とかく人間は権威に惑わされやすいものだ。スーツを着ている人と、だらしない格好の人の言うこと、どちらを信じるだろうか?いうまでもないことだ。惑わされやすいばかりではない、騙されやすいことにもなる。こうした問題意識を自分はあることがきっかけに、自らに問いかけたことがあった。それが講じて今は、「誰が言ったか?」よりも、「何を言ったか!」を重視する。
このようにすると、贔屓の人間や尊敬の念を抱く対象であっても、発言を妄信することなく、是々非々に思考できる。ある対象のファンであるからと、することなすこと何でもカンでも正しい、何をいっても許せるというのは、自分からみると熱病患者のようである。度々書くことだが、少年期から自分は母に苦悩した。自分のすること一切に批判的で、文句ばかりいう母である。
友人宅に行けば、彼らの母親はみな優しいまなざしで自分を見つめ、温かい言葉をかけてくれる。それに比べて自分の母親は夜叉の目つきで友人たちを睨む。「おかん、こわいな」と、友人たちは自分の家に来るのを嫌がった。母にとって自分の友人は息子を悪の道にそそのかす悪人と思っていた。ナンだカンだと普段から友人の悪口ばかりをあげつらう母。
自分は当時、信頼していた京都に住む叔父に思い切って母への苦悩を手紙に書いた。叔父は母の弟である。叔父は以前、親族が寄って談笑するする中で、母と言い合いをしていたのを中身も含めてしっかりと覚えている。自分にとっては権威である母も、叔父たちには対等なのが、見ていて心地よかった。母に文句を言える人間がいるんだという小気味よさである。
その時の言い合いは、煮物か焼き物かどっちだったか鯛の料理についてである。母は、「この鯛は天然ものだから美味しいよ」と自分が購入し、料理した鯛をそのように口添えした。そのとき叔父が一言。「こんなん天然物やないで、日焼けして肌が黒ずんでる。生簀で養殖するからこうなるんや。天然物はもっと赤い」。言葉はともかく、話の中身はそういうことだ。
その言い方にムカついた母は、「何をいってるんか、魚屋は天然物だといったし、あそこは養殖物なんか扱ってないで」。「魚屋がどういおうとやな、こんなん素人でも分かることやで。騙しとんのや」。その後の母の言葉は覚えてないが、自分が買い、料理した鯛をそんな風に言われてさぞ頭に来たのだろうが、叔父の遠慮ない発言は姉弟ならではだろう。
叔父貴たちが京都に帰ったその晩にぐちぐちと悪口をいう母に無性に腹がたった。日焼けして肌が黒づんでいる鯛は養殖物という叔父の慧眼に感動し、知識を得た気分だったし、目の前の鯛がそうであるなら、魚屋が何を言ったところで事実が示している。母はその事実に目を背け、魚屋の言葉を信じたのも、それが自分の利益に合致するからであろう。
弟のいちゃもんより魚屋の権威を信じる母と、世に蔓延る本物と偽物をしかと自身の目で見極め、判断する叔父。「魚屋が何を言ったところで己の都合」と喝破する辺りは、さすがに叔父貴である。中学を卒業して家出同然に故郷を立ち、今では外車を乗り回す叔父は少年時代からの自慢であった。そんな叔父に母への苦悩を手紙にしたためた。内容は覚えてない。
少したって叔父から電話が入る。しばらく母とやり取りした後で自分に代われといったらしい、胸の鼓動を抑えて電話に出た。叔父貴はこんなことを言った。「大事なのは自分やで。誰がナニいっても自分を信じたらええのや。親もせんせも間違ったこというさかい。自分が間違ったら自分で責任とったらええのや」。叔父は祖父(叔父の父)と喧嘩して家を出たと聞いた。
後年、叔父の言葉をアレンジして子どもたちに言った。「親だから、学校の先生だからといえ、自分が見て尊敬できないようなバカを言ったり、したりするなら、尊敬なんかすることはない。見下したらええよ」。親は自分を生み育ててくれた恩人、教師は偉い人、そんなバカなことあるか?どんな人でもバカを言えばバカ、バカをやればバカなのだと。
しっかりと目を開き、耳をそばだててみる事。生み育ててくれた恩人、勉強を教えてくれる先生としたその上に、「尊敬」という言葉があるのではない。すべては親としての義務、教師という職業である。尊敬できない親がいる、尊敬できない教師がいる、がゆえに、真に尊敬という対象が存在することになる。このことを小学生の時に自力で考えついた。
ヒステリー甚だしき母は、自分がむしゃくしゃしたときなど、たんびに、「誰に産んでもらったと思ってるのか?」「誰に大きくしてもらったと思ってるんだ?」、「親不孝者が!」、こんな言葉を日々浴びせられたなら、どんな子どもだって、「ナニを偉そうな事いってやがる」と思うだろうし、「誰が産んでくれと頼んだ?」なる言葉は必然的に出てくる。返されて困るような言葉は、的を得ない暴言である。
親の恩というのは、子どもが自発的に感じることであって、親の側から恩着せがましく押し付けるものではなかろう。人に善行を施して礼を要求するようなもので、それでなんで善行といえる。「善は善意思によってなされるべきもの」とニーチェは言ったが、暗に謝礼や見返りを意図した善意なき善行は醜い。「自分がそれをした」のは、「自分がしたかったから」に他ならない。
あなたのため、君のため、世のため、人のため、というではなく、自らに率直な自らの意思であるべきもの。股旅に生きる世捨ての渡世人が、とある宿場で救いを求める人に助力をする羽目になった。「お助けいただきありがとうございます」の言葉を尻目に、「礼は無用に願いたい」と去って行く。これを美学というなかれ。これが人の当たり前の姿であろう。
自らの内に自然に沸き立つ、「義憤」が行為となっただけで、誰のため、誰かのためではないだろう。自らを作り、自らを高めるものなら、自らに加算されるもの。様々なことを通じて、自らをより良いものにしていくなら、大きな何かが備わるだろう。それが何かは分からないが、分かる必要もない。己の、「良心」などは、気づかなくて当たり前かもしれない。
むしろ、他人から批判されたり非難の中に、「善」や、「良心」は存在するかもしれない。他人に喜ばれ、迎合するだけが、「善」とは思わない。子どもの頃に毎日のように遊びに行った友人宅に、たくさんの絵本が置いてあった。絵本というより漫画である。漫画に飢えていた年代だから、何でもよかったろう。友人の父は熱心な日蓮宗の信仰者であった。
時折、「南無妙法蓮華経」の声が聞こえ、狂信的な連呼に気味の悪さを感じたが、普段はやさしい友人の父であった。今思うと、創価学会だったのだろうか?漫画は子ども用に平易に日蓮上人の伝記のようなもので、日蓮が路上説法をするが、石を投げつけられたりで、それはヒドイものだったが、それでもひるまず、「南無妙法蓮華経」を唱えなさいと訴える。
日蓮についての知識は親鸞同様、一冊の本さえ読んだこともないし、「法華宗」、「浄土真宗」の開祖くらいの知識しかない。が、日蓮が迫害にあいながら路上説法を続けたのは、意図的な信者勧誘活動ではなく、純粋なる布教活動だったかも知れない。昨今は、「まず宗教ありき」で、それで信者を勧誘するが、あの時代は、先ずは何よりも布教であった。
キリスト教があったのではなく、キリストという人物がいろいろな言葉を残した。それを信徒がまとめた物が宗教となる。日蓮と法華経の経緯がどうだかの知識はないが、親鸞の言葉を弟子が書き留めたものが浄土真宗となったと聞いたことがある。宗教への知識欲は薄く、したがって不確かな記述だが、折角なので、「日蓮はなぜ迫害を受けた?」で検索した。
以下の文があった。「『日蓮自伝考』には、日蓮の主張する道理は、既得権益を守ろうとする者からは、当然敵として認識されることになるとあります」。「自界叛逆難が起こったのも、幕府内部のそういう事情があったようで、既得の権益を守ろうとするものと、そこから排除されるものとの生き残りを賭けた戦い、それが自界叛逆難の真相であると」。
ま、そういうことらしい。興味のないことを記述するのは寒々しいので止める。弱い立場の者などを追い詰め、苦しめることを迫害というが、自分は母親から迫害を受けたと思っている。当時も今も、母の思い余った行為は、妨害などというものではない。自分では分からないが、あれで少しは強くなったのかも知れん。まさに当時の母の顔は鬼に見えた。
あるとき、どこから仕入れたのか、「北向きの鬼瓦みたいな顔して、吠えるんじゃないよクソババ!」といった時、投げつけられたコップが自分の左の眉の上に当たり切れて血が噴き出した。傷口を押える自分に、「フン!」と、「ザマ~みろ」といわんばかりの態度で、タオルを持ってきて投げつけた。夫婦喧嘩で茶碗やコップを投げるシーンは映画にあるが…
親が子にコップを投げていいものか?殴る蹴るはあったが、物を投げつけられたのは初めてだった。よほど、「北向きの鬼瓦」が頭に来たのだろう。この言葉を一度だけある女に言ったことがある。あまりの暴言に腹が立ち、「北向きの鬼瓦みたいな顔して喚くな!」といったが、言われた女は意味が分からなかったのか、「北向き?」「オニガワラ?」、「何よそれ!」。
これには拍子抜けである。ま~仕方がない。知らない言葉に反応しろというのが無理だ。朝日新聞に、「天声人語」なる連載コラムがある。これが時候の挨拶がごときつまらなくなったという批判文の中に、「まるで北向きの鬼瓦みたいに、冷たい強風に歯を食いしばっているよう…」という記述を見、強烈な侮蔑語がこういう使い方をされるんだなと、感じ入った。