じっと目を凝らしてみると少しづつではあるが、世の中の変化に気づく。じっと目を凝らさなくとも大きな変化を感じるだろう。ディランの、『時代は変わる』の歌詞には現代を象徴するようなセンテンスはないが、時代は猛烈なスピードで変わって行った。自分たちが子どものころ、「世の中変わったな~」と大人たちが言っていた。大人たちは何が変わったと思ったのだろう?
自分たちもあの時の大人と同じように、「世の中変わった」と感じている。一体、世の中が変わる(変わったと感じる)スパンは何年くらいだろうか?「10年ひと昔」というから、10年程度なのか?以前、6歳年下の男と話したときに、こうも世代感が違うものかと躊躇ったことがあった。同世代を定義づける様々な要因はあろうが、大体上下3歳くらいを同世代とする。
同じ教科書で学び、同じテレビ番組を観、芸能人や女優や男優やアイドルと称するカワイコちゃんや、ゲームや玩具の種類から文房具に至るまで、日常社会の多くを共有する同世代である。それからすると6歳の差は、さすがに世代を異に感じるものだ。文明の利器と言われる機器や家電は日進月歩と言われたが、ある時期から秒進分歩ほどの勢いをみせた。
記憶をたどればあの時代にシャーペンはない。アプルペン、パイナプルペンもない。筆記用具の主流は鉛筆で、自分はHBが好きだったが、女子の多くが2H、3Hを使っていた。借りると何とも芯が固く、筆圧の強い自分には紙が破れそうだった。「何でこんなん使うんだ?」と聞くと、「減らないから」と意外な答えが返ったが、貧困という点では、誰もが貧困な時代であった。
それでも鉛筆が2~3cmくらいの長さに減っても、本体の尻から差し込む器具で、短い鉛筆を長くして使ったりしていた。あんなもの今は売ってないだろうと探してみると、ちゃんと売っている。金属製で耐久性も豪華感もあり、滑らないようにギザギザまで施してある。「補助軸」という名がついていた。こうまでして使われる鉛筆もしあわせものだろうな。
これはもう貧困というより節制である。当時はセルロイド(プラスチックという言葉はなかった)製で、自分は使ったことがなかった。鉛筆削り器も早くから所有し、電動鉛筆削り器もすぐに買った。「削り器使うと減る」という女子は、自分からみればいかにも女であり、機械で削ったかの如く美しく綺麗に削る彼女らには、男にはない女の魅力を感じたものだ。
自分は親がせっせと削ってくれていたので、鉛筆が削れなかった。親が面倒だから削り器を買ったのだろう。その点は過保護だったのかも知れん。鉛筆は削れない、裁縫はできない、リンゴの皮はむけない、みんな母親が、「男の子はそんなことしなくていい」と、させなかった。生活習慣の大事さは自ら実感しているし、そんな過保護のいいとこは何もない。
母は長女で二人の弟がいる家庭で、女であるがゆえに家の労働力としてこき使われたと察する。だからか、女は家のことはなんでもするのが当然と思っていたようだ。女子から教わったネギを刻んで醤油と砂糖で炒める料理を台所で作っただけで、「男がそんなことするもんじゃない!」と、烈火のごとく怒る母だった。"男子厨房に入らず"信奉世代である。
何もかもが便利になったのは文明の利器といわれる恩恵だが、器具や道具ばかりではない男女の価値基準も大きく変わったし、人間の精神的な価値観も大きく変わった。昔は女が木登りするだけでお転婆娘と称されたが、男にできて女ができないことはないほどに、様々な世界への女性の進出があった。かつて柔道、剣道、レスリング、相撲、野球は男のスポーツであった。
女性ができないではなく、してはならないゴルフであった。ゴルフは紳士たしなみ、女がやるものじゃないという差別主義であろう。漫画『野球狂の詩』の主人公水原勇気は、プロ野球選手になったが、当時、女性がプロ選手になるためには、野球協約改定が必要だった。というのも、「医学的に男性でない者の登録禁止」の項目があったが、今は撤廃されている。
野村克也元監督は、実写版の映画『野球狂の詩』に選手として出演し、水原勇気役の木之内みどりと対戦し、「気の強い子や、応援しまっせ」と、勇気を選手にしたい岩田鉄五郎に言った。その野村は女性のプロ野球選手について、「投手限定、左で変則フォーム、変化球を一つ極められれば、対左で道があるかも」と語っている。投手以外は無理という事だろう。
左投手で、変則フォーム、変化球一つ、まるで水原勇気のことを言ってるようだ。彼女には、「ドリームボール」という凄い変化球があった。さてさて、いろいろハード面における時代の変化を取り上げたが、表題にあげた、「ハゲがカッコいい時代」はいうまでもない、精神性の問題である。ハゲだけにあらずで、マツコの売れっぷりからして、「デブもカッコいい時代」である。
「ハゲ、デブ、チビ」が日本人の「三大見下し語」であろう。チビはハゲやデブに比べてさほど感はある。女性はハイヒール、男はシークレットブーツで誤魔化せる。キムタクの公証176㎝の身長は、7cm上げ底シューズといわれている。おデブのまん丸顔は、以前からテレビという四角画面に、日の丸の旗のように調和して違和感がない、むしろ好ましいとされていた。
ホンジャマカの恵俊彰よりも、石塚英彦の方が癒されるというのもそういうことだが、他にも松村邦洋、内山信二、天野ひろゆき、日村勇紀、森三中、なんしぃ、渡辺直美、柳原可奈子など、テレビ露出の多いふとましいデブたれが並ぶが、マツコ以外は、どう見ても悪気のない、いい人っぽさが売りであろう。案外とおデブも市民権を得ているのではないか。
そんななか、ハゲはどうなのか?「デブ」もそうだが、ハゲにとって「ハゲ」という言葉ほど、酷な響きはないのではないか?ハゲといえばアデランス、ヅラといえばアートネイチャーが席捲した1980年代に、颯爽と乗り込んできたのが外資大手のかつらメーカー、スヴェンソン。当時の社長ローランド・メリンガーが日経産業新聞にこのように述べている。
「日本に来て初めてわかったが、日本人は髪が薄くなると真剣に悩む。ヨーロッパなら全く髪がない人でも街中を闊歩している。一方、日本人は抜け始めの時点で考え込み、品質のよいかつらを探し歩く」。よく言われることだが、日本ほど「ハゲ」に対して不寛容な社会はない。おそらく髪の毛の色が黒く、外国人に比べてチョー目立つからだろうか?
アデランス、アートネイチャーの二大メーカーの市場シェアは、広告展開もあって90%を超えていた。アートネイチャーより後発のアデランスは、その強みもあって、アートに追従し、いいとこ取りでのし上がった。アートが3段階に分けて増やす、「トリプル増毛法」を打ち出せば、アデランスは5段階の、「サンク増毛法」を発表する。3段階より5段階がいかにもよさげである。
さらにアデランスはテレビCMや、新聞、雑誌などの広告展開によって、顧客を取り込んだ。ものすごい量のテレビスポットからして、一体どのくらいの広告費を計上しているのか、非上場会社につき想像もできない。料金の高いゴールデンタイムにけたたましい量のCMを流していた。そんなおりの1984年、アデランスの経営の中枢にいた元社員の告発本が出版された。
これによると、アデランスが昭和56年1月から12月までの1年間に使った宣伝広告費が38億6028万円とある。数字が細かいのは経営情報を知る社員のデータからして当然だろう。翌57年度は52億1900万円に上がった。これで獲得した新規顧客数を広告費で割ると、何と顧客一人当たりが24万6600円もの広告費を払っていることになる。これはいかに原価が安いかを表す。
タバコは税金を吸っているようなものと言われるが、かつらは、「広告代金をかぶっているようなもの」ということか。告発本、『アデランス商法残酷物語』によると、当時のかつらの実質原価は、韓国にある下請け工場で作られ、サイズにもよるが、2014円~4340円程度で、これに人件費、輸送費、関税などの諸経費に下請け業者の利益を乗せても16100円である。
それが40万、50万で売られるわけだから、広告料など痛くも痒くもない。このようにかつらを法外な価格にしているのが、膨大な広告・宣伝であり、顧客はその事実を知るすべもなかった。告発本によると、当時のアデランスの市場シェアは60%を占め、広告展開で絶対有利の市場構造が、業者間の過度な競争を阻害し、かつらの高値安定に結びついていた。
ライバル社アートネイチャーもCMは流していたが、実はアートネイチャーは、夜11時以降にしかテレビCMを流していなかった。当時、かつらというのは日陰産業であり、おおっぴらに語られるものではない、というのが、「常識」であった。人知れず薄毛の悩みを抱え込む男性をターゲットにした宣伝・広告を、深夜にひっそりと行っていたのは、包茎治療同様に正攻法である。
そんなわけで、夜6時~7時という時間帯に流されたアデランスのファミリー層向けCMは、当時として「衝撃」だった。40年前に、「かつら」でこれをやるアデランスに対する世間のインパクトはすさまじいものだった。白い一戸建て住む家族。かわいい娘2人と、美しい妻が楽しそうに食卓を囲む中で、夫だけは鏡の前で薄い毛をなでつけながら、どこか浮かない顔をしている設定。
ところが夫の髪が急にボリュームアップし、ニコニコ顔で出勤する父親に娘たちが抱きついて言う。「パパ、アデランスにしてよかったね」。うっすらと覚えている人もいようこのCMによって、もともと存在していた、「ハゲ=恥」というネガティブイメージをさらに進化させ、その逆説として、「ハゲを隠した男は幸せになる」というポジティブキャンペーン攻勢をアデランスは仕掛けたのだ。