義理の父親の頭をはさみで突き刺すなどして殺害しようとしたとして、千葉県警四街道署は今月18日、「殺人未遂」の疑いで四街道市の中学2年の少年(14)を現行犯逮捕した。逮捕容疑は同日午後10時半ごろ、市内の自宅で義父で介護士の男性(24)の顔にスプレー式の殺虫剤を噴射し、はさみで頭頂部を複数回突き刺すなどして殺そうとした疑いがもたれている。
男性は軽傷だが出血が多く、病院に入院しているという。同署によると、少年は約1年前から義父(母親の再婚相手)を含む家族5人で暮らしていた。現場にいた母親(46)は、「2人は普段から仲が悪かった」と話しているという。少年はあいまいな供述をしており、動機を慎重に調べるしかないとするもこの年齢である。言いたくないことも、言えないこともあろう。
「義父と仲が悪かったから殺そうと思った」という理由は分り切っているが、捜査上理由を聞かないわけにはいかない。「あいまいなことを言う」のは、食材として嫌いなピーマンを、「なぜ嫌いなのだ?」と聞かれると一緒である。多感な少年期に、親の再婚相手を嫌うのはありがちで、その相手との日常生活において、あれこれ聞かれること自体、酷である。
子連れの相手と再婚する場合の覚悟というものはある。恋愛そのものは当事者同士の問題で連れ子には関係ないが、考えるべきことはある。母子家庭の経済的負担を考えると、女性の子連れ再婚は奨励されるべきだが、連れ子がある場合にいずれも相応の覚悟はいる。連れ子が再婚相手に馴染んでくれるか、再婚相手は連れ子が自分になついてくれるか?
微妙な問題ゆえ母親も男性側も慎重になるべきで、それを、「覚悟」という。親同士の離婚でさえ子どもは傷ついているわけで、おまけに再婚するとなら、知らない他人が形上とはいえ親になる。経験はないが、そういう子の気持ちに同化すれば、ストレスは相当のものであろう。テレビ、映画などでそういう状況はいろいろ見たが、上手く行くようにはなっている。
ドラマ仕立てなら脚本でどのようにもなるが、それでも子どもに対する子連れ再婚の難しさを考えさせる設定になってはいる。再婚相手の男と、子連れ女性とどちらが子どもに気を使うのだろうという問題はあろうが、「どちらが」ではなく、双方が一致協力するしかなかろう。自ら罪の責任を背負い、子どもの気持ちを慮って再婚を躊躇う母親も現実にはいる。
そうしたドラマもあるが、3組に1組が離婚する時代に子連れ再婚は珍しいものではない。シングルマザーになるのも選択肢のひとつだが、繊細な問題をクリアしたカップルもいる。最近では山口もえと爆笑問題田中裕二との子連れ再婚があった。アメリカの「Social Work」は、子連れ再婚には、「義理パパ・ブルー」なる精神的な問題が発生しやすいと指摘する。
これは6,000人の男女の親を対象に行われた調査の結果分かったもの。この発表では、一般的には母親のブルー(憂鬱)がとり上げられやすいが、再婚相手の父親もブルーになると指摘している。今回あった千葉の殺人未遂問題も詳しい事情は分からずも、義父の顔に殺虫剤を噴霧し、ハサミで頭を刺すという中2生の行為にある程度の想像力で思考はできる。
自宅における現行犯逮捕という事態を見るに、あきらかに家の者の誰かが警察に通報したと思われるが、誰とはわからない。5人家族であり、母親(46)、継父(24)、娘(23)、息子(14)ともう一人は不明の構成だ。母と継父の年齢差を見て驚く。あまりに若すぎることから、無軌道、非常識という言葉も聞こえてくるだろう。が、若いから問題とは言いきれない。
我々外野は表面的な判断しかできず、恋愛のみについては自由だが、子連れ再婚への覚悟が双方にあったか?また、その後のケアもどれほどなされたか?男は自分とさほど大差ない年齢の2児の父になるわけだ。母親が若いツバメを選んだとの世間の風当たりもあろうが、すべては心構えと後のケアがなされるなら気にすることもないし、問題も起こらないだろう。
が、実際こうした問題(殺人未遂)が発生したわけだ。そのことについて改めて母も義父も考えざるを得ない。14歳が殺人未遂を起こしたとあっては、起こさせた側が責任を感じるべきある。自由と責任は表裏にあり、年の差を物ともせぬとの自由恋愛は構わないが、起こった事の責任を取ってこそ自由である。責任を取らぬ人間の「自由」は蒸留酒の樽の中でいう言葉。
ヨーロッパ哲学史において、様々な自由人が存在したが、最初に現れる奇人中の奇人は、シノぺのディオゲネス(紀元前323年死去)といわれている。哲学者でありながら、傍若無人であったディオゲネスは、勝手気ままな、「自由人」を死ぬまで貫き通した人ゆえに、奇人と称される。彼が自由に目覚めさせたのは、部屋の中を走り回る一匹のネズミだった。
かれはそのネズミを見て、「ネズミは寝床も欲しがらない。暗闇も恐れない。美味い物も求めない。これこそ人間の道だ!」と悟り、以後は簡素、無欲、自由な生活をしようと期す。つまり、動物的に生きること、即ち自由と考えた。その気が起これば人前で平気で自慰行為もする彼は、見栄とか羞恥心とかを、徹底的に踏みにじった稀代の奇人・変人である。
殺人未遂罪を起こした少年は深刻な問題だが彼は中二病か?「中二病」とは、「(日本の教育制度における)中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」との自虐語転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。「病」の表現を含むが、医学的な意味で要治療の病気、または精神疾患とは無関係である。
こういう事件があって見れば普通母親は、息子からの問題提起と考えるが、それでも男を取るか?言葉は悪いがバカと利口の分かれ道である。「単に仲が悪かった」などとノー天気な発言よりも、常人として考えて欲しい。「何かが起こって後に対処するのは教育にあらず」という持論を持っている。将棋などやっていてもそのことは身につまされる。
事前の対策を講じないで、いざ火がついたら修復不可能で手がつけられない。将棋も教育も事前の読みという点で似て非なりである。将棋と教育で思い出すは1993年11月23日、44歳の棋士が中1の長男に刺殺された、「森安秀光九段刺殺事件」である。同日午前8時50分頃、母親が2階にある森安の書斎兼寝室に入ると、うつ伏せで血を流して絶命している森安を発見する。
「パパが死んでる!」。母親は警察にしようとした時、後ろからついて来ていた長男がいきなり刺身包丁で切りつけてきた。母親はもみ合い長男から包丁を奪い取ったが、首に全治2週間の怪我を負う。「パパが死んだのはぼくのせいやない。学校を休んだことでガチャガチャ言うからこうなったんや。あんなに叱られては逃げ場がないんや!」と叫び逃走した。
翌日午後2時半過ぎ、ゲームソフト店で発見され保護された長男は、受験勉強を課した父を批判する言葉を口にした。息子は灘中受験に失敗し、国立神戸大学附属中学に合格、入学したものの学校を休みがちになっていた。神戸大学附属中は中高一貫でなく長男は高校受験を目指して塾通いを強いられ、帰宅は夜11時だった。こんなのは会社で言えば超過勤務労働。
大人が毎日そうであるとするなら、どれだけストレスが溜まるかくらいは考えるべきだ。自分の子とはいえ所詮は他人事。辛さ、苦しさも分からず、「勉強しなければ幸せになれない」などと言い続ける。こういう親は、「窮鼠猫を噛む」の覚悟、もしくは、子どもの健全な情緒の成熟は望まぬ事。逮捕された長男は、母への傷害は認めたが、父親殺害は頑として否定した。
これをどう考えるか?長男は事件を起こす前、カバンにナイフを忍ばせているのを父親に見つかり叱責されている。これはつまり、長男が刃物で相手を攻撃するなどで身を守ることを意図していたと考えられる。何らかの口論があり、父親を刺すつもりだったか、脅すつもりだったかは不明だが、包丁を取り上げようとした父と長男が揉み合いとなったことも想像できる。
胸に1ヶ所だけの刺し傷からもその可能性がある。森安九段の酒好きは有名で、昼間から飲酒するほどだったとあり、事件当日も酩酊状態だった可能性もある。子どもが怒りに任せて一方的に親を殺害する場合はメッタ刺しが多い。ゲーム店で顔見知りの店長に、「あれは誤解や」と訴えた。店長は、「誤解ならみんなに分かるようにせんとな」と長男を説得、警察に通報する。
事件後完全黙秘を続けた長男は医療少年院送致まで2か月を要す。小3から塾通いでまともな情緒も育たず、自己表現ができず、反論能力も身についてない。取り調べ官に、「あれは誤解や」以外は無言であった。彼は刺したのではなく刺さったと推察する。不運にも刺さった場所が悪く致命傷となったが、長男の心中を察するに、「過失」であり、「未遂」と同等に感じる。
様々な「殺人未遂事件」が存在する。確信的な殺人もあれば、殺す意図であってもたまたま死ななかった未遂もあり、過失的な殺人未遂もある。これらを区別するために、「殺人罪」、「業務上過失致死罪」、「重過失致死罪」、「殺人未遂罪」がある。普通、殺人未遂罪は殺人罪より刑が軽いと思われがちだがそうでもない。理由は量刑の決め方にある。
一般的に、犯罪の量刑を決めるには発生した結果だけでなく方法が悪質か、動機に同情できる余地があるかなどが考慮され、同情の余地があるとは到底いえないケースでは、「未遂」とはいえ殺人罪より重い刑が降ることもある。東京・小金井で5月21日、歌手の冨田真由さんが襲われる殺人未遂事件があった。心肺停止状態だったが意識を回復したが、卑劣な犯行である。