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谷川会長の辞任と連盟の今後

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昨日、日本将棋連盟会長谷川浩司氏の辞任会見があった。前日17日には、渦中の人物である渡辺竜王による三浦氏への謝罪があったが、先ずはこちらについて所感を述べる。渡辺の謝罪は、竜王位就位式の挨拶によるもので、"謝罪の言葉が盛り込まれていたという程度"のもの。避けて通れない問題について、避けて通れない程度の謝罪の言葉を述べたに過ぎない。

盛り上がらない就位式、三浦問題を避けては通れない必然的な言葉で、あれを謝罪と感じるものがどこかにいるだろうか?三浦九段がシロなら竜王位は返上すると言ったと伝わっているが、彼は将棋が強いだけのそこら辺の小僧と何ら変わりがないダメ人間である。謝罪というのは、率先してこそ謝罪である。どのみち竜王就位式で何か言わねば収まらない。

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だから言ったまでで、あんなのは口だけのセレモニーでしかない。「渡辺除名」、「渡辺追放」、「渡辺絶対に許せない」、などの将棋ファンが多いのも、彼の態度が事前も事後も、さらには三浦の疑惑が完全に晴れた後にも、人間性の欠片もない硬直した態度に嫌気がさした。そんな人間の将棋の強さなどどうでもいい、というファンの気持ちが除名コールになっている。

「今回の竜王就位は辞退したい」とするのが、本来取るべき筋であろう。インチキ竜王位は空位であってこそ権威である。それができない彼の、物事の本質の分からなさにファンが憤っている。渡辺の自信に満ちた告発が間違いとなった時、連盟の西尾明六段は、「告発者が間違っていた場合は、告発者が罰せられるべし」と声を上げた。彼の師匠は青野専務理事である。

渡辺批判は総務担当の片上常務理事もなされた。また、今回の騒動で、漁夫の利的挑戦者となった丸山九段も、「連盟の処置には納得できないが、選ばれた以上は全力を投じる」とした。同じ連盟棋士にあって三人の共通点は、片上(東大)、丸山(早大)、西尾は中退とはいえ東工大生命理工学部という、同大における最難関学部であった。それ以外に共通点はない。

学歴信奉というのは特にない自分だが、物事を平たく冷静に見るのは、頭脳明晰ゆえであるとの思いに至る。彼らが村の空気に染まらないで居れたのは、彼らから見た橋本八段や久保九段らの愚行に、将棋外の人間レベルを感じたからでは?連盟批判に及んだ棋士は、「誰が誰にいつ何をいうべきか」について、一定の正しさを所有していた。それでこそ明晰な頭脳所有者である。

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バカが寄って集って下した一致意見であっても、バカでない人間にとっては、到底組することはできない場合がある。したがって、社会のコントロールはバカに委ねてはならない。なぜなら、システムとかコントロールという概念に対する組織内部の、恣意的・感情的支配が今回のような形で現れる時、明晰な頭脳を以て反発せしめ、説得の必要性がでてくることになる。

バカが上に立った組織は無残である。将棋の局面を見る目と、社会全般を見る目とでは大きく異なる。将棋が強いことと、社会人として事物を正しく捉えることは別であるのが、今回の騒動の根幹である。日本将棋連盟の在り方という全体的なシステムのコントロールができず、部分的なコントロールを「正」と選択したことが、間違いの原因となり、問題を大きくした。

まさに全体をみないで部分にとらわれる非弁証法的な思考であったと言わねばならない。谷川辞任は、組織トップの引責辞任という形だが、彼自身の発言の重さが招いた失態というではなく、下部の無能な理事の御用聞きであった事が問題であった。したがって、旗振り役を先導した理事がこのまま残っていいハズがない。棋士会は理事に動議を突きつける必要がある。

どこの世界にもバカがいるのは社会の常だが、将棋連盟の実態バカ理事は谷川ではない。バカ理事を抑えられなかった谷川の責任の大きさはいうまでもない。が、バカな理事が居座るのを見逃していいものか?これは連盟所属棋士の問題だ。谷川には5歳上の兄がいることは知られている。東大卒で将棋も強く、四段時代の羽生を負かした逸話の主だ。

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その兄が連盟を強く批判した。弟だろうが身内だろうが、ダメをダメというのは間違ってはないが、「引退」とは穏やかでない。将棋界のような身内の集団による村社会に対し、異を唱えた兄の俊昭氏の意見を村の重責者は耳を傾けるべきだ。身内による辛辣な批判は苦い良薬である。谷川俊昭氏は渡辺廃業も唱えている。確かに渡辺に問題はあるが廃業には異論がある。

個人の我ままや横暴が如何にひどかろうと、組織がしっかりしていれば問題はないわけだし、自分はあくまで重責を担う役員に問題アリと考える。渡辺にはあくまで主体的な責任の取り方を求めたい。取らないものを取らせる権限は連盟にないと考える。つまり、連盟は今回の騒動の責任を率先してとるしかない。一社員に振り回される会社こそが問題であろう。

そういえば谷川俊昭氏はアマプロ棋戦において、佐藤康光四段(当時)にも、角換わり棒銀の速攻で勝利している強豪である。谷川会長は記者会見で、「理事総退陣という声があがっているようだが?」の質問に対しては、「そんな声は聴き及んでいない」と言葉を濁した。谷川会長とは一蓮托生との考えにない理事なら、連盟内から声を上げていくしかあるまい。

辞任の理由を、「このような問題が起こらぬよう、通信機器使用についての徹底を図らなかったこと。さらには体調を崩し、激務に耐えられない現状である。今回の事態でファンに大きな失望を抱かせた責任」と、三つの大きな理由を挙げたが、囲碁の総本山である、「日本棋院」のように、トップは外部から招き入れるという考えはどうやらなさそうだ。

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谷川辞任に際して三浦九段は、「このような結論になってしまったのは、とても残念です。将棋ファンのためにも、早く将棋界が正常な状態に戻ることを願っています」とのコメントを発表した。騒動の収束を願ったトップの辞任であろうが、不正を働きかけたのはむしろ渡辺である。不正にタイトルを得た渡辺に何らかのアクションがない限り、納得いく幕引きはない。

不正を弄し、真正な三浦九段との対戦を拒んだ以上は不正で得たタイトルであり、本来は失冠が当然であり、こいう場合に主宰新聞社の発言権が大きいと思われるが、どうやら渡辺を担いで三浦排除に加担した読売には、渡辺に強い発言力を持てないでいる。序列第一位の棋士という立場を利用した渡辺の一人相撲に、雑魚理事が加わった騒動である。

竜王位を一年間、「空位」にできなかった読売は、それで面子を立てたつもりだろうが、似非竜王位にこれだけ批判が集まった今となっては、騒ぎが下火になるのを待つしか手はない。かえすがえすは、「泥沼流」の称号を持つ米長永世棋聖である。彼なら、あちこちに強いリーダーシップを発揮し、このような事態にはならなかったろう。谷川優等生には分が悪すぎた。

マネージメントとは、「管理」、「経営」という意味だが、米長前会長は、「毒は薬に」との方法であれ、自身をマネージメントした。そういう人間であるからこそ、物事を客観的、合理的に見ることができる。ドラッカーという経営哲学者は、「マネージメントの役割は、組織としての仕事ぶりと成果をあげること。それを実現するためには、手にする資源を活用すべし」と言った。

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谷川は連盟の顔としては申し分なかったが、問題発生時に強い指導力を発揮する胆力もなければ資源(有能理事)もなかった。棋士は対局後に必ず感想戦を行うが、谷川も、「何をどう間違ったか」、「どこに問題があったか」は分かったハズだ。次期会長は、棋士会長の佐藤康光九段が有力のようだが、新会長におかれては西尾、片上のような空気に飲まれないクレバーさを求む。

リーダーというのは孤独である方がいい、その方が理性的でいれる。ドラッカーの言葉にいう、先ずは理論を持ち、理論を組織化するための知識を身につける必要もある。連盟は仲間自治の村社会組織だが、村の論理に迎合することなく、「和して同ぜず」で己の意志を大事にする。調和は大切だが主体性は失わない。リーダーは多数派に同調していてはダメだ。

然したる問題もなく、順風満帆時の連盟会長は谷川で良かったろうが、そういう時なら誰でもやれるだろう。別の言い方をするなら、リーダーシップの取れない谷川であったがゆえに、こういう問題が起こったということ。世の中はいつなんどき何が起こるかわからない。危機管理能力という点においても、リーダーは穏健な人格者であるだけでは務まらない。

退く者に鞭打つ気は毛頭ないが、谷川は生徒会長のようであった。大山や米長は他の理事と同席しても、「会長」の威厳はあったが、谷川には会長としての職はあれど、組織の顔としての威風は見えなかった。一切が合議によって決める、そういうスタンスのように感じた。いい面もあるが、悪い面もある。それが如実に表れた今回の騒動で、谷川は晩節を汚してしまった。

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