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Channel: 死ぬまで生きよう!
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うんこから学んだ

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いろいろなことを思う。考える。だから、いろいろ書いている。書く理由は、"ブログをやっている"からではない。ブログはまぎれもない書く行為だが、ブログを始めた動機は、"時々の年齢を残しておこう"であり、幾多の記事は、積み重ねた年輪の断片である。紙とペンがいらないのがいい。「ザマ~見やがれ!」と、誇らしく思えるくらいに、このやり方は便利であった。

自転車が高価な時代に、テクテク道を歩く人を尻目に、颯爽と自転車で追い越す人には優越感があったハズだ。「ザマ~見やがれ!」と思ったかどうかは分からないが、優越感というものはそういうものだ。クルマが高価な時代、一生懸命に自転車をこぐ人に対し、クルマが優越感の代物であったのは間違いない。気持ちよくすいすい自転車を追い越したろう。

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自転車もクルマも珍しい時代の事である。今の時代にそんな気で自転車に乗り、クルマに乗る人などいないが、ウォーキングをしているときに、不思議な気持ちにおそわれたことがあった。自転車に乗る人、クルマでビュンビュンすっ飛ばす人を、この人たちは急いでいるのだろうか?それとも遠くに向かっているのだろうか?そうでなければ歩けばいいのに…

文明の利器を頼らず原始的にテクテク数十キロを歩く自分を、自転車やクルマを利用する人に比べて誇らしく思えた。「人間はどうしてこのように堕落したのか?」そのことを歩くことで一層感じられた。見知らぬある地で、見知らぬ建物名をその土地の人に聞く。親切に教えてくれるが、「クルマですか?」というので、「いえ、歩きです」というとお目目まん丸で驚く。

相手のその驚き加減に自分が驚かされる。「(歩いてといっても)結構距離ありますよ」といったりするが、たかだか数キロ、30分程度の道のりであるのがおかしい。そこを歩く自分を驚く人に恨みはないが、人間はこうも堕落したのか、である。歩くということがこうもアブノーマルな時代にあることに驚く。徒歩で10分、いや、5分のところでさえ、クルマを使っている。

事物の一切は相対的だから、なぜ歩かないのかと他人に思えそ、相手から見ると何で歩くのか?となる。そこが世の中の面白いところである。誰もが自分の視点で物を見、事を考えている。この世は自分だけで生きてはないし、人になってみたい気もするが、自分は他人にはなれない。ずっとは嫌でも、ちょっとくらいはなってみたいが、無理な話である。だからせめて…


他人の視点で物事を考えてみたくなる。こうすることで世の中が実に面白く広がって見えるようになった。自分の考えや意見が絶対的だと思った時期もあったが、今にして思うとバカだな~である。自分が絶対であるなど、誰が決めるのだ?自分が勝手にそう思うだけだろうに。自分の言動を自分で選択するのはいいが、他人の言動をなぜに自分が支配せねばならない?

もちろん、親子においても相手は他人である。ちょっとだけでいいから親は子になってみるべきである。見たいと思う、思わないはあってもなくても、ちょっとくらいはそう思うべきである。前記したようにそれは無理だから、だから、子の気持ちに同化して考えてみることだ。すると、見えないものが見えてくる。相手の気持ちになると、自分が盲目であることに気づく。

「相手の気持ちになって考えよう!」こんなことは小学校の標語である。にもかかわらず、それをしない。だからイジメが横行する。イジメは相手の気持ちになって考えないことで得る快楽である。人間が人の気持ちになれない理由はいろいろ考えられるが、真っ先に思うのは、人の気持ちになって考える以前に、自分の気持ちに正直に、素直になれるかどうかである。

自分は中学の時、親がし尿汲み取り業者である女子のOさんに、「衛生車」と呼んだことがある。自分の友人たちがみんなそう呼ぶので、それが彼女の代名詞となっていた。ウンチやおしっこが面白可笑しい年代である。Oさんが自分の後ろの席になったとき、振り向きざまに、「おい、衛生車!」と言ってみた。その時のOさんの顔はいまだに頭にこびりついて離れない。

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何かを耐える時の人間の顔というのは、あれほどに美しいものなのか?顔を上げず、伏し目がちでじっと耐えているOさんの顔から、言葉では言い表せない何かを感じ取った。上手くは言えないがそれが、「美」だと言えば分かり易い。自分たちの出す糞尿はOさん宅の作業車でやって貰っている。ある日、自宅の前に作業車が止まっていた。いつもなら臭いので逃げる。

自分は離れた位置からじっと眺めていた。男性と女性の二人がホースを抱え、床に這わせたりの作業を手際よく行っている。女性の顔はクラスのOさんに瓜二つで、母親であるのはすぐに分かった。男性もどことなくOさんに似ている。こちらも父親であろう。共に浅黒く日焼けしたOさんの両親の顔、その仕事ぶりは、溌溂とし、手際もよくて、見ていて逞しく感じられた。

し尿処理作業をあのような気持ちで見たことなどなかった。Oさんに対して申し訳ない気持ちが心の奥から湧きあがる。彼女の両親の一生懸命さが、どれだけ自分たちや社会に役に立っているかを痛切に感じた。職業に貴賤がどうして存在するであろうか。それぞれに役立つ仕事があるだけだ。自分たちができない事をやっていただけるのは感謝すべきである。

この体験は自分の成長に何がしか寄与したことになる。人間はさまざまな体験を経て大人になるが、他人から与えられる以上に自己教育力を持っている。たまたま自分は感受性の高い子どもだったことで、糞からでさえ学ぶものを持てた。汚いものを忌避する人間が、その汚いものを自らが作り出すことをそっちのけであるのなら、滑稽という以外に言葉はない。

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自分に素直になれない人の要因はいろいろある。よく聞く言葉に、「素直になりたいけどなれない」というが、こうした二律背反はなぜ起こるのか?である。原因は簡単で、頭で考えた行動だからである。考えるには二つの要素があり、あることを単に頭で考えることと、その事(問題)を解決(もしくは回避)しようと取り組むことがある。前者は問題の本質に向き合っていない。

問題の本質に向き合わない理由は、向き合うのが怖いからだろう。なぜ怖い?問題の本質に向き合おうとすれば、考えるだけでは解決しない。思考の後には行動が必要となり、行動するためには勇気がいるが、勇気がないために、都合よく振る舞う。都合の悪い事は考えない。意識的に、あるいは無意識になされる。「〇〇したくてもできない」と言って収める。

勇気もあり度胸もある人間は、こんな言い方は絶対にしない。行為は思考の必然と考える自分は、「したくてもできない」の言い方は、「したくないい」と断じる。「したい」ならしろ、「しない」ならするな、それ以外の言い方は自他ともに認めていない。「したいけどできない」など、自らに甘えた言葉を口すること自体が羞恥であり、聞くのも嫌になる。

人は自分を甘やかせるもの。だから、私情や私欲に打ち勝つ、「克己心」という言葉がある。「だらける」も甘え、放っておけば限りなくだらける。Oさんの一件は、自分なりの転換点であった。頭で考えるだけでなく、彼女の両親の懸命な作業を眺めることで、思考の幅が広がったのは紛れもないこと。物事を腹の底から考え、感じることで、ゆるぎなく根づいていく。

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それを哲学という。片手間な回避では、常に同じ問題に突き当たる。思考し、行動で試し、引き出しにしまっておく。さまざまな問題を一時回避で終えるか、物事を本質から捉えて根本解決するか。いつも同じ問題にぶち当たり、苦悩する人間に足りないものは、「行動」であろう。そこを見極め、先ずは行為に必要な勇気、度胸を身につける努力をすれば、二律背反はない。

頭でっかちが多すぎる。百の思考より一つの行動か。また、過保護に育った人間にも行動は難しい。親がそういう子に育てた。親によって優柔不断に育て上げられた子は可哀想の言葉しかない。親が問題意識を持って子どもに対処しないから、子どもが被害者となる。子どもの苦悩を喜ぶ親はいない。強い子、逞しい子にするためには親が知るべき事、学ぶこと多し。

どの親もいい子に育って欲しいと願うものだが、「いい子」の概念や価値観が異なるから、親の数だけ、「いい子」が存在する。ある親は、「勇気」や、「逞しさ」などは子どもに望んでないと言うだろう。うちの子は、「ひ弱」でも、「優等生」であればいいという親もいる。親の信じる、「いい子」の、「いい」は、本当にいいのか?そこを疑うことで真に見えてくるものがある。

いかなる親も自分の願う子育てをする。それに順応する子もいれば、反発する子もいる。どちらの事象も分かり易く、早い時期に子どもが自身の向き、不向きに気づいた選択をするのは将来的な遺恨も残さない。ところが、自分の望んだものはこんな自分ではなかったと、中年になって悔い、悩むのは、クライシスである。多くの人は心に傷を抱えて生きている。

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心の傷が他人に傷を負わせるというが、無意識になされるところが怖い。イジメっこの多くは心に傷を負った子である。大事なことは自らに気づくこと。傷つける側の親に、「気づけ」は土台無理。早い時期に自らが気づくなら、親への批判も仕方ない。人生の転換期は何度も現れるが、最初の大きな転換期が思春期、ここで対応を誤ると人生がロスとなる。


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