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事件から学ぶ  「強姦」

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「夫とはもう10年くらいレス」という言葉で意味が分かるように、「セックスレス」という言葉は浸透している。なぜ、「セックスレス」になるのかいついて、「面倒くさい」という回答が多い。人間付き合いも面倒だからと避ける人がいるが、そういう人は案外社会性の希薄な人間であろう。夫婦といえども男と女である。男と女のすることには、すべてそこに社会性が成立する。

男女において、男女の共同生活において、性は絶対不可欠とは言えない。確かに性は大事であるがすべてではない。熟年夫婦の愛情の絆を見れば分かろう。そう考えると性は一つの現象に過ぎない。人間は年をとると性に対する興味が薄れるが、性に限らず行動そのものが経年で変わるようだ。セックスも行動であるが、年をとると健康や体調に重点を置くようになる。

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若い時代はサカリのついた犬である。それが経年になると、外出するより家でテレビを観るとか、外食より自宅で簡単に済ませたりとか、美味しい店を探したりするより、行きつけのレストランで十分というふうに、特定のものへのこだわりが消え、生活全般がエネルギッシュに活動するより、まったりとした時間を好むなど、体力の衰えからか、省エネ志向になる。

ドイツの霊長類センターで霊長類の認知を研究している、チューリッヒ大のアレクサンドラ・フロイント博士は、「人の社会的な行動の変化は、人だけに見られるわけではない。これには進化に深い根がある」と述べ、実はサルにも人によく似た年齢による変化が起こることから、行動の変化には、生物学的な起源があることが研究によって明らかになった。

サルも人間でいう定年くらいの年齢になると、他のサルとの社会的な接触が減るようだが、新しいものなどへの興味がないわけではなかった。ただ、見ていれば十分で、自分からは参加したがらない。なるほど、同じことは自分にも言える。ベッピンさんに興味がないわけではないが、「あの女とやってみたい」、「脱がしてみたい」はなくなり、見ているだけでよい。

いわゆる視姦がなくなり観賞で十分となるが、性欲の強い高齢者もいる。若い頃は街に出れば、数十人もの女性を視姦したが、そういう脳構造だったのだろう。人が年を取ると新しいことを覚えるのが億劫になり、昔の思い出に浸ったり、思い出を懐かしんだりするようになるが、これらは脳の記憶が保管される場所である海馬が変化するためだといわれている。

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人間は年齢とともに海馬への経路が退化するらしい。つまり、脳は情報がいっぱいで入らなくなるのではなく、脳の中に情報を書き込み、保存する機能が弱くなるという。脳の書き込み機能が低下するため、新しいことを好まなくなり、もともと保存してある昔の記憶を思い出すことを好むようになるという。新しい恋に興味がなくなったのはそういうことか。

気持ちはあるのに、「やれない」、「できない」のは辛いが、気持ちがないなら体が動かなくても不自由の認識はない。この一年間で凄い距離を歩いた自分は、新たな挑戦気分を味わった。ウォーキングはやる気さえあれば、自分の自由意思で一人で簡単にやれることだ。女性をエスコートしたり、お世辞をいったり、美味しいお店を探したりの必要もない。

「よくも飽きもせず、面倒がらずに、歩けるよ」といった友人がいたが、女性と過ごす時間に比べるとお気楽である。今に思えば女性を口説くなど、あんな面倒くさいことを飽きもせずにやったものかと感心しきりだ。女性とナニをする際に、半ば強引に覆いかぶさるという男は結構いたが、自分はその経験がない。承諾を得ないでそういう行為をしたいとは思わなかった。

「男っていきなり激しく服を脱がすのよね~」などはしばしば聞いた。それが女にとって刺激であるというのも知った。暗にそれを望み、求める素振りの女もいたが、自分はそれを好まなかった。女の強姦願望は、受動性ゆえに刺激となるらしいが、自らの意思に殉じる女性の方が知的である。そういう事をするのに知性が必要か?と問われるなら、自分には必要だった。

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「無理やりってのが男の本性じゃないのか?」などの友人は多かった。男の本質がどうであれ大事なのは自分である。「激しく迫られると犯されてるみたいで、興奮するのよね」という女は自分の趣味にあらず。いささか強姦気味にやるなどは低俗男の誹りであり、してそれを望む女も自分的には低俗に思えた。「無理やりはイヤ」という女が、清楚で可愛いらしく思えた。

無理やり犯して何が満たされるのか?「凌辱」という言葉は暴力に等しい。男と女はいたわり合うもので、人格無視の凌辱は野獣の行為である。強姦という行為は、まさにそれに値する。人間には相手とコミュニケートしたい気持ちがある。古い世代の古い考えであれ、それが現象として発露したものが性的行為であって、そこには互いの人格が尊重されねばならない。

男女の行為には愛情を感じるオーソドックスな満足感とは異質の、アブノーマルというべく憎しみの発露だったりする。男が自己の権威を見せつけるために女性を抱くこともあろうし、所有欲や独占欲でなされることもある。このように考えると、性行為というのは実にさまざまな形があり、一筋縄では行かない。よって、セックスとはかくかくしかじかであると単純に言うつもりはない。

和姦と強姦は対比するものだが、強姦すべてが違法かと言えば、そうではない強姦もある。同じ強姦行為であれ、違法であるかないかは女性の腹一つで決まる。つまり、女が強姦されたといえば強姦である。たとえ男がそう思っていなくてもである。「それはオカシイだろ?」と言っても法がそうなっている。が、レイプ裁判で多くの男は和姦を主張するが、男にはそう見えるからだ。

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間違いなく女性が被害者の強姦もあるが、被害者を装う強姦もある。ずいぶん昔だが、『世界残酷物語』という映画を観た。その中に強姦犯の男が行為の一部始終を録画していた。強姦場面のビデオ収集という性癖で、後に男は逮捕され、所有のビデオが裁判の証拠採用された。そこに映し出された強姦場面は悲惨なもので、女性の顔は恐怖でひきつっていた。

声を発することもできず、まともに直視できないほどだった。これに比べて慶大生の強姦ビデオと言われるものは、AVビデオまがいである。被害にあったとされる女性は、事後にアレコレ言っているが、証拠の映像が残っている限り、後だしじゃんけんは無意味で、説得力もない。見ず知らずの男に凌辱される強姦行為は、嫌悪を遥かに凌ぐ恐怖体験だろう。

顔を一発張られただけで、身動きできないほどに女性が怯え、屈するしかなくなるという。先に述べたように、女性だけを強姦被害とする日本の刑法177条(強姦罪)は、両性の平等をうたう憲法14条1項に違反するのでは?との議論も僅かながらあったし、裁判で争われた事例もある。体中を舐めまわし、指を入れようと性器挿入がない場合は強姦とならない。

いかに暴行と脅迫によって衣服を引きちぎろうとも、挿入なきは強姦とならない。変態性欲者が、男児のケツの穴を舐めようが、何をしようが、強姦罪はあくまで女性の性器に対する場合のみ法的侵害行為としている。笑ってはいけないが笑える判例も結構ある。強姦目的であったが、被害者が生理中で中断した。寒さで被害者がガタガタ震えるのを見て萎え中止した。

挿入前にイッてしまった。これらはいずれも強姦未遂罪だが、はたしてこれが被害者感情に適ったものなのか?性器挿入によって既遂と未遂という定義は何とかならないものか?様々議論もされたが、何ともならないようだ。にしても、相手女性が怯えて固まったり、イヤだイヤよと足をバタバタさせているにも関わらず、そそり勃つなどは、脳が爬虫類並みである。

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強姦魔と言われた大久保清を思い出さずにいられない。彼は3月31日に群馬県多野郡で最初の殺人を犯したが、逮捕されるまでの1か月半の間になんと1000人以上の女性に声をかけ、150人ほどの女性が車に乗り込み、うち数十人と肉体関係を持った。さらに声を掛けて行動をともにした女性のうち、8名を容赦なく殺害、死体を造成地等に埋めるなどし、遺棄している。

殺された女性は、大久保の事を詰ったり、からかったり、大久保の偽名や嘘の履歴に言及した女性であった。例えば殺された19歳のC子は、「あなたのこと調べたけどガッカリした。これで一緒になるなんて考えちゃう。奥さんのところには帰らないの?」などと素性を暴露されるなど、女の居丈高な態度に腹を立てた。父親が警察官と言っただけで殺された女性もいた。

後先考えず、次々に女性をこの世から抹殺して、それで捕まらないとでも思ったのか?逮捕されたきっかけは被害者の兄が、妹から大久保の素性を聞かされており、その兄が夜通し捜索して妹の自転車が放置されているのを見つけた。その自転車をじっと監視していたら、大久保がそこに来て自転車に近寄り、軍手をはめて指紋を消すような動作をを見て声をかけた。

大久保は脱兎のごとく逃げたが、兄がクルマのナンバーをメモっていたことでまもなく逮捕された。1973年2月22日前橋地裁は死刑を求刑する。1976年1月22日、刑確定後、異例の早さで死刑が執り行われた。刑務官が大久保の監舎の鉄扉を開けて呼びつけると、大久保は膝をガクンと折り、床にへなへなと崩れた。刑務官二人に引きずられ、失禁の雫をたらしながら絞首台に連行された。

イメージ 5「これでいよいよお別れだね」拘置所所長の言葉に顔面を紅潮させ、真っ赤に充血さ保は、してもその場に腰を抜かして座り込む。「言い残す言葉はないか?」の声にもこたえず、絞首台の踏み板まで引きづられ、首にロープがかけられ、手錠とひざ紐が施される。ほどなく執行のボタンと同時に踏み台が開き、大久保は落下した。厳寒の冬、東京拘置所において、41年の短い一生を終えた。

「事件から学ぶ」とした表題であるが、大久保清事件から学ぶものがあるとするなら、残念ながら自分には何もない。がもし、女を手に入れる方法として、強制わいせつや強姦が手っ取り早いと考える男がいたとし、実行を企てるなら止めなされ。大久保だけではなく、強姦で逮捕された事件など、いろいろ読んで、するのは止めなされ。最近の女は簡単に落ちる。そっちを試してみなされ。


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