言をすでに読んで知っていたことは、慶應2年に刊行された、『西洋事情』巻之二の、「亜米利加合衆国」の項にふれている。彼はこう書いている。「天の人を生ずるは億兆皆同一轍にして、之に附与するに動かす可らざる通義を以てす。即ち共通義とは人の自から生命を保し自由を求め幸福を祈るの類にて、他より之を如何ともす可らざるものなり」と。
偉人や賢人にはいい言葉、名言の種はたくさんあるが、人はすべてに平等であり、身分の上下、貴賎、家柄、職業などで差別されるべきではないことを言っている。言葉を知らないか、知っていても守らないか、あるいは無視するからか、世の中は不平等で成り立っている。容姿・容貌にも差があり、それが本人のせいでないにしても、学校で理不尽なイジメにあう子は多い。
「他人の顔をあれこれいう前に自分の顔を鏡で見たらどうなんだ?」みたいなことはそんなことをよく言ったし、男にも女にも遠慮はしないで言っていた。実際、そういう事をいう奴には腹が立った。20日の記事に、小6で自殺した少女の遺書に、「5年生になってキモイと言われ、つらくなった」とあるが、「そんなことは言ってはダメです」というだけで何の指導であろう。
指導をマニュアルの実践とし、「指導した」という教師は多い。根本を解らせようと尽力する教師は、まずはいない。彼らは教育者というより職業教師である。根本を解らせようとするのは、容姿・体型など、いじめの発祥の根本要因に腹が立つかどうか、教師にそうした感受性があるかどうか、そうした、「怒り」なくして情熱は生まれないが、ノンポリ教師はただのマニュアル教師である。
林竹二がそうであったように、教育者とは、根本要因を突き詰める哲学者であるべきだ。林はソクラテス研究家でもあり、田中正造にも憧憬があった。『思想の科学』1962年9月号は、田中正造の特集号で、林は編集の任にあたった。教師がいじめに消極的なのは、解決が難しいからというが、そんなのは理由にならない。集団生活で発生しやすい事象は、何より優先して取り組むべきだ。
もしも自分が教師なら、「君たちの中で、自分の顔が美人、かわいい、イケメンだと思うひとはいますか?いたら遠慮なくと手を挙げなさい」といった、根本的な問いからいじめ問題に関わりたい。むしろこrは、いじめ問題に関わる楽しさのように思う。自分が然したる美人でないなら、他人の容姿を批判すべきでないし、A=B、B=C、よってA=Cという3段論法は説得力に富む。
こうした、独自のアイデアも含め、子どもに人の容姿をとやかく言わせない方策を教師は考えるべきである。自分のことを棚に上げて、他人をあれこれ言うべきでない、とするのが人間関係の理想である。人の欠点をあげつらうよりは、相手をリスペクトして交流するのが、ヒューマニズムであろう。ところが、早い段階から子どもを競争社会に送り込む学力主義が、他人への尊重を崩壊させた。
学校でテストの結果に順位がつくのは、やむを得ないにしても、それを家庭にまで親に煽られて、子どもはどこに居場所を求めればいい。成績のいい子ばかりではない、勉強の嫌いな子、苦手な子、したくない子の方が多い。「勉強できなくて人にあらず」という暗黙のプレッシャーが、子どもをストレスを増幅させる。どうにかならないのか?こういう親はどうにもならない。
子ども間のいじめには、親が大きく寄与していると考える。教育格差の解消は、昔はそれほど難しい問題でなかった。理由は、経済的な問題が大きかったからだ。親が医者、教育者、あるいは名士、社長の息子など、恵まれた家庭環境の子は、家庭教師をつけたり、有名私立に行くなどは、「あたりまえ」のこととして許容された。単に羨ましいという程度であった。
それが根深い問題になった昨今である。家庭で文化が伝授され、親の生活態度が子に受け継がれるなど、親から子に価値観が享受されていく時代ではなくなった。昔は経済的に豊かな家庭は、子どもの資質そのものが違っていたし、誰もがそういう子には一目置いていた。教育機会は均等に提供されるものであるが、理念と現実は、あたりまえにギャップがあるもの。
平等だとされた戦後教育も、すでに団塊の世代あたりから、カエルの子はカエルとなる傾向はハッキリしていたが、親の盲目性よ欲目がそれを認めない。平等を目指すのが無理なら、市場原理に任せようと、早くから塾にいかせるなどして躍起になる。子どもの向き、不向きを見てからでよさそうなものだが、「勉強できなくて人にあらず」の信奉者につける薬はない。
カープの鈴木誠也の父が、「宿題する間があるなら、外を走って来い」と言ったというが、だから今の鈴木誠也になったというより、あれもこれも欲目の親であっては、普通にしかならない教訓だろう。何かをするなら、何かを犠牲にするという、それを当然とする親のキャパシティが、子に伝わって相乗効果を生む。文武両道なる言葉はあっても、理想は理想としておけばいい。
教育に熱心に取り組むのは、骨が折れるし大変であろうが、なにより大事なのは本人の主体性であって、それを生み出す環境作りである。勉強も集中すれば楽しく、それで結果も上がるなら一生懸命さも増すだろう。何のスポーツであれ、ウォーキングであれ、ブログであれ、何でも始めたことに一生懸命になるか、ならないかで、人の在り方は変わってくる。
初場所幕の内優勝と横綱昇進を手にした稀勢の里は、初土俵から15年目の優勝だったという。父親がテレビのインタビューに答えていたのは、「目の前のことに何でも一生懸命にやる子どもでした。食事の時も黙々と一生懸命に食べておりました」。これを努力とは言わないが、人は努力という。「好きこそ物の上手なれ」の言葉がピタリだ。何事も、好きである事以上に幸せはない。
自分もその傾向が強く、好きは徹底して行うが、嫌なことは徹底してやらない。徹底してやる事と、徹底してやらないことが、自分を自分足らしめている。他人が何といおうとも、「それで良し」も人生だ。「孤独のすゝめ」は、『学問のすゝめ』にあやかった。タイトルは何でもいいが、孤独を愛すれば、孤独で困ることはない。それだけ世の中には孤独を嫌い、孤独を避ける人が多い。
「孤独を愛せ」は、「人を嫌え」ではなく、どちらにも堪能でいれるということ。人といなければ辛い、淋しいという気持ちは困らないか?ストレスにならないか?その意味で、「孤独を愛せ」であって、人嫌いの奨励ではない。人生を楽しむ条件の中に、「孤独」も入れればいい。崇高な孤独を孤高とするなら、凡人には普通の孤独が似合う。が、「孤独」も「孤高」も基本は強さである。
かつて聖徳太子はシナ文明圏からの自立を選択した。この場合の自立とは、むしろ「孤立」と言えなくもない。太子は、「孤立」を選ぶことによって、大国隋との対等な関係において、「在る」という、「強さ」を獲得したのだった。軍備なき日本にあって、日米安保は堅持すべきであろう。が、「孤立」を怖れてか、中国、韓国に臣従するのは、「愚」という他はない。
太子が危険を冒してまで選び取った外国文明からの、「自立」ないし、「孤立」という強さが、こんにちの日本国には見られない。このことは、日本の円紙幣のすべてから聖徳太子が消えた頃から始まったのか?1984年(昭和59年)、時の大蔵大臣渡辺美智雄は、紙幣の衣替えを記者会見で発表した。それまでは聖徳太子が紙幣の顔であったが、千円は伊藤博文から夏目漱石に替わった。
五千円札の聖徳太子は新渡戸稲造に、一万円札の聖徳太子は、福沢諭吉に替えることが発表された。理由の一つは、聖徳太子の肖像が、実は太子ではないのでは?の説の浮上にある。この説を最初に流したのは、東京大学史料編纂所所長の今枝愛真氏で、肖像の太子否定説を朝日新聞に掲載した。今枝説の提唱は昭和57年だが、後に大阪大学副学長の武田佐知子氏らによって覆される。
お札の発行は日本銀行法に定められた中で、肖像などの様式は財務大臣が決めることになっている。太子がお札から消えたのもう一つの理由として、将来の5万円札、10万円札に聖徳太子を復活させる可能性が言われていたが、話が立ち消え、未だに発券されないのは、やはり虚構説がネックになっているのだろうか?高額紙幣を作ればその分お金の持ち運びがしやすくなり便利である。
が、反面、地下マーケットでのお金のやりとりがしやすくなる危険性も生まれることになる。さらには近年のコピー技術の進化もあって、5万円、10万円札の偽札が流通のデメリットもある。こんにちに太子虚構説は根強く、確かに聖徳太子という名称は、厩戸王子の死後つけられた名前であり、日本書紀の記述にも問題点のあることは分かっている。太子の問題は解決をみるのか?