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くすぶる三浦問題

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新年となったが、将棋の話題はこれで3度めだ。くすぶったままの三浦九段問題である。その前に新年早々、将棋対局大事件(?)を体験することになる。とある相手との対局だが、序盤の50手くらいで早くも勝勢。先手番(手前)の自分の▲3三角成に△4二の飛車を△5二飛と逃げたところ。次は▲5四歩と打って勝ち。これを負けるようなことは先ずないという局面だ。

ところがノータイムで指した、▲4四桂が手拍子の大悪手。相手は△8六角と歩頭に飛び出す角のただ捨てだが、これをただ捨てという?その一手で終わっている。一瞬目を疑ったが両王手の見事な詰み。升田九段に、「錯覚いけない。よく見る宜し」との言葉があるが、心が浮かれていた。少しでも自陣を見れば、との後悔も遅し。相手を完全に舐めていた。

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△8六角の一手バッタリで将棋終わったが、▲4四桂もバカな手で、△同角がある。いずれにしても、何ともマヌケな▲4四桂である。どこからか、「お前は一回死んで来い!」の声も聞こえる。自陣を見ないで将棋を指してはいけないね~。といい薬になった。それにしてもこの局面、自陣の5七歩が何故ないのだろうか?さすがに手を戻して調べる気にもならない。

年が明けたが、三浦九段のデビュー戦はいつになるのか?騒動は下火にはなったが、根が深い問題なのでしこりを生んでいる。「無実の人間に罪を与えた」以上当然で、ファンは愚行を犯した連盟の動向を監視している。解決しない限りこの問題は続くハズだし、絶やすべきではない。三浦九段は簡単に処分されたが、連盟を処分するのはファンの声以外にない。

連盟役員たちは減給という自主的処分を科したが、屁のツッパリにもならない処分を誰が納得する?問題を完全とはいわないまでも、早期に収束させる最善手段はトップの辞任であった。おそらく谷川は辞めたい思いもあったろうが、なにぶん後釜がいない。会長にふさわしい実績・キャリアを考えると羽生善治以外に見当たらないが、彼はバリバリの現役棋士。

加藤一二三という変人を担ぐわけにもいかないだろう。古参・長老棋士を見渡してみた。森けい二(70歳)、田中寅彦(59歳)、福崎文吾(57歳)、高橋道雄(56歳)、南芳一(53歳)、塚田泰明(52歳)らが、一応タイトルホルダーとして実績がある。引退棋士でいえば、中原誠(69歳)を凌ぐ実績者はいないが、彼は林葉問題で泥をかぶったし、もはや過去の人となっている。

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大内(75歳)も内藤(77歳)も任が重い。谷川は東京に引っ越さずほぼ毎週神戸~東京を往復しているが、大変な労力だ。東京在住であれ、連盟会長は激務であるが、それはともかく、上記のように見渡すも、「顔」となる人物が谷川以外に見当たらないのが、谷川が会長を続ける理由であろう。谷川自身は辞めてもいいと思っているのではないか?しかし、面子がいない。

それでも今回は辞めるべきだった。それほどに醜態をさらしたゲスな騒動であったからだ。将棋連盟を世間の笑いものにさせた罪は大きい。「(第三者委員会において)連盟に非はないという事だった」という言葉は、言い逃れというより、言わされた。そう言って続けるしかなかったという彼の一手に思える。が、それでも今回は辞めるべきだった。後がいなくてもだ。

「後は野となれ…」で、青野専務理事が暫定的会長だろうが、とりあえず状況を収める上ではこれが正解。もしそうなると、二度と谷川会長の目はなくなる。会長経験者が格下の理事にというのもあり得ない。総理経験者が財務大臣や、野田佳彦の例は人材不足とはいえ、諸外国ではあり得ない。「恥の文化」と言われ、「恥の文化」を継承する日本は今はどこに?

谷川はまだ54歳。棋士としてもうひと花を咲かすことはないが、中原のように連盟の役員から永久的に退くにしては、彼程度の実績的のある人材が羽生をおいて見当たらない。谷川は一時代を作りあげた人だ。三冠保持者の羽生は、毎年名人挑戦候補として名もあがり、他棋戦に於いても獅子奮迅如き活躍で、衰えを感じさせない。そんな彼が会長はないだろう。

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羽生はまだ46歳。同期の佐藤康光、森内俊之ともに名人経験者でもあり、将来的には理事に担がれる人材だろうが、人材であっても逸材かと言えば、羽生も含めて疑問であろう。人には持って生まれた性格というものがある。谷川が会長として強いリーダーシップを発揮できるかというと、決してそうではないが、彼は対外的に卒がない点に於いて、「顔」に相応しい。

さて、論語に、「過ちては改むるに憚ること勿れ」とある。が、人間はこれができない。どうにか責任を逃れたい。逃れる手段や方法はないかとアレコレ思案し、画策もする。一切を自己責任として一局を完遂する将棋棋士に、これらは必然的に焼き付いているものと思っていた。「言い訳をしない」、「責任を取る」。そういう美学が棋士に所有されてると思っていた。

が、あくまでそれは将棋という矮小なゲームにおいてのことだと分かり、これほど棋士に失望したことはかつてない。棋士に将棋をお手本とすべくも、敵うべきもない。ならばせめて、将棋を通じて人生の機微などを得たりの自分にとって、彼らはまさに鏡であった。それが壊されたのは返す返すも残念でしかないが、新たな現実をみれば、また別の思いも湧いて出る。

「あの人」を、と慕った人に裏切られた人も多かろう。が、そこで失望するだけでは単に転んだだけでしかない。「転んでもただでは起きないぞ」という気持ちをもてば、虚像にうつつを抜かしていた自分を戒めればいいことだ。それが新たな人間的成長に寄与することになる。自分だけではない、今回の事で多くのファンが、棋士に対する見方を変えたことだろう。

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カール・ルイスやマイケル・ジョーダン、メッシ、アリ。古くはルース、ペレ、ニクラウスなど、世界のトップを極めた超人に対して、我々は当然ながら尊敬の念を抱く。しかるに、お調子者の日本人は、「神の子KID」、「神ってる」、などと簡単に、「神」を使うが、宗教的概念が希薄だからであろう。「レジェンド」という言い方もされるが、「神」の安売りは止めた方がいい。

ある特定の能力はあっても、私生活その他に於いては誰も普通の人間であるが、神はうんこをする時も神である。超人は普段はささやかな凡人であったりする。エジソンもリンカーンも、ケネディも角栄も、カーネギー、ゲイツ、ジョブズといった大富豪さえ、私生活は普通である。マッカーサー元帥が究極のマザコンで、ガンジーは性豪、マザーテレサ=守銭奴などとされた。

善行や偉業で持ち上げられるのはいいが、死後に誹謗中傷を受けるフラグが立ったりするのは、それだけ人間的であったということを示す。偉人がそれなりの功績を残したとて、彼らが人間的であってはいけないなどはない。偉人は業績において偉人であって、フラグはフラグである。我々は偉人にさえなれないのだから、フラグなどは立てる必要もないクズ。

死んで立つフラグはともかく、連盟棋士の谷川、島、渡辺、久保、橋本などは、お若いうちからフラグが立ってしまったのは致し方ない。彼らが将棋で頑張っても消えることのない汚名である。レッテルという奴は一旦ついたら取れ難い。谷川、島、渡辺、久保はみんな好きな棋士であったが、残念というより虚像と切り替え、それでよかったと思っている。

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将棋連盟に言いたいこと、求めたいことは何か問われた三浦九段は、「無理だろうけど、元の状態に戻してほしい。叶わないだろうけど。竜王戦を…難しいんだろうけど」と述べるのがやっと。いろいろな物語で悲劇に見舞われたヒロインが、「神様、どうか時間を戻してください」と訴えるが叶わない。フィクションが無理であるなら三浦の願いも届かない。

時間という流れにあって、元に戻すということは不可能である。映画『スーパーマン』では、事故で亡くなったロレインを助ける(?)ために、あり得ない速さで加速し、地球の地球を逆回りさせることで時間を戻した。この発想には思わず笑ってしまった。あれは日付変更線を戻したということか?映画はその場面だけだが、地球上すべての時間が戻ったことになる。

何でもできてしまう映画に文句をつけるべきではないが、そこにいる観客は納得せざるを得ない。話を戻すが、将棋をテーマに執筆を続けているルポライターの松本博文氏は、三浦九段の疑惑が出た当初は、「将棋連盟側がこれだけ断定して言っているのだから、決定的な証拠があるだろう」と思っていたというが、つげぐちを真に受けたお粗末なものだった。

三浦氏は被害者という立場であるが、将棋界という村社会は、家族的な一面もあり、運営すらも現役棋士が自主的に行っており、批判するのは難しい面もあろう。また、三浦九段は性格的に優しく、こういった状況に及んでも連盟側を気遣う点も見えた。そうはいっても、『竜王戦』において三浦九段は優勝の可能性が十分にあった事を、「たら」で済ませていいものか?

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それを考えると、優勝賞金4320万円という損失だけでなく、三浦九段の名誉が傷つけられたことになる。松本氏もいうように、「本来であれば三浦九段のようなスタープレイヤーを守るべき立場である連盟が、逆に彼を追い込んでしまったというのが不手際であったとするなら、何をもケチることなく、被害を被った側に納得のいく保障なりを誠意をもって果たすべきである。

過ちを犯した役員が退任せず、そのまま居座るというのは、自らの過失を恥じ、被害者にも世間にも詫び、自の手で三浦九段への責任を果たそうとの意思なら理解できる。それができないわだかまりのようなものがあるなら、潔く退陣すべきでありる。そして新たな役員の手で誠実に対応した方がいい。一般的な会社の場合、役員個人の顔に泥を塗るのは避けるもの。

したがって我々は、連盟の役員が継続する以上、彼らが自分たちの顔に泥を塗る覚悟だと判断し、それを見届けなければならない。控えめとはいえ、連盟が雇った第三者委員会の、「不正はなかった」のに、「処分は妥当」という裁定など、本来あり得ない。法治国家が、「犯罪はないが、罰は正しい」と言ってるわけだ。こんなバカを言わねばならぬ程に苦慮したのだろう。

三浦九段の要求を全面呑む覚悟で対処すべき。それがないなら、三浦九段は強い態度で臨むべきだ。この際、彼にはチャーチルの言葉を贈りたい。「金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし、勇気を失うことは全てを失う」。チャーチルのいう勇気は何か、三浦九段が考えるべき事だが、こういう場合に善人いるのはヘタレであると暗に言っておく。

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