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三浦疑惑事件のその後

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三浦疑惑事件と言うと、三浦和義氏の、「ロス疑惑」を思い出す。「ロス疑惑」とは、1981年から1982年にかけて、米国ロサンゼルスで起こった銃殺・傷害事件にかけられた一連の疑惑を言い、発端は1981年、ロサンゼルスで起こった殺人事件に関して、被害者の夫である三浦和義氏が、「保険金殺人の犯人」ではないかと日本国内のマスメディアによって嫌疑がかけられた。

1984年、『週刊文春』が「疑惑の銃弾」というタイトルで報じたことから、過熱した報道合戦となり、日本中を巻き込んだ劇場型犯罪となった。今となってみればあの、「大騒ぎ」、「バカ騒ぎ」は一体何だったのかと冷静に考えられるが、当時は次々に新たな関連情報が出て来、様々に展開していく状況は、まさに推理小説のリアル版という様相を呈していた。

「10年は一昔」なら、「30年は大昔」といえるくらいに、「ロス疑惑」は頭の隅から消えてしまっている。今回の三浦事件は、将棋棋士のスマホによる、「不正疑惑」であって、事件と言うべきか騒動というべきかはそれぞれの捉え方による。第三者委員会の調査によって、結果的には一点の曇りもない「シロ」と発表されたが、疑われた三浦氏の心労や苦悩はどう回復されるべきか?

いわれのない罪を受けた人に対し、「すみませんでした」の言葉で済むこともあれば、そんなものでは済まない逸失利益について、連盟は最大限の配慮をすべきであろう。本来、逸失利益とは、 債務不履行や不法行為によって得られなくなった利益を指すが、どちらでもない理由によって処分をされた三浦氏に、「法的義務はない」と連盟はするのか?

今回の騒動は違法行為でない以上、休業損害補償も逸失利益の補填も発生しないが、逆の見方をすれば、違法行為に当たらない三浦氏の行為を「疑惑」ということで処分を科した連盟の無能が最も批判されるべきであろう。正しい者を処分したのがバカであったのだから、そういうバカは経営に携わるべきでない。そういう責任を取ろうともしない。

減給という処分は正直誰が考えても痛くも痒くもない責任の取り方であって、理事どもは、第三者委員会の「連盟に過失はない。権限の範囲内」というお墨付きを金科玉条が如く口にする。責任には「法的責任」、「道義的責任」、「社会的責任」の三つがあるが、理事の減給処分はどれ?さらに、「責任」というものには、三つの意味があることも知るべし。

「法的責任」、「道義的責任」、「社会的責任」が責任の取り方なら、そうした責任の理由、責任の大小とは別の、"責任の果たし方"としての三つの意義について考える。そもそも責任とは、ふつう何か困った問題が発生した時に問われるものであり、「責任ある地位」、「責任ある職責」などのように、ポジティブな文脈で使われることもないわけではない。

が、"彼は責任を問われて昇進した"といった用法があるだろうか?ポジティブな事象においては一般的に、「責任」の代わりに「貢献」とか「功績」という語を用いる。したがって、貢献と責任は対になる概念である。もう一つ。責任とは、意志とセットで使われる。当事者に、それなりの裁量範囲や自由意志があった際にのみ、責任を問われるのである。

つまり、ただ言われたことをやっただけの人には、たいして責任は発生しないはずだ。ならば、意図せざる過失にあっては責任がないのか、というと決してそうはならない。過失には、「注意義務を怠った」という一種の意志が働いたと考えられるからだ。「注意義務を履行する」が意志である以上、「注意義務を怠った」も、意思と見なすべきである。

「過失」をさも意志ではないような言い方をする人間は、責任逃れ大好き人間、もしくは常連であろう。「する」も意志なら、「しない」も意志である。人間は完璧ではないし、間違いを犯す存在である。だから、二重チェックやフェイルセーフといったシステムを仕事に組み込んでおく必要がある。よって、単純な過失が重大事故を起こすのは、システムの不完全さにある。

そうしたシステムの不完全さに対する責任が発生することになる。責任者として置かれた立場の人間が責任を問われるのは、不備や緩さ甘さに対する一切の責任である。起こった事を結果というなら、そこには間違いなく原因があり、原因が起こったその背景には、必ず起こった責任は発生する。責任者とは、責任を取るために置いておくものと考えるべき。

したがって責任者の取り得るべく責任とは、「問題が生じた際に、生じた問題を解決するために払うべき代償について、行為の当事者に対し義務づける概念」と考えるべきで、分かり易く言うなら、「責任=代償」となり、その代償の払い方が、三種類あるということ。先ず、①失敗した行為を正しくやり直すこと(影響を与えた状況を復旧する作業も含む)。

次に、②その問題を招いたことの処分・批判を甘受し、場合によっては地位や体面を失うこと。最後に、③損害賠償など法的な義務を果たすこと。三種類の責任概念は、英語ではそれぞれ別の言葉で表される。ResponsibilityAccountability Liabilityである。どの語も、-ability、すなわち『能力』であることを示す語であることに注目すべきかと。

Responsibilityとは、仕事の遂行に対する責任概念であり、仕事が途中で問題を起こして、思ったようにうまくはいかなくても、最後まで我慢してやり遂げる(その余分な労力と精神的苦痛は自分が引き受ける)こと、ならびにその能力を意味している。Accountabilityは、「説明責任」とも訳されるが、「対外的な義務を引き受ける」という語感がある。

誰が訳したか、「説明責任」とは苦心の訳語か。汚職の嫌疑をかけられた某大臣には説明責任があるなどとされ、説明は仕事上の義務のような感を受けるが、外国では決してそんな甘いものではない。Accountabilityは、地位や体面という代償を払うべきことを意味していり、むしろ「面目責任」が妥当ではとの考えもあるが、責任逃れの日本人向きではない。

Responsibilityが、どちらかというと業務担当者レベルでの、「責任の果たし方」であるのに対して、Accountabilityは監督義務を怠った、あるいは間違った判断・命令を下してしまった事実に対する管理職レベルでの、「責任の果たし方」を指す。そして、Liabilityは、法的な賠償等の、「責任の果たし方」である。どこの国でも、責任という概念は奥が深くややこしい。

東北大震災では福島原発事故が発生した。東京電力は法規則どおり原発を建てて運転し、地震後も政府の指示どおり対応した。「それで全責任を負えというのは無理がある」という意見もあるが、それで東電の責任がない事にはならない。それなら、電力会社の過失はどこにあったのか?これは、何のいわれもなく被害を被った地域への賠償問題のネックになる。

国も共同責任で補償すべきか、原発を設計・施工したメーカーには責任がないのか、ということだ。それぞれが責任の擦り合いをしているようでは、地域住民はどうすればいい?そのため原子力発電所の事故は、「無過失責任」で成り立っている。正確には、「無過失賠償責任」とも呼ばれ、「無過失責任、電力事業者への責任集中」が世界的な制度である。

日本は国際条約には加盟していないが、国内法制度は同じ原理ゆえに被害者側が電力会社の過失を立証(そんなことは機密の壁に守られてほぼ不可能)しなくても、電力会社一社で全部を賠償しなくてはならない。福島第1原発事故をめぐり、国や東電を提訴する原告数が約1万人規模に拡大した。争点の一つは、政府・東電が主導する帰還促進と賠償打ち切りの妥当性だ。

一部の訴訟では、大津波の発生を「想定外」としてきた東電の主張に関し新たな資料も提出され、同社の過失の有無も争点として浮上。東京電力ホールディングのホームページには、補償責任の詳細が明記され、そこには「3つの誓い」という項目がある。①最後の一人まで賠償貫徹、②迅速かつきめ細やかな賠償の徹底、③和解仲介案の尊重。

話が原発にそれたが、谷川連盟会長以下の理事は、仕事を最後までやり遂げる、Responsibilityを選択した。それなら、三浦氏に対する補償や名誉回復問題に、手腕を発揮すべきである。無実の人間を処分した過ちを犯し、無能と断罪された理事が、このまま居座って将棋ファンや世間が納得する解決策を見せるならそれも良かろう。我々はそれを期待している。

三浦氏は3日、出場を変更された地元群馬県の「第13回YAMADAこども将棋大会」にサプライズ出場し、開会前に挨拶を行った。これまでとは打って変わった笑顔であった。「ヤマダ電機様にはずっと自分の事を信じていただきました。大きな企業は個人より組織を守るものですが、ヤマダ電機様は三浦でいくんだと言っていただいて、本当に有り難かった」と述べた。

これからすると、三浦氏に出場を促したのはヤマダ電機の連盟への圧力と推察する。三浦氏の言葉には変わらぬ連盟批判が盛り込まれているが、遠慮することはないし、連盟批判は将棋ファンの総意である。また三浦氏は、「シロの証明は物理的に難しいですから、悪く言いたい人はいるでしょうし、シロと信じたくない人もいるでしょう」謙虚に述べている。

確かに「色メガネ」をかけた人を納得させるのは難しい。説得する必要もない。三浦氏は今回の事でさらなる人望を得たが、渡辺竜王は連盟の顔とはいえ、連盟主催の場にも出席は躊躇われるだろうし、スポンサー主催の場において拒否されることになる。棋界最高位「竜王」であるが、棋界最低の人間が竜王位を穢していては、社会貢献できる立場にない。


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