今年の正月は久々実家で過ごした。29日から3日までの6日泊の長期(?)滞在だった。里帰りは母が老人ホームに入所して不在ということもこともあってだが、実に14年ぶりとなる。帰る前に中学時代から将棋を指していたⅯ爺宅に何気に電話を入れてみたところ、元気な声を聴いて少しばかり驚いた。なんと91歳であるという。正直、生きてるとは思わなかった。
年を聞き、「ちょっと生き過ぎじゃないんか?」というと、「バカいうな、ワシは100まで生きるんじゃ~」と返ってきた。中学時代の頃は負けてばかりだったが、今回は15年ぶりに対戦したが、以前の実力はどこかに吹っ飛び、30局中一度も負けなかった。「気力減退」という言葉があるが、Ⅿ爺まさに、「棋力減退」である。これが人間の衰えというものだろう。
久々に足を踏み入れた古里を懐かしさもあってか、グルリと廻ってみたが、まるで変っていたし、こんなに変わるものかというほどに、街は生きている感じであった。31日には長女と中3の孫も帰って来た。長女は実家だから、「帰る」だろうが、この地で育っていない孫は、「訪れる」ということか。真っ先に『ボブ・ディラン全詩集』を探したが見つからず。
実家にはいろいろな本があった。買った記憶もなければ、読んだ記憶のない本も多くあった。おそらく忘れているのだろうが、これも年齢的な衰えというものか。持って帰りたい本は多かったが、将棋の本だけにした。羽生の著書がほとんどで、彼の寝癖を批判すれども、将棋は天才的であり、棋譜をお手本にするわけにはいかないが、並べると圧倒させられる。
ファンという程でもないが好きな棋士は谷川、森内だった。二人にはかつての強さも勢いもない。比べて羽生には衰えを感じない。エジソンは天才は努力といったが、羽生は、「日々努力し続ける人」というだけあって、強さの裏には日々の見えない努力があるのだろう。将棋連盟会長職を谷川から引き継ぐのは彼であろうが、彼も谷川と同じ、「将棋だけの人」なのか?
一個人の恣意的な告発に踊らされた連盟会長並びに理事の無能さには外部にも呆れを晒したが、第三者委員会に尻を拭ってもらったものの、いわれなき不名誉な仕打ちを受けた三浦九段に対し、誰もが納得いく保障なり名誉回復を講じる課題を残している。「連盟に非はない」とした委員会においては、真に第三者を名乗るのなら、連盟を叱るべきであった。
彼らの愚挙の不甲斐なさに、「叱る」には余りに忍びない、「惻隠の情」があったと推察する。一棋士の私怨を真に受け、根拠を精査することもせずに鵜呑みにしたさまは、なんとも幼児の世界観ごとき様相である。かつて力士を、「総身に知恵はまわりかね」と揶揄したものだが、「日本相撲協会」に斯くの不祥事はなく、頭脳集団といわれた将棋連盟の醜態には呆れた。
米長邦雄永世棋聖に有名な名言がある。「三人の兄はバカだから東大に行ったが、自分は頭がいいので棋士になった」。将棋通なら誰でも知っているこの言葉は正確ではなく、尾ひれがついて膨らんで行ったに過ぎない。『将棋世界』1972年新年号において、テレビドクター石垣淳二氏をホストに、「盤上・盤外 棋士になってよかったナ」と題する対談での発言である。
確かに東大生は頭が良いといわれるが、それは学問から得た知識の量であって、機転が利く、知恵が回るというものではない。棋士も頭が良いと言われたが、それは将棋というゲームの思考に於いてであって、今回の三浦九段の一件は情けないが小学生レベルである。1990年10月発刊の雑誌『Quark』スペシャル号、「賢い脳の作り方」に森内俊之が脳波データを提供した。
彼は当時新鋭四段で、プロ棋士の頭脳の働きを解明する実験に参加した。実験行った山口大医学部神経精神科山田通夫教授は、その結果についてこう述べている。「(森内がかなりの頻度でFmθ波を出していることに関し)これには正直いってビックリしました。将棋のことは良く分かりませんが、これだけ集中力があるなら、きっと名人になるでしょう」。
予言通り、森内は12年後の2002年5月17日に名人位を獲得した。その後通算5期名人を獲得し、永世名人(18世名人)の称号を得る。これは羽生(19世名人)より速い獲得であった。頭の良さというのは人間に得て不得があるようにさまざまな分野がある。怪盗ルパンの頭の良さ、探偵ポワルや金田一耕助の頭の良さ、東大生の頭の良さ、科学者や棋士の頭の良さ。
などと区別されるべきものだ。窃盗も推理も問題集を漁るも実験も対局も、それぞれが脳のトレーニングであり、それによって脳の働きをアップすることになる。論理的思考や、イメージや閃きといった非論理的思考から、創造力やカンを発揮することにもつながる。棋士の対局はそれほど多くなく、詰将棋を解くなどしてトレーニングを欠かさないという。
此の世には答えが明確に存在するものと、答えが不明確なものがある。人間の学習習性として、一度物事を明確にする作業を行うと、どうしても人情として明確なものに価値を置きたくなる。一度明確にする作業を行った上で、なおかつ不明確なもの(掴みどころのないもの)に価値を置くのは結構大変だが、科学者の実験というのはそうしたものへの挑戦である。
それからすると、「解」のある問題を解く思考パターンは楽かもしれない。しかし、無限に広がる宇宙の如き指し手といわれた将棋であるが、最善手というものはつまるところ計算の結果というのが、コンピュータによって明らかになった。それまで「明確」と言われていたものは、棋士個人の理解において、「明確」であったに過ぎず、それとコンピュータとは別である。
「三人寄ると文殊の知恵」という。文殊とは知恵を司る文殊菩薩のこと。バカでも三人で知恵を出せばそれなりに…との意味だが、年末に棋士三人がコンピュータに挑んで完敗したのを見て、将棋の世界も人工知能優位は動かないが、コンピュータが人間よりも強くなったということは、最強棋士とコンピュータの対戦に興味が沸くのは当然であろう。
三流棋士は三流同士でメシの種として戦っていればいいが、高レベルの戦いからすると彼らの棋譜は見る価値すらない。コンピュータの強さというのは、実は偉大なる素人の強さであって、素人感覚を忘れない。プロ棋士たちはそんなコンピュータの指し手に驚くことしばしばで、「人間はこんな手は指さない」などというが、それで勝つならその手は、「良い手」ということだ。
アマチュアでも指さない、「イモ手」を指して勝つコンピュータにしてやられる人間の知識や先入観が、いかに淡く不純なものであるかを機械は示している。このようなコンピュータの出現によって、我々の将棋の楽しみ方は、今後も大きく変わって行くだろう。「あり得ない手」、「イモ手」で勝つことの凄さ、素晴らしさをますます評価し、実感して行くことになる。
古里で91歳の老人と対局して感じたのは、Ⅿ爺も所詮は田舎の、「お山の大将」だなと…。「自分はこの町で一番強いんだ」などの言葉を恥ずかし気もなく言う。大概において田舎の人間は、「井の中の蛙」である。自分たちの外を知らないから、まともにそう思っている。昔の剣豪が武者修行の一環として、「道場破り」をしたように、強い相手を求めることで腕を磨く。
「あいつは弱い」という言葉をいう将棋指しは多い。老齢においても人間が出来てないとでもいうのか、将棋をするばかりに人間的な成長ができない。自分より弱い相手と指して、「自分は強い」と言い切るバカバカしさ。そんなことが70歳になっても80歳になっても分からないのか?大海を知らない人は、単に知らないのではなく、見ようとしない、認めようとしない。
こういう人を、「つまらん人」と規定している。つまり、己の矮小な自尊心にご満悦という人。負けても言い訳ばかりで、相手を認めない人は結構いる。まるで子どものようでこちらも腹で笑っている。「言い訳して強くなるならいくらでもするけどね~」などとからかったりするが、真意に気づかないくらいに心が狭い。将棋は人を、「お山の大将に」誘う魔物でもあるようだ。
対局中は最善手を求めて指すけれども、それはプ棋士もアマチュアも同じであろう。が、つまるところ、「最善手」とは何?である。最善手とは局面が要請する絶対手ともいえる。それが見つけられるのは棋力の差に思えるが、実はプロ棋士も選んだ手が最善手とは分からない。答えのある詰将棋なら別だが、普通の対局にあって最善手か否かの判定はできない。
なぜなら、その後に自分も相手も間違う可能性がある。となると、ある局面における最善手にどれほどの意味がある?状況が確定している詰将棋や終盤局面を別にすれば、序盤、中盤で最善手という判断は、暫定的なものでしかない。複雑すぎる将棋において、局面を単体でとりだして、「次の一手」を絶対手とする問題集もあるが、それらは詰将棋同様トレーニングである。
今回の三浦九段騒動で理事ら重職は大悪手を指した。が、指すときは最善手と思ったハズだ。竜王戦開幕中に、三浦九段のカンニング疑惑記事が出ることを知ったから、急遽講じた対策と、これまた稚拙な言い訳をしたが、三浦九段にいかなる疑惑が生じようだ、「竜王戦は不正回避の万全策を講じている」と毅然とすべきだが、連盟に三浦を守る意志はなかった。
誰かが(おそらく渡辺と親しい島理事であろう)三浦挑戦者を引きずり落すという意志があったから、今回の流れとなった。これには主催紙読売新聞社の将棋担当記者と渡辺竜王の関係も言われている。様々な要因があったにせよ、決定している挑戦者を降ろす行為は、道理に反する大番狂わせであった。そういうことをやった連盟にはただ絶句するしかない。