町内会制度を持たない武蔵野市である。他の多くの市町村は、町内会を維持・推進している。町内会の興りは第2次大戦中、政府は、国民を統制するために隣組(今の町内会)を組織させた。隣組は憲兵や特高警察の手先となり、戦争に反対する住民を密告するなどした。戦後GHQは敗戦処理の最中に、「隣組は戦争推進組織」であることを見抜き、隣組を廃止させた。
ところがGHQが去った後、日本政府は再度、国民を政府に従属させるため、「隣組」を「町内会」もしくは、「自治会」、という名で復活させている。ところが武蔵野市は昭和22年、軍国主義の反省の下にこれに反発し、町内会を復活させなかった。自民党衆議院議員の土屋正忠氏は、武蔵野市職員から同市議会議員を経て武蔵野市長を務めた人である。
彼は市長時代に書き下ろした自著、『武蔵野~草の根からの行革』の中でこう記している。「○○町会制度というのは、軍国主義的な隣保共同ないし、隣組制度の名残だという声もあり、町会制度がないことをむしろ誇りとする」。これは住民の自主参加を原則とする新しい自治、即ち「一人一人のプライバシーを尊重し、新しい近隣関係を結ぶ」ことを目指している。
かっての部落会(=隣組=今の町内会)のように、個々が共同体に支配され、従属するのではなく、それぞれの自由な立場や主体性を確保しながら、隣人関係を結んでいくようなコミュニティの構築が必要との認識に基づくものであった。昭和46年2月、「第一期武蔵野市長期計画」が策定され、これによって武蔵野市の市民生活の基礎単位とする位置づけがなされた。
この構想によって武蔵野市は8つのコミュニティ地区に分けられ、昭和51年に境南コミュニティセンター、昭和52年に西久保コミュニティセンターが続いて開館、平成4年に17館目となる本宿コミュニティセンターが開館した。現在17館のコミュニティセンターと分館2館、および武蔵野中央公園北ホールが、コミュニティ施設として市民に愛され、利用されている。
武蔵野市のコミュニティセンターは、無料で市民の誰もが自由に利用できる多目的施設となっている。このコミュニティセンターを、公民館や児童館、あるいは老人福祉施設、婦人会館といった、「年齢、世代、性別」を輪切りにした目的別の専門館として、別個に存在する施設ではなく、老若男女が一体となった新しい交流可能なトータル的機能施設となっている。
武蔵野市における住民主役の地域施設政策は、公民館かコミュニティセンターかの議論の末に、最終的にコミュニティセンターを軸に出発した。法大名誉教授で地方自治論や政治学を専門とする松下圭一氏は、著書『社会教育の終焉』』(筑摩書房, 1986年)の中で、社会教育施設である公民館と、コミュニティセンターの理念型による違いを以下のように述べている。
◎公民館…教育委員会系、事業施設、専門・専任職員による運営・管理
◎コミュニティセンター…首長系、集会施設、市民による運営・管理
その上で、都市型社会におけるコミュニティセンターの重要性を指摘し、「公民館は市民管理・市民運営の【地域センター】に切り替えるべきだ」と主張している。その理由として、「"貸し部屋"としてのコミュニティセンターでは、文科省や県の講座補助金などに捉われることなく、返って市民が自由に文化活動を行い得る」ということが長所となる。
さらには、市民運営・市民管理によることで、市民自治の訓練のチャンスとなる可能性を持つ」という2つの利点を挙げている。武蔵野市はコミュニティセンター設置の際、「自主参加、自主企画、自主運営」といった、現在も引き継がれているコミュニティセンター三原則が生まれた経緯がある。武蔵野市が市政施行したのは1947年、今年では70年の記念の年だ。
「軍事政権に実際につながっていた、隣組・隣保・町内会・自治会の復活はさせない」という武蔵野市の強い決意、崇高な意志を指導したのは誰であろうか?おそらく初代市長となった荒井源吉か?彼は1963年まで4期15年と6か月の長きに渡り市長を務めているからして、武蔵野市に多大な影響力を与えた人物だが、こんにちまで引き継がれていることになる。
軍国主義の反省に立ち、町内会を復活させなかった市町村は、日本広しといえど武蔵野市だけであり、これら武蔵野市の先進性・民主性・平和主義は、こんにち高く評価し得る。東京で一番人気が高い街はといえば吉祥寺である。その吉祥寺が、「東京人の住みたい街ランキング」で、まさかの首位脱落となり、開発凄まじい恵比寿に譲ったのが2015年。
今なお吉祥寺を讃美する声は多い。「地域として完成されており住民の教育レベルが高いので安心して居住できる」(男性30歳 /男性44歳)。「緑も多く、都会と田舎のバランスがとてもいい環境だと感じている。長く住んでいても毎日散歩するのが楽しい」(男性30歳 / 女性41歳)。アーケード商店街、「吉祥寺サンロード」は、多くの人で賑わう市民の拠点である。
人と人との距離が近くあたたかい街なので、住みたい街としての人気も納得できよう。武蔵野市に町内会制度はなくとも、子どもの教育、子育て支援、住民同士の交流などは、他の市町村にくらべて劣ることはない。町内会という暗黙の強制力の雰囲気の中では、住民の多くはがイヤイヤ参加するのは、かつて自分のところの町内会で経験したことだ。
武蔵野市では、各自が自由な心で暮らしている様が伝わってくる。日常のゴミ収取も戸別回収である。町内会を運営する地域では、非会員や脱退者にゴミ置き場を使わせないなどの対立は多い。【地域で仲良く、助け合いの町内会】のハズだが、むしろ住民の対立を生んでいるが、われ関せずの行政側の真の狙いは、住民の洗脳、選挙対策、行政の合理化などである。
道路や公園は市町村が所有する。したがって、市町村が管理・運営の義務がある。にもかかわらず、自治会員に道路の溝掃除や公園の草取りをさせることで、政府・市町村 → 指示・命令 → 国民という縦割り行政を根付かせている。町内会総出で草取りをするが、出てこない住民への不満は多い。不参加者には罰金を科すことでトラブルの要因になったりする。
その結果というわけではないだろうが、日本人の多くは政府・市町村が、汚職をしても、欧米人ほどには追及しない。これも日本政府・市町村がとってきた、町内会政策がもたらすものかも知れん。また、町内会は選挙対策と、反対運動の防止としての効用もある。多くの自治会が連合自治会に参加するが、その理由は連合自治会が運動会や祭りなどを主宰するからだ。
連合自治会に参加しないと、運動会や祭りに参加できないため多くの自治会が、参加する。運動会や祭りは、エサであるとの見方もできる。そこに、市長が顔を出す、議会議員も顔を出す。顔を売るには格好の場である。多くの市町村が、連合自治会に、補助金を与えている。例えば、ゴミ焼却場などの迷惑施設を作る場合、市町村は、まず、連合自治会の同意を得る。
その地域の多くの住民たちは反対するが、補助金を受けている連合自治会は同意ししなければならない。市町村は連合自治会が同意したのだからと、住民が何と言おうが建設を強行する。滋賀県大津市の一例がある。大石地区に計画されたゴミ焼却場の建設において、大津市は、地元住民の意見は無視、連合自治会と結託して、建設した経緯がある。
大津市議会議員藤井哲也氏は、「大津市ごみ処理施設整備検討報告書」のズサンな内容をブログで取り上げている。さて、驚きの町内会が存在する。以下のYouTube映像は、自治会会長が新たに居住する住民に、入会金40万円を請求するというもの。「そんなバカな?」というのが実際のところだが、この非道な自治会名は、川崎市多摩区南生田5、6丁目 長沢団地会である。
自治会への参加の強制と、会費の支払いを強制することはできないとする判決が最高裁で出された以上、理不尽な自治会費請求に対しては、法廷で争う前から任意団体の自治会や町内会は参加したくなければ拒否できる。この判決でグレーゾーンはなくなり、世の中はシンプルになり、「自治会は強制参加」と考える自治会会長も賛同する会員も影響力を失った。
直近の2014年2月18日、自治会に参加しない人に対して自治会会長が執拗に自治会参加と会費の支払いを求めたことが、不法行為に当たるとして賠償を命じた判決が、福岡高等裁判所であった。2013年9月19日の地裁判決を不服として控訴した自治会側は、高裁でも敗訴した。今後、自治会に参加したくない人は堂々と拒否すればいい。納得できない入会者も脱会すればいい。
困惑するゴミ出し問題にしても、自治会に参加しない人はゴミを出してはならないと考えている自治会会員がいる。しかし、ごみに関することは法律により区市町村の仕事、つまりは税金で行うことになっている。勘違いしている自治会会員もいるだろう。無知を棚に上げて正論ぶってるようなら、お間違いなのでぜひとも考えを改めていただきたい。