ふと気づいた、昨日で11月が終わっていることに。なんとも早く過ぎ去った今年の11月であろう。まさに、「光陰矢の如し」を実感する。来年はさらに早く感じるかも知れん。経年で思うのは一年が早く、それだけ死に近づいているわけで、何だカンだいっても、「死ぬまで生きよう」である。向日葵は南を向くものと思っていたが、朝は一斉に東を向くという。知らなかった。
試したわけではないが、中三の孫に、「西向く侍知ってるか?」と問うと、おそらく,
「知らん」というだろう。娘(長女)である孫の母に問えば、「知ってる。30日までしかない月でしょ」と答えるだろう。あくまで想像だが、今度試してみる。が、「なんで11月を侍というんだ?」と聞くと、おそらく、「知らん」というだろう。知らない理由は、そこまで興味がないからだ。
11月を侍と覚えているだけで、それで終わっているのは勿体ない。好奇心があれば知ろうとするよ。なくても生活に困らない好奇心だが、あればあったで楽しく暮らせる。物を知らない人が頭が悪いというではなく、ほとんどの人は好奇心の欠落と思っている。好奇心は子どもなら誰でも持っているものなのに、大人になるとどんどこ失われていく人もいるようだ。
本来、知的好奇心はいくつになっても失われるものではなく、外部から与えられて活性化する人もいれば、自ら内的好奇心を活性させる人もいる。興味のあることを自主的に学ぼう、取り組もうとする方が楽しいはずだ。例外もあるが、学童期の勉強は苦痛であるのに、主体的にやる勉強は楽しいのはなぜ?理由の一つは好奇心、一つは無力と未熟さの自覚である。
いずれも自発的に学ぼうと取り組む意欲の要素となる。天才について様々な言葉や比喩があるが、「天才とは日々努力し続ける人」といった将棋の羽生善治の言葉を自分は気に入っている。「十で神童十五で才子二十過ぎればただの人」という諺がある。 確かにこの手の事例は多いが、諺は事象を示しているのではなく、「あまり自惚れるな」の戒めであろう。
羽生の言葉は、自身への戒め並びに自己啓発であろう。努力も無用な天賦の才を持った人がいるのだろうか?学校に行かなかったエジソンの言葉には、さすがに、「努力」の文字がある。羽生もエジソンも、その他多くの天才と言われた人たちも、努力なしで何かをやれた人がいるのだろうか?目に見える努力はなくとも、周囲の環境が何かをもたらせたというのはある。
モーツァルトはそうではなかったか?科学者や棋士、スポーツ選手で天才と言われる人の多くは、努力の賜物だが、音楽、文学、絵画などの芸術分野では、努力というものは補足程度に思われる。彼らこそ天賦の才を有した人ではないか。3歳でチェンバロを弾き、5歳で最初のコンチェルト、8歳で交響曲、11歳でオペラを書いたと言われるモーツアルトである。
彼の教師は父であったが、その父が驚くほどに教えたこと以上の才能を開花させた。そうしたモーツァルトの天才性を具体的、客観的に説明できるのか?映画『アマデウス』で、モーツァルトがサリエリの書いた曲を一度聴いただけで披露するシーンがある。また、幼少時に9声の曲を正確に暗譜してみせた、作曲が異常に速かった、譜面に訂正の跡が少ない。
こういう事実からして、モーツァルトに音楽的才能があることは疑う余地はないが、こうした例は他の作曲家にもある。ただし、モーツァルトが20歳過ぎても天才であり続けたのは、幼少時期の稀有な事例ではなく、彼の書いた音楽の素晴らしさこそが天才の証明であろう。その意味においても、天才とは幼少児期という限定された期間だけでは、まがい物ということになる。
モーツァルトは35歳で世を去ったが、羽生は現在46歳であり、彼の天才ぶりを匂わせる若き日の棋譜が指摘されている。同年代の佐藤康光、森内俊之らが負けが込み、ことごとくタイトルを奪われ、勝率もどんどん下がっていく中、複数のタイトルを保持し、45歳を過ぎても勝率を落とすことなく維持できている羽生は、日々の努力を怠らない天才であろう。
将棋界にあって、天才の異名を持つ棋士は加藤一二三であった。坂田三吉を奇才、升田幸三は鬼才と呼び、加藤一二三を、「神武以来の天才」と呼んだ。神武以来の意味は、日本という国が始まって以来の意。先崎学は神童的天才の異名があったが、彼は20歳過ぎて凡人となる。稀代最強棋士大山康晴を天才といわないのは、彼には苦労の一面を見聞きする。
力はあっても、鬼才升田のような独創的で奇抜な手を指すこともなく、淡々と勝ち星を積み重ねていった地味な棋士である。よって、大山に天才の文字は似合わない。加藤一二三は、その大山が天才と呼んた人物である。天才も年を取ればただの変人爺という言葉がお似合いの加藤は2013年に、『羽生善治論 ――「天才」とは何か』(角川oneテーマ21)を著した。
読んではないが、著書紹介欄に、「『神武以来の天才』と呼ばれる著者が、天才棋士「羽生善治」を徹底分析。なぜ、彼だけが強いのか?七冠制覇達成を可能にしたものとは?40歳になっても強さが衰えない秘密とは?」とある。その中で加藤は、自身を天才と公言したことはないとしながらも、「もしかしたら、自分は天才じゃないか…?」と思ったと述べる。
以下引用。「タイトル戦、しかも名局で勝ったとき、具体的にいえば、難しい局面で好手、妙手を発見して勝ったときなどに、そう思ったことがあるのは事実だ。別に驕ったわけではない。掛け値なしに、虚心坦懐に、謙虚に自分の将棋をみつめた結果、『天才』と呼んでもいいんじゃないか、そう思ったのである。率直で、正直で、いかにも加藤らしい記述である。
仮にも天才と言われた加藤が、稀代の名棋士大山にも天才と墨付され、それらが講じて自らを天才と認識するに至ったと加藤。その彼がいうところの将棋の天才とは、「勉強をしている、していないにかかわらず、早く指すことができて、しかも着手が正確で、なおかつ勝つこと――これは、間違いなく天才の共通点である。絶対だ。天才は、盤を見た瞬間に、パッとひらめくのである。
もっとも強力な一手、最強の一手が、局面を見た瞬間に浮かんでくるものなのだ。こうした能力は努力したからといって身につくものではない。もって生まれた、並外れた素質としかいいようがない。若くして長考型に天才はいない。断言してもいい。子どものころから、一手、一手、考え込んでいたような棋士はかなり将来が危うい。はっきりいって、早いうちに棋士をやめたほうがいいとさえ思う。」
と、辛辣に述べている。確かに、「あまり考えずにどんどん指す子どものほうが伸びる」とは、将棋指導の一般論としても言われている。理由はいろいろな説が考えられているようだが、羽生自身、「若い頃は才能とは一瞬のひらめきだと思っていたが、努力を継続できることが才能だと思うようになった」と、才能に対する考え方の経年的変化を述べている。
元天才と現天才の二人が、天才についての異なる考え方で象徴的なのは、「生まれ持っての素質」(加藤)、「努力を継続できる才能」(羽生)という点で、さらに羽生には、「自分を客観的に分析できる視点」という考えが加わることで、彼は過去になき突出した存在となっている。天才の安売りはどの世界にもあるが、それぞれ別の次元であるのは言うまでもない。
まあ、人間がやるから天才であって、機械が天才をこっぴどく負かしても天才とは言わない。受験勉強の達人を秀才というが、それについて自分は否定的だ。学問の秀才は認めるが、あらゆる過去問を詰め込んだ受験学力のどこが秀才であろう。モナリザを描いたダ・ビンチは天才だが、モナリザの模写の達人を芸術家と呼ばない。昔からこういう人を看板絵描きといった。
世界に目を向けると天才の名に値する人は多い。スティーブ・ジョブズは発明の天才とされるが、実は彼はパクリの天才であった。ゼロックス傘下の研究所では、絶対にパクらない約束をしておきながら破っている。彼はまた文句を言い出す天才、プレゼンの天才との異名がある。尾ひれはついて回るが、一代で製造業の会社を時価総額世界一にしたのは並みの才ではない。
最近目にとまったのは、15歳のジェイコブ・バーネットくん。様々な子どもの天才の行く末を見て、天才少年には懐疑的であったが、このIQ170の自閉症天才児は、将来のノーベル賞候補と言われている。天才や偉人共通点があるとすれば、幼少期に勉強が苦手だったり、勉強をあまりしていなかった。彼もアスペルガー症候群のために普通のクラスで、「学ぶことができなかった」。
勉強嫌いにはエジソン、ダ・ヴィンチ、アインシュタイン、ニュートン等の例がある。そんなジェイコブくんも、「天才とは学ぶことを止めた人」という。いうまでもなく学問は、「既存の理論や知識をインプット」するものであり、かつて学校一のバカだったアインシュタインは、「物理学者になりたいなら靴磨きになれ」といったが、これは彼ならではの比喩である。
天才は、「存在しない全く新しいモノを創造する」という点においては、既成の学問は不要なのかも知れない。学力信奉者は、「基礎が大事」というが、「諸学の基礎は哲学」である。したがって、天才たちは必然と哲学者となる。アスリートにおいても、イチローの例を出すまでもなく、彼一流の哲学を持っている。哲学はまた、事物や事象の根本から問い詰め考える。
これを基礎と言わず何という。1+1=2と答えるのは学問だが、なぜ、1+1=2であるのか?これが哲学である。親がナニをしたから自分が生まれたは生物学だが、「なぜ自分はここにいるのか?」を問うのが哲学である。それを精子と卵子がくっついて…などは物足りないと考え直すのが哲学である。「そっかー、勉強しなくていいんだ」と、喜ぶのはバカである。